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燭光2-⑶
弁天町にある『運動増進倶楽部』は、通りからみるとなるほど道場に見えなくもなかった。が、冠木門を潜って敷地内に入ると、そこは思い思いの格好をした人々が体操や格闘術などに没頭する先進的な空間であった。
何の心構えもないまま敷地の中に入った流介は、 広々とした敷地の一角でしゃもじのような形の道具を手に羽根を打ちあっている人影を見て目を丸くした。
「……えいっ」
「……はっ」
きびきびとした動きで羽根を打ちあっていた人物は、なんと天馬と安奈だった。天馬はいつもの洋装、安奈は着物に達付け袴という運動のためにあつらえたような格好だった。
「おおい、天馬君」
「やあ、飛田さんではないですか。……少々、お待ちください。今、取り込んでいるので」
天馬はそう言うと安奈が寄越した羽根を真上に打ち上げ、手の平で受け止めた。
「じゃあ天馬、私はお店に戻るわね」
「ああ、わかったよ」
「今度お店に来るときは卵と牛乳それからお醤油をわすれないでね」
「うん……まあ、事件がなければね」
安奈が凄みのある「天使の」笑みを浮かべ去ってゆくと、天馬は「飛田さん、今日いらしたのは体力増進のためですか?それとも『伯爵』の新しい手がかりですか?」と尋ねた。
「どっちでもないよ天馬君。実は例の『ハコダテ・パンチ』を訪ねてきてね」
「ああ、『ハコダテ・パンチ』ですか。面白そうな新聞ですね」
天馬がなるほどとうなずいた、その直後だった。後ろの方で聞き覚えのある声がして、安奈と声の主が早口でやり取りをし始めるのが聞こえた。
「あら紅様」
「おお安奈殿。安奈殿がここにいるということは、さては天馬も来ていますね?」
「いますよ」
流介の胸に嫌な予感が萌した瞬間、「ぬう天馬、こんなところにいたか。いざ勝負!」という叫びと共に凛々しい若侍――箱部紅三郎が姿を現した。
「やあベニー。君もここの会員なのかい?」
「ここで会ったが百年目、ちょうどいい天馬、そのラケットを構えるのだ。『バトルドア・アンド・シャトルコック』で勝負だ」
「へえ、ベニーもやったことがあるのかい」
「姉上の見様見真似だがな。俺の渾身の一打をお前が打ち損じれば、潔く負けを認めろ」
「それは君の場合も同じだよ、ベニー」
「そうかもしれん。だがお前に勝つことだけを考え日々、厳しい修行に勤しんでいる俺が負けるはずはない」
「そうかなあ。今まで君に負けた記憶が全然、ないんだけど」
「問答無用、いざ勝負!」
二人の若者はしゃもじ型の道具――ラケットというらしい――を構えると、羽根のような物を軽快に打ち始めた。かたや英国風のシャツを着た美青年、かたや御一新の前から来たような美剣士、その二人が鬼気迫る勢いで羽根突きをしている光景は異様ですらあった。
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