伸明 40

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「…正直ね…」 和子が、笑いながら、言う… 「…たしかに、十五年も、付き合っていれば、今さらね…今さら、結婚なんて、思わない…寿さんの気持ちはわかる…」 「…」 「…で、伸明のことは、どう思っているの?…」 この質問には、 「…」 と、答えなかった… すぐには、答えられなかった… だから、少し考えて、 「…凄いひとだと、思います…」 と、答えた… 「…凄いひと?…」 「…五井家の当主です…正直、雲の上のひとです…雲上人です…」 「…」 「…だから、憧れます…でも、結婚となると…身分違いというか…とても、私なんか…」 「…私なんか…なに?…」 「…不釣り合いです…」 「…でも、好きなんでしょ?…」 「…ハイ…」 「…それは、伸明が、お金持ちだから…お金持ちのボンボンだから…」 和子が、あからさまに、言う… 私は、遠慮なく、 「…それも、大きいです…」 と、言った… それを、聞いて、和子が、実に、楽しそうに笑った… 「…正直ね…寿さん…」 「…でも、伸明は、長身のイケメンよ…」 「…それを、言うなら、ナオキだって、長身のイケメンです…」 私が、勇んで言うと、和子が、またも、声に出して、笑った… 心底、楽しそうに、笑った… 「…まるで、推しメンね…」 「…エッ? …推しメン?…」 「…私と寿さんの推す、互いの推しメン…」 「…」 「…知らないの? …寿さん…若いひとが、好きなアイドルのことを、そう言うの…」 「…いえ、知りませんでした…」 「…寿さん…仕事ばかりじゃダメよ…息抜きが、必要…」 「…息抜き?…」 「…別に、アイドルの追っかけをやれと、言っているわけじゃない…ただ、仕事以外に、自分の好きなこと…読書でも、テレビドラマを見るのでも、なんでもいい…息抜きを作ること…それが、ないと、苦しくなっちゃう…」 「…苦しく?…」 「…そう…」 私は、和子の言葉を聞いて、もっともだと、思った… が、 私が、ナオキと出会ってから、その息抜きが、なかった… まったくと言って、なかった… それは、ジュン君が、いたから… まだ、若い私は、幼いジュン君の面倒を見ることで、精一杯だった… 同時に、やりがいを感じた… 息抜きは、なかったが、やりがいを感じた… 母が亡くなって、天涯孤独だった私に、家族が、できた… そんな感じだった… 家族といっても、疑似家族… ナオキが、私の夫で、ジュン君が、私の息子…  お金もなく、暇もなかったが、充実していた…  まだ若かった自分が、初めて、持った家族だったからだ…  母と二人きりだった私が、初めて、持った家族だったからだ…  だから、嬉しかった…  だから、充実していた…  だが、それを和子に言っても、どうなるものではない…  なぜなら、和子は、経験していないからだ…  経験していない人間に、言っても、実感は、湧かない…  たしかに、話はわかる…  理解はできる…  が、  実感は、できない…  当たり前だ…  経験していないから、当たり前だ…  私は、そう思った…  私は、そう考えた…  すると、和子が、  「…寿さんにとって、息抜きはなに?…」  と、ストレートで、聞いてきた…  直球で、聞いてきた…  だから、私は、今、考えたこと…  それを、正直に、口にした…  「…以前は、ジュン君でした…」  「…ジュン君?…」  「…ユリコさんの息子です…私は、今も言ったように、ジュン君と、ナオキと、いっしょに、暮らしていました…ユリコさんが、幼いジュン君を置いて、失踪したからです…だから、ジュン君の面倒を見ていました…」  「…」  「…正直、幼いジュン君の面倒を見るのは、大変でした…ですが、やりがいがありました…だから、息抜きは、ありませんでしたが、楽しかった…」  「…楽しかった?…」  「…ハイ…楽しかったです…なにより、充実していました…だから、大変でしたが、それでも、良かった…さっきも、言ったように、母子家庭で、育った私が、初めて、できた家族…それが、ナオキとジュン君でした…ナオキは、夫…ジュン君は、息子…まだ、高校生だった私が、こんなことをいうのは、おかしいですが、私たち3人は、家族…疑似家族でした…」  「…」  「…そして、その疑似家族は、本当に、疑似家族でした…」  「…どういう意味?…」  「…ジュン君は、ナオキの子供では、なかった…ユリコさんが、他の男との間にできたジュン君をナオキの息子だと、言っていたに過ぎなかった…」  「…」  「…だから、3人とも、血のつながりが、ない…正真正銘の疑似家族だった…」  私は、言った…  正直に、言った…  そして、私が、心中の思いを吐露すると、和子が、沈黙した…  きっと、どう返答していいか、わからない…  そんな感じだった…  が、  違った…  和子は、私に、  「…それは、これまでのことね…」  と、言った…  「…私が、聞きたいのは、これから…これから、寿さん…アナタが、どう生きてゆくか?…」  と、言った…  思いもかけないことを、言った…  だから、面食らった…  「…だって、そのジュン君は、今、刑務所にいるんでしょ?…」  「…ハイ…」  「…そして、藤原さんとも、家族…すでに、男女の関係はない…だったら、寿さん、これから、好きに生きることが、できるでしょ?…」  「…」  「…問題なのは、これから…これから、どう生きてゆくか、でしょ?…」  「…ハイ…」  「…さっきの長井さんも、そうだけど、アナタも同じ…そして、私も、同じ…」  「…和子さんも?…」  「…そう、同じ…私の使命は、五井を守り、五井家を守ること…そのために、五井長井家から、さっきの長井さんの父親を追放する…」  「…」  「…彼は、以前から、評判が、悪かった…だから、正直、どうしていいか、わからなかった…追放したいのだけれども、追放の名目がない…それが、今回の件で、その名目ができた…」  「…」  「…私の役割は、例えれば、道路掃除…」  「…エッ? …道路掃除?…」  「…伸明が、一人前になるまでに、伸明が歩く道の掃除をする…伸明が、歩きやすいようにする…」  「…」  「…そのために、五井家の分家といえども、容赦は、しない…すべては、伸明のため…そして、五井のため…五井が、未来永劫生き残るため…」  厳しい口調で、言う…  が、  それから、一転して、  「…でも、それも、つまらない人生よね…」  と、笑った…  自分自身を笑った…  「…でも、それが、宿命…五井に生まれた者の宿命…五井に生まれた以上、その宿命を背負って、生きてゆくしかない…」  自分自身に言い聞かせるように、言う…  「…でも、それは、やりがいはある…さっき、寿さんが、言った子育てと同じ…」  「…子育てと同じ?…」  「…五井を守る…伸明が一人前になるまで、伸明を育てる…それは、子育てと同じでしょ?…」  「…」  「…でも、子育ては、子供が、育てば、終わり…お役御免…」  「…」  「…そして、お役御免になれば、次の人生を考えなくちゃならない…」  「…次の人生って?…」  「…それが、今の寿さん…一方、私は、まだ、子育てが終わっていない…伸明が、まだ一人前になっていない…だから、伸明にまだ、バトンは、渡せない…五井を仕切らせることが、できない…」  「…」  「…それが、私と寿さんの違い…私と寿さんの立場の違い…」  和子が笑った…  少し寂しそうに、笑った…  それから、  「…寿さん…アナタの気持ちはわかる…」  と、続けた…  …私の気持ち?…  …私の気持ち? どんな気持ちなんだろ?…  が、  すぐに、和子が、  「…お金持ちに憧れる気持ち…」  と、言って、笑った…  「…お金持ちに憧れる…」  私が、つい、和子の言葉を繰り返すと、  「…立場が、違えば、私も同じ…」  と、言って、笑った…  爆笑した…  それから、  「…昔ね…なにかの本で、読んだことがあるの…」  と、笑いながら、言う…  「…それはね…なにもなくても、お金さえあれば、ひとは、寄ってくるって…」  「…エッ?…」  「…男でも女でも、ルックスが、良ければ、まずは、異性は、寄ってくる…ぶっちゃけ、モテる…」  「…」  「…でも、なにもなくても、お金さえあれば、ひとは、寄ってくる…ハッキリ言って、さえないルックスだったり、あまり、性格が良くなくても、寄ってくる…でしょ?…」  「…それは…」  「…世の中、そういうものよ…」  和子が、笑った…  「…だから、寿さんが、伸明に憧れるのは、わかる…私だって、同じ…寿さんと同じ…」  「…どう同じなんですか?…」  「…私が、寿さんだったら、伸明に憧れる…伸明と結婚したいと、思う…当たり前よね…」  和子が、笑った…  実に、楽しそうに、笑った…  そして、すぐに、一転して、真顔になった…  「…だから、困る…」  と、一転して、不機嫌な表情で、言った…  「…困る…なにが、困るんですか?…」  「…やたらと、女が寄ってくる…金目当てに、寄って来る…」  「…」  「…もっとも、伸明が、奥手で、むやみやたらに女に手を出さないから、いい…その点では、藤原さんと、真逆ね…」  この言葉には、苦笑するしかなかった…  「…でもね、たぶん、伸明も、本心では、藤原さんと、いっしょ…」  「…なにが、いっしょなんですか?…」  「…普通に女好き…きっと、本心では、藤原さんのように、遊びたいはずよ…」  「…ウソ?…」  「…ホントよ…でも、できない…」  「…どうして、できないんですか?…」  「…五井の当主だから…いえ、当主になる前は、次期当主ね…天皇家で言えば、皇太子…だから、天皇陛下ではないけれども、一挙手一投足を、周囲から、見られている…だから、できない…女遊びなんて、言語道断…」  「…」  「…だから、きっと、伸明は、藤原さんに、憧れていると思う…」  「…ナオキに憧れてる…」  「…きっと、本心では、藤原さんのように、遊びたいと、思っているに、違いないわ…」  「…ウソ?…」  「…ホント…」  「…そして、その藤原さんが、信頼する、寿さんだから、伸明も、寿さんが、好きなんだと、思う…」  和子が、言った…  実に、意外なことを、言った…                <続く>
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