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「あああーー!!!」
真坂時宗は、天に向かって叫んだ。キッチンから大声で叱る母さんの声が届きつつも、絶望感に襲われ気にする余裕などなかった。
「なんでこうなるんだ。タケちゃんからもちゃんとやれよって言われたのに」
タケちゃんこと武田先生。高校1年の頃からの担任で、2年になってもタケちゃんが俺の担任だった。そんなタケちゃんから、夏休み前に言われたセリフがこちら。
「いいか、真坂。今回夏休みの課題を出さなかったら……」
「だ、出さなかったら?」
「留年確定だ」
単位制の俺の学校は、課題で基礎点を貰える。夏休みの課題には、それが大きく振り分けられているというわけだ。留年はまずい。さすがに怒られるという話じゃ済まなくなってきた。
夏休み明けの登校時間まで約10時間。俺の前には基礎科目の課題と読書感想文。終わるのか、本当に終わるのか?
いや無理だ。絶対に無理だ。空から槍を降らせる方が簡単に決まってる。
ここで、以前母さんから言われた言葉を思い出した。
「あんた、課題放ってばっかで……留年したらどうなるか、わかってるわよね?」
これは走馬灯なんじゃないだろうか。もしかすると、夏休み最終日というのは、嘘かもしれない。そうだ、これはきっと夢だ。
なわけあるかい!
嘘でも夢でもない、紛れもない事実だ。ということは、俺、やばい、課題、終わらない、なう。はは、SNSで呟いてくるか。
馬鹿野郎、そんなことしてる暇があったら1文字でも課題を進めろよ馬鹿野郎。
幸い、課題には正答が示されたプリントが付属している。丸写しという行動を取れば、何とか課題は終わるだろう。読書感想文以外は。無駄に厳しい現国の教師は、ネットから写したり、誰かのを写したりすれば、次のテストの点をゼロにすると脅してきた。バレるわけないだろと高を括るのはよそう。俺には留年がかかっているんだ。若気の至りは1年の頃にやめた。
「くそっ……誰か夏休みを、夏休みを延長してくれぇええええ!!」
_ぇぇええええ!!!……え?
時計を見た。日付も同時に見られるデジタル時計には、20XX年7月26日と表示されている。7月26日ってことは、夏休み初日。待て待て待て待て! おかしいだろ、俺は今まさに、夏休み明け目前で課題が終わらないと嘆いいたんだ。なのに、夏休み初日なんて有り得ないだろ。
夢だ、これこそ夢に違いない!! 起きろ、俺。寝てる暇なんてないぞ。
「時宗ー、夏休みだからっていつまで寝てんの? 早くご飯食べなさい」
リアルだな。母さんの声まで聞こえてきた。ほら〜、早く起きろ俺〜。
「時宗! いいかげん起きなさい!」
「いま起きようとしてんだよ!」
「何わけのわからないこと言ってんの!」
う、嘘だろ。これ、現実なのか?
もしかして、さっきまでやっていた課題不滅事変の方が夢だったってことか?
………………。
なぁんだ、ラッキー!
じゃあ心置きなく夏休みを楽しみますか。
なんて呑気なことを考えていた。
夏休み中にあった友人との遠出も、家族でのバーベキューもどこか見覚えがあって、初めてやったとは思えない。金曜の夜にやってた有名なアニメ映画も、初公開のはずの映画も、なぜか俺は知っていた。
これも夢で見たって言うのか? そんなはずない。
そして迎えた、夏休み最終日。
「あああーー!!」
目の前には1ミリも進んでいない課題。キッチンから聞こえた母さんの叱る声。
「なんでこうなるんだ。タケちゃんからもちゃんとやれよって言われたのに」
やけに口馴染みのいい自分の言葉。この課題を明日提出出来なければ、俺の留年は確定だ。
「くそっ……誰か夏休みを、夏休みを延長してくれぇええええ!!」
あれ? このセリフ、前も言わなかったっけ?
20XX年7月26日。夏休み初日だ。
「え?」
やっぱりおかしい。今までのは絶対夢じゃない。夏祭りにも行った、花火も見た、バーベキューもした。さっきまで課題が終わってないって嘆いてた。俺の課題締切は、延長されたのか? もう昼近く、もうすぐ母さんが……。
「時宗ー、夏休みだからっていつまで寝てんの? 早くご飯食べなさい」
ほらやっぱり。夏休みだからって。母さんはそう言った。つまり俺の時計が壊れているわけじゃない。本当に夏休みなんだ。
あまりSFものを見るわけじゃないが、自分のこの状況は、タイムリープと言えると思う。だって、あの課題締切の恐怖から一気に、余裕を持っていた夏休み初日へと還って来ているのだから。たぶん、前回もそうなんだ。俺は、タイムリープを2回もしてしまった。
冷や汗が吹き出してきた。このとんでもない事象に、どんなリアクションをとることが正解なんだろうか。
親に話すべきなのか。いや、きっと信じてもらえない。タケちゃんに相談する。ダメだ、馬鹿なこと言うなって笑われる。
不安にかられた俺は、スマホを開き本来なら課題が終わらないと愚痴っていた相手を見つける。
俺、タイムリープしてるかも。
すぐに既読になった。だが、10分ほどしても返信が来ない。無視かなと諦めた時、通知音楽鳴った。
原因を探そう。
意外にも、真面目に返ってきた答え。呆気にとられてしまったが、それが心の救いになった。
そうだ、原因を考えないと。返信を忘れ、考え始めると、通知は通話のものに変化した。
「時宗、大丈夫か」
「ごめんな、大樹。変なDM送ってさ」
「いいって。タイムリープって、毎回初日に戻ってるのか?」
「そうなんだよ」
大樹は、幼稚園からの仲だ。高校も同じ所に通っているが、成績は真逆。優秀で真面目な大樹は、教師からも生徒からも信頼がある。
大樹は、夢みたいな俺の話を最後まで真剣に聞き、原因は課題なんじゃないかと切り出した。
「じゃあ、課題を終わらせれば夏休みも終わるのかな」
「ものは試しだ、さっそく明日から取りかかるぞ」
「えー……」
「またタイムリープしたいのか?」
「うっ……が、頑張ります」
大樹の助言に従い、課題に取り組んだ。ただし、解答丸写しで。しっかり解く、なんて発想は俺にはないのだ。自力で解くとすれば得意な歴史の課題ぐらい。あとは知ったこっちゃない。
難解な読書感想文も、薄い1冊を片手に何とかやり終えて、あとは再び夏休みを満喫した。すまんなみんな、俺のせいで何度も夏を繰り返させてしまって。でもそれもこれで終わりだ。新学期、しっかり日に焼けた姿で会おうじゃないか。
そして迎えた3度目の最終日。
「課題は?」
「終わってるよ」
「よし。それなら日付が変わるまで通話を繋げたままにしよう。1秒でも明日になれば、タイムリープは終わったと考えていいだろう」
「ありがとうな、大樹」
「いいさ。貴重な体験をさせてもらったよ」
くすくすと控えめな笑い声が聞こえた。大樹は、この状況を意外と楽しんでいるのかもしれない。俺も、大樹が信じてくれたことで、孤独だと思うことはなく、いくらか不安も消えた。
「そろそろだな」
「よし、10、9、8……3、2、1」
20XX年8月31日 23:59 59
それが最後に見た時計の数字だ。あと1秒もすれば、新学期の夜が始まるはずだった。
20XX年7月26日。それが目の前の時計に示された日付。考えるまでもない。またしても俺は、夏休み初日へと戻っていた。
「……宗! 時宗!」
我に返ると、通話が繋がったままということに気がついた。もしかして、大樹も一緒にタイムリープしているんじゃないだろうか。
「僕たち、さっきまで8月にいたよな?」
「覚えてるのか?」
「どうやら僕も、お前の現象に巻き込まれたみたいだな」
「ごめん」
「だからいいって。それよりも、抜け出す鍵は課題じゃなかったってことか」
そうだ、今回俺は、1ページも見落とすことなく課題をやり遂げた。にもかかわらず、またしてもこの日に帰ってきたんだ。振り出しに戻ってしまった。
このタイムリープを抜け出すには、どうすればいいんだろうか。
「あ、もしかして……」
「心あたりがあるのか?」
「あの、か、課題をさ……、丸写ししたから、かな〜って」
そうして俺は、大樹大先生の指導のもと、課題を実施することとなった。少し考えてわからない時に、チラリとでも解答を見ようとすれば、大樹の叱責がとんでくる。見るな、バカタレ、やめろ、やる気あるのか?
友人同士でなきゃ誰かに言い過ぎだと怒られそうだ。しかし、大樹は心を鬼にして……たぶん本心じゃないと思う、きっとそうだ。心を鬼にして、俺の面倒を見てくれた。
読書感想文も今回は頑張ってみた。大樹おすすめの本で、ページ数は多いけど、比較的読みやすかった気がする。適当な感想じゃなく、ちゃんとどこが面白かったのかとか、印象に残った箇所を明記した。辞書を乱用したおかげで、少し語彙力も上がった気がする。
課題の件もあって、今回の夏休みはわりと大樹と過ごしていたかもしれない。
図書館で課題をやり、まだ暑い夕方。近くのコンビニでお礼を兼ねて、大樹にアイスを奢った。溶けるのが早くて、急いで食べ進める。
「なんか、こうやって大樹と遊んだの、久しぶりかもな」
「小学生ぐらいの時は、わりと高頻度で互いの家に遊びに行ってた気がする」
「そーそー! 大樹の家はゲーム禁止だから俺の家でやって」
「出てくる菓子は僕の家の方が豪華だからって、菓子だけ食べに来たな」
「うわ、懐かしー! だってケーキ出てくるんだぜ! めっちゃいいじゃんか」
「母の手作りだけどな」
「すげぇ美味かった!!」
俺の大きな声に、静かで落ち着いた声で大樹が返してくる。声の高さも背丈も変わったのに、会話のテンポは相変わらずだ。
「俺たち、なんで遊ばなくなったんだろうな」
「……この関係性がいつまでも続くと思ってたんだ。歳を重ねても、変わらずどこまでも続くって」
「けど、そうじゃなかった」
「ああ。そうだ」
ジワジワと暑さが全身を包んでくる。会話が途切れて、蝉と子供の声が耳に届いた。
「あのさ。タイムリープ終わったら、また遊ばなくなるのかな」
「それはちょっと寂しいな」
「ちょっとかよ」
ただし。そう言って大樹はアイスの棒を、俺に向けた。かすれかけた字で、あたり。少し細いじで、もう一本もらえる、そう書いてある。あとで、大樹のアイスを交換してこよう。
「僕と遊ぶなら、課題も一緒に終わらせてからだ」
「うっ……わ、わかった」
またスパルタ大樹大先生からご指導いただくとしよう。
そして迎えた、3度目の夏休み最終日。電話は繋げなかった。2人して、なんとなく大丈夫な気がしていた。時計の針を見つめ、明日を待つ。
カチ、カチ、カチ、カチ。規則的な針のリズムと、夏休みを惜しむ気持ち。この夏は、思ったよりも楽しかった。来年も、こうやって過ごせたら楽しいだろう。あ、受験勉強があるのか。大樹、助けてくれっかな。
針が12時を越えた。俺はようやく、2年の夏を終えたのだ。
じゃあ学校で。
そんなメッセージを大樹に送り、夏休みに別れを告げた。
夏休みを終える本当の条件はなんだったのだろう。本当に延期されてしまう課題だったんだろうか。親友と過ごした夏を振り返り、密かにそんな思いを抱いた。
「……っていう話を書きました!」
「あのな、時宗」
呼び出しを食らったが、堂々と自信作の話を終える。目の前に座るタケちゃんは、なぜか呆れ顔だ。
「書き上げたことは褒めてやる」
「あざっす!」
「だが課題は読書感想文だ、短編小説じゃない!」
こうして、夏休みを終えた俺は、放課後の補習を追加されたのだった。
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