誰もいない旅館~次々と客たちが消失していくミステリー~

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 どれくらい待っただろう。  みすず旅館の従業員は誰ひとりやってこない。  しびれを切らした女の子たちが荷物を持ち上げる。 「もういい、行こ行こ」と言いながらさっさと奥へと行ってしまった。  勝手に温泉に入る気である。  さすがにそれはマズイだろう、とは思ったが口には出さなかった。  いけないのは、ここの旅館だ。  文句を言われる筋合いはない。  僕も、早く温泉には入りたかったが、やはり従業員が出て来るまで待つことにした。  それよりも、と少し違和感を覚える。  僕のあとに降りて記念撮影をしていた老夫婦がやってこない。  それほど夢中にシャッターを切っているのだろうか。  漠然とした不安を抱えながら、玄関の窓に目をやる。  僕らを送り届けてくれたマイクロバスがまだ停まっていた。エンジンがかかったままのようだ。  そうだ、従業員がいないならあの運転手さんに聞こう。  そう思って、僕はスリッパを脱ぎ捨てると靴を履き、外に出た。  いそいそとバスに向かう。  辺りは、異様な静けさだった。バスのエンジン音だけが響き渡っている。 「あの、すいません」  開け放たれたドアから声をかけると、運転席には誰もいなかった。  おかしいな、と思いながらバスの周囲をぐるりとまわる。  やっぱり、どこにもいない。  トイレにでも行ってしまったのだろうか。  仕方なく老夫婦を探すことにした。  富士山の見える高台に立って夢中にシャッターを切っていた2人。  しかし、老夫婦の姿はどこにもなかった。  他に遊歩道のような道はない。  高台で写真だけ撮れば、他には何もないように見える。  いったい、どこへ行ってしまったんだろう。  僕は、急激に心臓が高鳴るのを感じた。  何か、おかしい。  慌てて旅館の中へと戻ると、ロビーには2人の男が雑誌をパラパラと眺めているだけで、やはり従業員の姿はどこにもない。 「あ、あの……」  僕は思い切って若いほうの男に声をかけた。 「ん?」  といった顔で、ソファに座りながら僕を見上げる。 「あの、僕のあとに降りたおじいさんとおばあさんが、いないんですけど」  男は、きょとん、という顔をした。  それはそうなるだろう、と僕は思った。  自分だって、何が言いたいのかよくわからない。 「バスの運転手さんもいなくて……、エンジンはかかってるんですけど、姿が消えてて……。おじいさんとおばあさんがどこに行ったか、知りませんか?」  支離滅裂なことを口走っているのはわかっている。  しかし、何かがおかしい。  僕はこの現状に異常事態を感じていたのだ。 「おじいさんとおばあさん? いや、見てないけど……」  その時、勝手に奥へと行ってしまった3人組の女の子たちが青ざめた顔で戻ってきた。 「あ、あの……」  彼女たちはひどく怯えているようだった。  その姿に、僕の緊張感も高まる。 「どうしたんだい!?」  そのただならない雰囲気に、若い男は立ち上がった。  中年の男は雑誌をテーブルに置いて注視するだけだ。 「あの、なんて言えばいいか……。誰もいないんです」  女の子の一人がそう言った。 「誰もいない?」  若い男が訝しげな眼を向ける。 「人がいる気配はするんです。でも、誰もいないんです」
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