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オカルトじみた言葉に、中年の男が「ふん」と鼻で笑う。
しかし、僕は笑う気にはなれなかった。
現に、さっきも僕はシャトルバスにおいてそれを感じたのだ。
エンジンがかかりっぱなしのバス。しかし、運転手がいない。
「先生、ちょっと見てきます」
若い男が中年の男に頭を下げると、女の子たちに付き従って奥へと進んで行った。
強烈な違和感を感じていた僕もあとに続く。
赤い絨毯が敷き詰められた広い通路を大浴場の看板に従ってひたすら突き進んでいく。
かなり大きな旅館のようだが、いっこうに従業員の姿が見えない。僕の心臓は高鳴りっぱなしだった。
と、目の前に大浴場の看板が見えてきた。
男湯の青いのれんと女湯の赤いのれんとに区切られている。
そこまで来ると、女の子の一人が言った。
「さっき、女湯に入ったんですけど、誰かがいる形跡はあるのに、誰もいないんです。そっちの方も見てもらえませんか?」
震える声で泣きそうな顔になっている。
若い男と僕は、その声に促されるように男湯ののれんをくぐった。
中は、広々とした脱衣所だった。
ところどころ、ロッカーが開いている。
巨大な扇風機が大きな音を立てて首を回していた。
僕は、すぐにその違和感に気付いた。
誰もいない。
いないだけならまだしも、すべてが中途半端である。
洗面台には、使いかけのドライヤーが音を立てて放置され、床には飲みかけの牛乳がビンごと落ちている。開け放たれたロッカーには、他の客のものであろう下着類が引っ張り出された直後のように引き出され、床にぶちまけられていた。
自動販売機には、硬貨が入れられたばかりのようで、購入のランプが点灯したままである。
明らかに、おかしい。
僕は浴場に入る扉を開けると、中を見渡した。
シャワーホースがいくつも散乱して、勢いよくお湯を噴き出させている。
洗面器には泡立ったお湯がたまっており、今まさに誰かがそこで身体を洗っていたかのような状態だった。
サラサラとお湯が流れ続ける浴槽には、いくつものタオルが浮かんでいる。
まるで、そこにいた人たちがいっせいに消えてしまったかのような光景だった。
「これは……」
男が目を見張っている。
僕もきっと同じ顔をしているだろう。
この目で見ても、信じられない。
急いで浴場から出て、すぐに女の子たちのもとへと戻った。
「誰もいない」
男の言葉に、さらに女の子たちの顔が青ざめる。
いったい、どうなっているのか。
僕らは、とりあえずロビーへと戻ることにした。
今まであまり気にしてはいなかったけど、帰り道の通路でも、その違和感は健在だった。
あまりに静かすぎる。
無音。
その言葉がまさにぴったりであった。
ロビーに戻ると、ソファに座っていたはずの中年の男がいなくなっていた。
「先生?」
若い男が声をかける。
ソファの下には、中年の男が読んでいた雑誌が落ちている。
「先生、うつの先生!?」
その名前で、ピンときた。
中年の男性は、どうやら作家さんらしい。
うつのけいご。
ミステリー作家で、名前は聞いたことがある。
取材か何かで訪れたということか。
それはともかく、その中年の男の姿が消えたことにより、僕らはいよいよ恐慌状態に陥った。
「いやあああ!! なによこれ、どうなってるの!?」
女の子の一人が叫ぶ。
慌てて別の子がその子の肩をしっかりとつかんで抱き寄せる。
「とりあえず、警察に……」
若い男がそう言ってロビーに置いてある電話に手を伸ばした。
その瞬間、壁掛け時計の鐘がゴーンと鳴った。
びくり、としてそちらを向く。
午後3時。
時計の針はその時刻を示していた。
ホッと胸をなで下ろしたのもつかの間。
振り返ると、男の姿が消えていた。
さっきまで、電話に手を伸ばそうとしていたはずなのに。
いや、実際受話器が外れている。
その瞬間、女の子たちがパニックを起こした。
「きゃあああぁぁ!!!!」
「なによ、なんなのよ、もう!!!!」
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