1周目:最愛の姫君の死

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1周目:最愛の姫君の死

   エスターラント王国。夜明け前の王宮で事件は起こった──。   「なんてことだ……。すべてが遅かった……!」    騎士スタンレイ・シグルドは王女ミレーネ・ファーヴァニルの体を抱き上げ嘆いた。彼女の胸にはナイフが突き刺さっており、ドレスの胸元が赤黒く染まっている。   (死んでいる……!)    瞳は固く閉ざされたまま。緩く結ばれた薄い唇は人形のようで、絶命直前の苦しさはまるで伝わってこない。   (なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだ……! どうしてこんなことになった)    姫がいつ命を引き取ったのかはわからない。固く冷たくなった体から、数時間前に死亡したと思われる。    スタンレイはウェーブがかったミレーネ姫の髪をゆっくりと撫でた。髪は乱れた様子はなく、眩いほど金色に輝いている。    姫の部屋は何者かに侵入され、荒らされた形跡がないことから想像できる死亡理由は……。   (自害?)    自殺に駆り立てられるほど、姫は追い詰められていたと言うのか。   (なぜこの時期に……!?)    タイミングは非常に悪かった。ミレーネ姫は婚姻のためランドル公国に旅立つところだったのだ。  人生の門出、そのひと月前に起こった悲劇──。    思い出すのは微笑む彼女の様子や幼い頃に一緒に笑い合った懐かしい日々のことばかり。胸が張り裂けそうになる。   「うっ……」    目眩が襲ってきて、スタンレイは目を細めた。ぼぅっとして頭が働かないばかりか、くらくらと視界が歪む。    非常事態だというのに夜の王宮は不気味なほどに静まり返っていた。    ──それもそのはず。近衛兵や侍従、侍女に至るまで、王宮内の人間は眠らされていたのだ。    衛兵の役目を交代し、王宮内の詰所で休憩を取っていた夕刻以降、スタンレイの記憶が途切れた。きっとその時、何者かに薬を盛られたのだ。目眩も眠気も薬の後遺症と思われる。    目覚めて異変を感じ、真っ先にミレーネ姫のもとに駆けつけた。衛兵は眠りこけており、王族の部屋に続く廊下を素通りしてきた。平常時ではあり得ない。    王宮の全員が眠らされているなんて、異常事態だ。    陰謀としか思えなかった。  ミレーネは自害していたことから、自身に迫る危機を察していたのだろうか。    スタンレイははっと息を飲んだ。   (デュカリオン様が危ない……!)      その人は、最も守るべき存在──ミレーネ姫の兄王、デュカリオン。この王国を統べる聖王である。    こちらに近づいてくる何者かの気配に気づき、スタンレイは息を殺した。  部屋の扉に耳をあて耳を澄ますと、不気味に静まり返った王宮に響く靴音が聞こえてくる。おそらく人物は二人。  声を抑えて話しているようだが、あまりに静かすぎるため、囁き声は反響し容易に聞き取ることができた。      その声は、馴染みのある声だった──。   「うまくいったか?」   「はっ、抜かりなく。王は絶命しました。暗殺役の騎士も処分したので、我々の計画は誰も知らぬものに……」   「よくやった。あとはミレーネ姫だ。目を覚ます前に捕まえるのだ」      耳を疑った。  声の主は聖王が信頼を寄せているはずの宰相イーゴルと王宮騎士団長トリスタンだったからだ。    謀反を謀った事実が信じがたく、スタンレイはその場に凍りついた。    足音はどんどんこちらに近づいてくる。たが、足取りはゆったりとしており、焦りは感じられない。王宮の人間全員が眠りに落ちていると、彼らは思い込んでいるのだ。    一方、スタンレイは額からどっと汗をかいていた。刻一刻と大きくなる足音に焦りが募る。  ミレーネを腕に抱き抱えたまま、ガクガクと震え出した。    恐れではない。怒りだ。  心のなかで静かに炎が燃えている。    どうしようもないほど手と腕に力が入り、震えを抑えることができない。今すぐにでも腰元に佩いた剣を抜き、彼らに襲い掛かりたい。衝動を必死に押し殺し、その反動が震えとして現れていた。    いつでも斬りかかれるように腰に佩いた剣に触れる──。    手が震え、剣の柄を握れない。カチャカチャと目障りな音が鳴るだけだった。    一矢報いたいのに、これでは剣を抜くことすら難しい。スタンレイはその場から動くことが困難になっていた。体が動かない。その間にも、コツ、コツと、足音がこちらに迫ってくる。      ミレーネをつれて逃げようにも──姫はもうすでに死んでいる。  顔は青白く、生前の生き生きとした彼女の様子と比べると別人のようだ。それでも、静かに眠る姫は陶器のように美しかった。   (俺は……どうしたら……!?)    スタンレイはすがるようにミレーネの亡骸を抱きしめた。  すると不思議なことに迷いは消え、瞳に熱い使命感が灯った。  姫をお守りする騎士ならば愛しい姫が陵辱されることを許してはならない。 「ミレーネ様……」    永遠の眠りについたはずのミレーネの目元に、キラリとなにかが光った。      涙──。  それはスタンレイ自身の涙だった。      次から次へと涙が零れ落ち、ぼとぼととミレーネの顔を打つ。   「あなたの御身は、このスタンレイがお守りします」      腕の中で静かに眠るミレーネの顔に涙の雨が降り注がれた。    姫を守る。それは亡き聖王、デュカリオンとの約束でもあった。 『ミレーネのことをよろしく頼んだよ』と。      身分不相応なのは承知の上で、スタンレイは紫がかったミレーネの唇に、自身の唇を重ねた。      その瞬間、先程よりも強い目眩が襲った。  空間がねじ曲げられ、視界は閃光に包まれた──。                △ △ △ △ △            ▽ ▽ ▽ ▽ ▽       「さぁ、スタンレイ。ここに判を」    頬を撫でるそよ風のような優しい声に、スタンレイは驚いて目を見開いた。   「デュ、デュカリオン様っ!?」    目の前に居るのは、死んだはずの聖王デュカリオン──その人だった。
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