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「…正直ね…」
和子が、笑いながら、言う…
「…たしかに、十五年も、付き合っていれば、今さらね…今さら、結婚なんて、思わない…寿さんの気持ちはわかる…」
「…」
「…で、伸明のことは、どう思っているの?…」
この質問には、
「…」
と、答えなかった…
すぐには、答えられなかった…
だから、少し考えて、
「…凄いひとだと、思います…」
と、答えた…
「…凄いひと?…」
「…五井家の当主です…正直、雲の上のひとです…雲上人です…」
「…」
「…だから、憧れます…でも、結婚となると…身分違いというか…とても、私なんか…」
「…私なんか…なに?…」
「…不釣り合いです…」
「…でも、好きなんでしょ?…」
「…ハイ…」
「…それは、伸明が、お金持ちだから…お金持ちのボンボンだから…」
和子が、あからさまに、言う…
私は、遠慮なく、
「…それも、大きいです…」
と、言った…
それを、聞いて、和子が、実に、楽しそうに笑った…
「…正直ね…寿さん…」
「…でも、伸明は、長身のイケメンよ…」
「…それを、言うなら、ナオキだって、長身のイケメンです…」
私が、勇んで言うと、和子が、またも、声に出して、笑った…
心底、楽しそうに、笑った…
「…まるで、推しメンね…」
「…エッ? …推しメン?…」
「…私と寿さんの推す、互いの推しメン…」
「…」
「…知らないの? …寿さん…若いひとが、好きなアイドルのことを、そう言うの…」
「…いえ、知りませんでした…」
「…寿さん…仕事ばかりじゃダメよ…息抜きが、必要…」
「…息抜き?…」
「…別に、アイドルの追っかけをやれと、言っているわけじゃない…ただ、仕事以外に、自分の好きなこと…読書でも、テレビドラマを見るのでも、なんでもいい…息抜きを作ること…それが、ないと、苦しくなっちゃう…」
「…苦しく?…」
「…そう…」
私は、和子の言葉を聞いて、もっともだと、思った…
が、
私が、ナオキと出会ってから、その息抜きが、なかった…
まったくと言って、なかった…
それは、ジュン君が、いたから…
まだ、若い私は、幼いジュン君の面倒を見ることで、精一杯だった…
同時に、やりがいを感じた…
息抜きは、なかったが、やりがいを感じた…
母が亡くなって、天涯孤独だった私に、家族が、できた…
そんな感じだった…
家族といっても、疑似家族…
ナオキが、私の夫で、ジュン君が、私の息子…
お金もなく、暇もなかったが、充実していた…
まだ若かった自分が、初めて、持った家族だったからだ…
母と二人きりだった私が、初めて、持った家族だったからだ…
だから、嬉しかった…
だから、充実していた…
だが、それを和子に言っても、どうなるものではない…
なぜなら、和子は、経験していないからだ…
経験していない人間に、言っても、実感は、湧かない…
たしかに、話はわかる…
理解はできる…
が、
実感は、できない…
当たり前だ…
経験していないから、当たり前だ…
私は、そう思った…
私は、そう考えた…
すると、和子が、
「…寿さんにとって、息抜きはなに?…」
と、ストレートで、聞いてきた…
直球で、聞いてきた…
だから、私は、今、考えたこと…
それを、正直に、口にした…
「…以前は、ジュン君でした…」
「…ジュン君?…」
「…ユリコさんの息子です…私は、今も言ったように、ジュン君と、ナオキと、いっしょに、暮らしていました…ユリコさんが、幼いジュン君を置いて、失踪したからです…だから、ジュン君の面倒を見ていました…」
「…」
「…正直、幼いジュン君の面倒を見るのは、大変でした…ですが、やりがいがありました…だから、息抜きは、ありませんでしたが、楽しかった…」
「…楽しかった?…」
「…ハイ…楽しかったです…なにより、充実していました…だから、大変でしたが、それでも、良かった…さっきも、言ったように、母子家庭で、育った私が、初めて、できた家族…それが、ナオキとジュン君でした…ナオキは、夫…ジュン君は、息子…まだ、高校生だった私が、こんなことをいうのは、おかしいですが、私たち3人は、家族…疑似家族でした…」
「…」
「…そして、その疑似家族は、本当に、疑似家族でした…」
「…どういう意味?…」
「…ジュン君は、ナオキの子供では、なかった…ユリコさんが、他の男との間にできたジュン君をナオキの息子だと、言っていたに過ぎなかった…」
「…」
「…だから、3人とも、血のつながりが、ない…正真正銘の疑似家族だった…」
私は、言った…
正直に、言った…
そして、私が、心中の思いを吐露すると、和子が、沈黙した…
きっと、どう返答していいか、わからない…
そんな感じだった…
が、
違った…
和子は、私に、
「…それは、これまでのことね…」
と、言った…
「…私が、聞きたいのは、これから…これから、寿さん…アナタが、どう生きてゆくか?…」
と、言った…
思いもかけないことを、言った…
だから、面食らった…
「…だって、そのジュン君は、今、刑務所にいるんでしょ?…」
「…ハイ…」
「…そして、藤原さんとも、家族…すでに、男女の関係はない…だったら、寿さん、これから、好きに生きることが、できるでしょ?…」
「…」
「…問題なのは、これから…これから、どう生きてゆくか、でしょ?…」
「…ハイ…」
「…さっきの長井さんも、そうだけど、アナタも同じ…そして、私も、同じ…」
「…和子さんも?…」
「…そう、同じ…私の使命は、五井を守り、五井家を守ること…そのために、五井長井家から、さっきの長井さんの父親を追放する…」
「…」
「…彼は、以前から、評判が、悪かった…だから、正直、どうしていいか、わからなかった…追放したいのだけれども、追放の名目がない…それが、今回の件で、その名目ができた…」
「…」
「…私の役割は、例えれば、道路掃除…」
「…エッ? …道路掃除?…」
「…伸明が、一人前になるまでに、伸明が歩く道の掃除をする…伸明が、歩きやすいようにする…」
「…」
「…そのために、五井家の分家といえども、容赦は、しない…すべては、伸明のため…そして、五井のため…五井が、未来永劫生き残るため…」
厳しい口調で、言う…
が、
それから、一転して、
「…でも、それも、つまらない人生よね…」
と、笑った…
自分自身を笑った…
「…でも、それが、宿命…五井に生まれた者の宿命…五井に生まれた以上、その宿命を背負って、生きてゆくしかない…」
自分自身に言い聞かせるように、言う…
「…でも、それは、やりがいはある…さっき、寿さんが、言った子育てと同じ…」
「…子育てと同じ?…」
「…五井を守る…伸明が一人前になるまで、伸明を育てる…それは、子育てと同じでしょ?…」
「…」
「…でも、子育ては、子供が、育てば、終わり…お役御免…」
「…」
「…そして、お役御免になれば、次の人生を考えなくちゃならない…」
「…次の人生って?…」
「…それが、今の寿さん…一方、私は、まだ、子育てが終わっていない…伸明が、まだ一人前になっていない…だから、伸明にまだ、バトンは、渡せない…五井を仕切らせることが、できない…」
「…」
「…それが、私と寿さんの違い…私と寿さんの立場の違い…」
和子が笑った…
少し寂しそうに、笑った…
それから、
「…寿さん…アナタの気持ちはわかる…」
と、続けた…
…私の気持ち?…
…私の気持ち? どんな気持ちなんだろ?…
が、
すぐに、和子が、
「…お金持ちに憧れる気持ち…」
と、言って、笑った…
「…お金持ちに憧れる…」
私が、つい、和子の言葉を繰り返すと、
「…立場が、違えば、私も同じ…」
と、言って、笑った…
爆笑した…
それから、
「…昔ね…なにかの本で、読んだことがあるの…」
と、笑いながら、言う…
「…それはね…なにもなくても、お金さえあれば、ひとは、寄ってくるって…」
「…エッ?…」
「…男でも女でも、ルックスが、良ければ、まずは、異性は、寄ってくる…ぶっちゃけ、モテる…」
「…」
「…でも、なにもなくても、お金さえあれば、ひとは、寄ってくる…ハッキリ言って、さえないルックスだったり、あまり、性格が良くなくても、寄ってくる…でしょ?…」
「…それは…」
「…世の中、そういうものよ…」
和子が、笑った…
「…だから、寿さんが、伸明に憧れるのは、わかる…私だって、同じ…寿さんと同じ…」
「…どう同じなんですか?…」
「…私が、寿さんだったら、伸明に憧れる…伸明と結婚したいと、思う…当たり前よね…」
和子が、笑った…
実に、楽しそうに、笑った…
そして、すぐに、一転して、真顔になった…
「…だから、困る…」
と、一転して、不機嫌な表情で、言った…
「…困る…なにが、困るんですか?…」
「…やたらと、女が寄ってくる…金目当てに、寄って来る…」
「…」
「…もっとも、伸明が、奥手で、むやみやたらに女に手を出さないから、いい…その点では、藤原さんと、真逆ね…」
この言葉には、苦笑するしかなかった…
「…でもね、たぶん、伸明も、本心では、藤原さんと、いっしょ…」
「…なにが、いっしょなんですか?…」
「…普通に女好き…きっと、本心では、藤原さんのように、遊びたいはずよ…」
「…ウソ?…」
「…ホントよ…でも、できない…」
「…どうして、できないんですか?…」
「…五井の当主だから…いえ、当主になる前は、次期当主ね…天皇家で言えば、皇太子…だから、天皇陛下ではないけれども、一挙手一投足を、周囲から、見られている…だから、できない…女遊びなんて、言語道断…」
「…」
「…だから、きっと、伸明は、藤原さんに、憧れていると思う…」
「…ナオキに憧れてる…」
「…きっと、本心では、藤原さんのように、遊びたいと、思っているに、違いないわ…」
「…ウソ?…」
「…ホント…」
「…そして、その藤原さんが、信頼する、寿さんだから、伸明も、寿さんが、好きなんだと、思う…」
和子が、言った…
実に、意外なことを、言った…
<続く>
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