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燭光8-⑴
「見たところ、この前と変化はないようだな」
亀田川の手前で馬車を止めた天馬に、流介はいくぶん強張った声で言った。
「そうですね。まあ面倒は僕があらかた引き受けますから、飛田さんは和久間さんを守ることに集中してください」
「それがもっとも面倒なことだと思うのだが……」
流介がぼやくと天馬は「今から嘆いていたってしょうがありませんよ」と返した。
「また荒っぽいことにならなきゃいいんだが……」
「それは手首に聞いて下さい。では、この間の木のところまで行きます……それっ」
天馬が手綱を引くと馬がいななき、荷台ががたがたと音を立てはじめた。
「……ううむ、思い出してきたぞ。こんな匂いの場所だった」
薬園にたどりつき、立木に馬を繋いだ流介たちは『伯爵夫人』の屋敷に向かって見慣れぬ花が咲き乱れる敷地を進んでいった。
やがて見覚えのある建物が目の前に現れ、流介たちは重厚な扉の前で足を止めた。
「こんにちわあ」
天馬が扉をノックしながらいつもの呑気な声で呼びかけると、応答の代わりに扉が開いて「執事」が顔を見せた。
「おや、あなたたちはこの前の……」
「やあどうも、実はこちらの奥様に折り入ってお願いしたいことがありまして、やってきました」
「お願い……と言いますと?」
「友人が勤めている会社の社長さんがこのところふさぎがちで、夜も眠れないらしいのです。そこで街にはない、気の病に効きそうな薬湯はないものかと思いまして……」
「ふうむ……少々、お待ちください」
「執事」が奥に下がると、流介は「大丈夫なのかい、あんな適当なことを言って」と天馬に尋ねた。
「大丈夫ですよ。和久間さんの居場所には大体のあたりをつけてありますし、あとは力任せに連れだしても構わないでしょう」
「全く君と言う人は緻密なんだか大胆なんだかわからないな」
流介が呆れていると、「執事」が再び姿を現し「お待たせしました。奥様がお会いになられるそうです。こちらへどうぞ」と屋敷に入るよう促した。
「執事」は流介たちを前回と同じ広間に通すと「今、奥様を呼んでまいります」と言って別室に姿を消した。
「飛田さん、奥の扉の脇に花瓶が置いてあるでしょう。眺めるふりをしてあのあたりにいて下さい」
「どういうことだい?」
「恐らくあの向こうに和久間さんがいるはずです。僕が合図をしたら飛びこんでください」
「そんな無茶な。仮に扉の向こうに和久間さんがいたとして、どうすりゃいいんだい」
「こっちの部屋に引っ張ってきてください。抵抗するかもしれませんが、そこを何とか説得して貰えると助かります」
「天馬君、ひょっとして一番難しい仕事を押しつけたのではあるまいね」
「とんでもない。簡単でやりがいのある、飛田さん向きの仕事ですよ」
「……どうだか」
流介は言われた通り奥の扉に近づくと、傍の台に置かれた花模様の花瓶を見つめた。
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