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燭光6-⑶
「お口に会ってよかったですわ。それはカミツレという薬草のお茶です」
微笑む女主人と、謎の茶を飲みほして平然としている天馬とを交互に見て流介は唖然とした。あれほど思慮深い男が得体の知れぬ液体をためらうことなく呷るとは……
「あのええと……ここは何と言う方のお屋敷なんですか?」
天馬の大胆さに緊張がほぐれた流介は、ままよとばかりに気になっていたことを尋ねた。
「ここは狩押十郎伯爵の屋敷です。私は十郎の妻で小夜と申します」
「なんと伯爵さんでしたか。そのような身分の高い方のお屋敷とは存じませんでした。ではご主人にも挨拶せねば」
「主人はここにはおりませんわ」
「お仕事で外に出られているのですか?」
「いいえ、屋敷にはおります。しかし動くことがままならないのです」
「ははあ、ご病気ですか」
「いえ、病気とは少し違うのです。……会えばお分かりになると思いますので、こちらにおいでいただけますか」
狩押夫人がそう言って席を立つと天馬が「行きましょう」と小声で言った。
「御病気なら挨拶は短く済ませましょう。どちらにいらっしゃるのですか?」
「こちらです。続きの間で休んでおります。私の後について来て下さい」
狩押夫人は奥の扉を目で示すと、先に立って歩き出した。
「飛田さん、これを口に入れて、噛んでいて下さい」
天馬が急に小声で言うと、流介の手にむしり取った葉のような物を握らせた。
「なんだいこれは」
「外の薬園で見つけました。頭がすっきりする葉です。この部屋に戻って来るまで口から出してはいけません」
「あ、ああ……わかった」
流介が勢いに呑まれるように葉を口に入れると、ぷうんと青臭い匂いが口の名がに広がった。試しに噛んで見ると、凄まじく苦い味が口の中に広がり流介は思わす「うっ」と呻いた。
「このお部屋です。どうぞお入り下さい」
狩押夫人がそう言って扉を開けると天馬は「失礼します」と一礼して中に入った。
「ええと……では、失礼します」
天馬に続いて奥の間に足を踏みいれた流介は、部屋の真ん中に座っている人物を見て思わず「わっ」と驚きの声を上げた。
人物は和久間が描いた錦絵と同じ赤い西洋風の服を身にまとい、左手に手袋をつけていた。頭には袋のような物が被せられ、そして左手は……手首から先がなかった。
「あ、あの、この方はもしかして亡くなられているのでは?」
斉木礼太郎が和久間らしき人物から聞いたと言う、木乃伊の話を流介は思い出していた。
「そう見えるかしら?確かにそうおっしゃる方もいますけど、魂はちゃんと生きていますわ」
流介があまりの異様さに後ずさりした、その時だった。どこからともなく甘い匂いが漂い始め、隣室との間の扉から「執事」が火のついた燭台を手に姿を現した。
狩押夫人は「執事」から燭台を受け取ると、流介たちの前にかざした。
「この炎をよくご覧になるといいわ。見ているうちに頭がとろけてきますの」
流介は揺らめく炎を凝視せぬよう、さりげなく目線を外しながら素早く頭を働かせた。
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