燭光8-⑹

1/1

4人が本棚に入れています
本棚に追加
/43ページ

燭光8-⑹

「もしもの話ばかりで何ひとつ、証拠がありませんわ」 「その通りです。僕らがここに来たのは殺人の方法や下手人の追及をするためではありません。居もしない伯爵の幻から和久間さんを解き放ち、街に連れ帰るためです」 「どうやら街で噂の船頭探偵を見くびっていたようね。大体はあなたの言った通りよ」 「では、伯爵なる人物などいないということを、お認めになるんですね?」 「ええ。奥の間にある木乃伊は私がある祠に祀ってあった物を盗んできたの。見世物にすれば少しは稼げるかと思ったけど、見栄えが悪すぎてどうにもならなかった。それで盗人を辞めて船宿の賄いをする飯盛女をやっていたの。そこへ現れたのが、当時羽振りの良かった船頭、宇賀上栄蔵よ。その店の飯盛女は貸座敷で男の相手もしていて、私と栄蔵は客と商売女の関係から男と女の関係になっていったの」 「それは、栄蔵が美音さんと親しくなる前の話ですか」 「そう。だから二人が一緒になると聞いた時は、意味がわからず目の前が真っ暗になった」 「これでわかりました。宇賀上栄蔵は兄の良蔵にとっては自分の女を奪った男、あなたにとっては自分を裏切った男というわけですね。そして妻の美音は良蔵を裏切り、あなたから栄蔵を奪った女。どちらも宇賀上夫妻を亡き者にしたいという企みを秘めていたのですね」 「ええ。宇賀上良蔵と出会ったことで、あたしの中に栄蔵と女房へ復讐するという思いが芽生えたというわけ」 「なるほど、これで全てが繋がりました。……となると残った謎は良蔵がどこにいるかだけです。木乃伊を架空の『伯爵』に見立てたり、薬園を営む『伯爵夫人』の噂を広めたりといった大掛かりなお芝居は到底あなた一人の力でできるものではない。良蔵がいるとすれば当然、常にすぐ近くにいて『伯爵夫人』を助けられる人間でなければならない。それは――」  天馬がそこまで言った瞬間、小夜が燭台を掴んで台座に仕込まれた短刀を引き抜いた。 「和久間は私が『伯爵夫人』を続けるために必要なんだ。連れてゆくというなら殺す」 「――駄目だっ」  興奮した小夜がつき出した短刀の刃は、天馬の前に立ちはだかった「執事」の脇腹にずぶりと吸い込まれた。 「……良蔵さん!」 「小夜さん、止血効果のある薬草を用意してください。……『良蔵』さん、お芝居は終わりです。たった今『狩押十郎伯爵』はこの世から消え去りました」  天馬は床にへたりこんでいる「執事」――宇賀上良蔵に語りかけると、慌てて薬棚の方に賭けてゆく『伯爵夫人』の背中を険しい表情で見据えた。
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加