第9話「蒸気機械体験会」

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第9話「蒸気機械体験会」

 一年後の蒸気博覧会に、女性用二輪車を出品する。  リファのおかげで具体的な目標が定まった。あとは手元にある私の愛車を土台にして、更に機能を洗練させていけばいい。そのためにもまず必要なのは、使用者として想定される女性からの意見を集めることだった。  私は工場を訪れ、操業開始に向けて準備を進めてくれている従業員たちに声を掛けた。 「みんな、おはよう! いったん手を止めて、ちょっと話を聞いてくれるかしら」  工場内では工具を運び込んだり機械の配置をしたりとマールたちが働いている。珍しく工場までやって来た私を見て、彼女たちは怪訝な顔をしながら集まってきた。  昨日定まったばかりの目標を宣言すると、彼女たちの反応は様々だ。驚く人、困惑する人、微妙そうな顔をする人。ざっと見たところ、歓迎してくれているのは最年少のアンリくらいなものだった。 「女性用二輪車ねぇ」 「そういえば、奥さんはそんなの使ってましたっけ」  彼女たちも私が二輪車に乗っているところは見たことがある。けれど、実際に自分たちが使えるものとなると、あまり実感が湧かないようだった。蒸気機械は男性が使うものという常識は、庶民にも根深く張り付いている。 「そのために、この二輪車を元に改善案を出して欲しいの。どんなに初歩的なことでも、突拍子のないことでも、大歓迎よ」  怒らないから安心してほしい、と胸を叩く。けれど、マールたちは困ったように顔を見合わせる。 「あの、奥様」 「はいアンリ。何かしら?」  少しの間を開けて、おずおずと手を挙げたのはアンリ。七人の従業員の最年少で、私の一つ下。赤毛とそばかすが特徴の、おとなしい印象の女の子だ。 「私たち、蒸気機械を扱ったことがないから、改善案と言われても」 「そっかぁ」  言われてみればそうだ。使ったこともないものを見せられて、問題点を指摘しろと言われても困る。そんな初歩的なことを失念していた私は、恥ずかしくなってつい頬を抑える。 「それじゃあ、乗ってみる?」  そう言うと、アンリだけでなくマールたちまでが目を丸くして驚いた。 「い、いいんですか!?」 「もちろん。女性用二輪車を開発するんだもの。女性に乗ってもらわないと」 「でも、壊しちゃったら直せないですよ」 「ゆくゆくは直せるようになってもらいたいけど、大丈夫。多少の故障なら私が直すし、そもそもそんな柔な作りはしてないから」  町で走っているような製品としての二輪車は紳士の乗り物ということで色々と装飾も凝っていて、機能も構造も複雑だ。けれど、これは私が自分で作って自分で使うために自分で設計したものだ。余計な機能は取り除いて、頑丈にしてある。 「まずは跨って、ちょっと走ってみましょ」 「え、えええ……!?」  あわあわとたじろぐアンリの手を引いて、二輪車に跨らせる。  幸いなことに、工場の前は広い庭だ。庭園というよりは、試作した蒸気機械の実験場という趣きの広場になっている。平らで石もないし、走りやすいはずだ。 「まずはグリーンライトの残量を確認して、そこのスイッチを押しながらレバーを引いて、蒸気機関が動き出したらゆっくりそのレバーを握り込むの」 「えええっ」  隣に取り付きながら、アンリに操作方法を教える。マールたちも興味を持ってくれたみたいで、遠巻きに見守ってくれている。アンリがレバーを操作すると、カシャカシャと音を立ててシリンダーが動き始める。白い蒸気が吹き上がり、車体が大きく震えた。 「うわっ、わっ!?」 「大丈夫。ハンドルをしっかり握ってて。こっちがブレーキ、こっちがアクセル。ゆっくり、アクセルを握り込むの」 「はいぃ」  二輪車は準備万端。あとはアンリが一歩踏み出すだけ。おっかなびっくりと言った様子で縮こまりながらレバーを動かす。すると、動力が車輪に伝わり、車体がわずかに前進した。 「きゃぁっ!」 「おっとと。ハンドルから手を離さないで。体を動かさずしっかり前を向いてたら大丈夫だから」  まだ私が歩いて着いていけるくらいの速度だけれど、アンリは初めての体験に気を動転させている。ハンドルの制御を取りながら、彼女に優しく話しかけて落ち着かせる。  ここで転けたら、アンリは蒸気機械に苦手意識を持ってしまう。こういうのは最初が肝心だ。 「ほら、大丈夫でしょ。速度を上げていけば、もっと安定するから」  こういうのは思い切りが大切だ。 「うぅぅ。わ、輪っかが二つで走るんですかぁ」 「私が散々乗ってたでしょ!」  涙目のアンリを説得する。少しアクセルレバーを握って速度を出せば、彼女は悲鳴を上げて肩を跳ね上げる。けれどハンドルから手を離していないし、サドルから腰も浮いていない。少しずつ機械の動きにも慣れて来た様子だ。  もう少しだけ加速して、私は駆け足でついていく。最初っから一人で乗りこなせるとは思っていない。けれど、地面から足を離して、二輪車の車輪だけで移動するという経験ができればいい。 「ひ、ひえええ」 「いい感じよ! 乗れてるわ!」 「はいぃぃ」  アンリはまだ緊張が取れていないけれど、速度は安定してきた。私の代わりにハンドルを握り、アクセルも維持している。蒸気機関も上機嫌に音を奏でて、白い水蒸気を吐き出している。グリーンライトの光も楽しげだ。  広い試験場をぐるりと一周回って元いた場所へと戻ってくるころには、アンリもかなり慣れた様子だった。 「すごいです奥様! こんなの初めてです!」  興奮した様子で早口になるアンリ。大人しい印象はどこかへ飛んでいってしまったみたいで、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。 「ぜはぁ……ぜぇ……そ、それは……よかった……はぁ」 「お嬢様は運動不足ですね。普段から二輪車に頼っているせいですよ」 「そ、そんなことは……」  対する私はアンリの横で試験場一周並走していたおかげで体力が底をついていた。普段工房と屋敷の往復も二輪車頼りだったし、スポーツにも興味がなかったから、そんなに体力がある方じゃないのだ。見た目のせいで活発に思われることも多いけれど。 「アンリ、大丈夫だったかい?」 「ど、どうだった?」 「すごく楽しかったわ!」  アンリはテンションを上げたままマールたちの元へと戻り、恐々と様子を見ていた彼女たちに感想を伝える。その声を聞いて、少し前向きに興味の沸いた様子の人も何人かいるようだ。 「よ、よし……。他に乗りたい人がいたら手を挙げて。私がレクチャーするわ」  そう言うと、何人かの手が挙がる。アンリが試験場一周を果たしたことで、少し警戒も弱まったようだった。 「大丈夫ですか、お嬢様」 「ふふっ。明日は筋肉痛で動けないかも」  リファの呆れた視線を背中に受けながら、私は従業員たちに二輪車の乗り方を教えていった。
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