ラストプログレス ~最後のひと伸び~

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 延岡はこれまでの人生で一番の幸せを感じていた。  9秒台の記録を出して、大会でも優勝した延岡は、再び注目の選手となり、オリンピック候補と言われるようにもなった。  延岡を見る周りの目も変わった。誰も彼を「いつまでも壁を突破できないもう終わった選手」などとは思わなくなった。  そして、ドーピング検査にも引っかからなかった。 「結局あの薬はドーピング剤のような不正な薬でも何でもなかったんだ」  延岡は満足そうにうなずく。 「あれはひと伸びする薬でも何でもなかったんだ。あれは単に少し自分をやる気にさせるきっかけに過ぎなかったんだ。つまり、あのタイムは薬の力じゃない。自分の実力のみで出したものなんだ」  自分を納得させるように何度もうなずく。 「そうだ。俺は不正行為など何もしていない」  何度も何度もつぶやきながらうなずく。 「俺はまだまだ自分のタイムを伸ばすことができる。これからもずっと……」  しかし、優勝して一か月が経った頃から、延岡は人前に姿を見せることがなくなった。  そして、それから数か月後に、延岡は現役引退を発表した……。
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