伸びる道

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スケートをするみたいに、スースーッと足を運べば、道はドンドン伸びて行って、やがて、到着するべきところに到着するんだ、とタローは信じていた。 そうなんだ、伸びる伸びる、道は伸びる。伸びる先に、何かが待っている。 だから、スケートをしているみたいといっても、じっさいスケート靴など履いていなくて、素足に(靴下も履かないで!)古ぼけたズックだけ履かせているだけのことで歩き続けている。それでも疲れなんて感じないのだよとタローは強がってもいられた。 何かが、待っている。この予感が、すべてだった。 そのうち、お腹が減って来たので、コンビニで、〝シソの香りがします、シソの実の粒粒も入っています〟とのおにぎりを2個と、〝甘辛のしょうゆ味が旨い〟との鶏のから揚げを買った。買って、コンビニを出てすぐ横の駐車場に停車している2台のクルマとクルマの間に座って、さっそく食べ始める。 油断していると、そこは物を食べたり飲んだりする場所ではありませんよと誰かから注意されるに違いないのだから、早食いをして、自分はさっきからこの場所で何にもしなかったという顔をして、食べ終えたばかりのおにぎりと唐揚げの包み紙=〝すでにゴミ!〟を1台のクルマの下に突っ込んで去ろうとしかけた。だが、これはマナー違反だと即座に反省し、ゴミ箱を探した。 でも、見つからないので、駐車場を出て、コンビニの入口付近に立っている郵便ポストの上に、何かの忘れ物というような感じで、包み紙=〝疾っくにゴミ!〟を置いた。 誰からも見られていないと確信しながらの行ないだったが、やはり油断はできない。 どこからか見ていた誰かが追いかけてきて、ポストへのゴミ置きの罪を非難するのではないかと恐れたが、いや、何しろ、今の自分は、スケートなんてやってるみたいに、スースーッと足を運んでいるのだから逃げ足も速いだろうと思えば安心した。 なるほど、10メートルも20メートルだって、足は軽やかに進む。進むたび、道はやっぱりドンドン伸びて行って、自分は到着すべきところに到着する――きっと、きっと、そうなのだよ。 昨日、タローはバイト先のガソリンスタンドを辞めた。辞めて、こうして、スケートをするみたいな足取りを頼りに、〝旅〟に出掛けた。 きっかけは、同じバイト仲間の次郎太に勧められたからである。 どちらも大学生だが、授業になど出たり出なかったり、このままだと中退か、そんな似た者同士の気軽さからか、仲良くなったところがあった。 「オレってさぁ、自分の名前がイマイチ気に入らないんだよな。次郎だけでいいものをさ、わざわざ余計に、そうだよ、ヘンな余り物みたいに「太」の字なんてくっ付いてるのが暑くるっしくてたまんないヤ」 と鼻の下にうっすら髭など蓄えているくせ、幼稚園児みたいな顔をして愚痴る次郎太が、タローは好きだった。 さて、その次郎太は3日前、自分はバイトを辞める、辞めて旅に出るんだとタローに宣言した。 「どこに行くんだい?」 「わからない」 「わからない? 自由気ままな流れ旅ってかよ」 「そんな風なところかな。でもな、オレは、お告げを享けたんだ」 「お、お告げ?」 「そうだ。お告げに逆らうわけにはいかないってもんでな」 ふーん、そうかよと頷くタローに、 「お告げ通りに旅に出れば、今のオレはオレでなくなるだろう。なくなった、〈新生のオレ〉ってものに、オレは期待してるんだ」 ただただ歩いていればいい、そうしているだけで旅になる。旅の目的地などわかりはしない。ただただ歩いているだけで、道が伸びる、伸びてくる、伸びていく。そして、それが〝旅〟になる。  電車に乗るでも飛行機に乗るでもない、ただただ歩いての旅。伸びる道に従う旅―― 「きみも、そうしろよ」と次郎太は、タローにまっすぐの目を向けて、言った。 「そ、そんな、僕は、お告げなんて享けていないよ」 「そんなのカンケーないさ。オレが今、きみもそうしろと言った。このことが、お告げといってもいいんだ」 何だかよくわからないが、じゃあいっしょにその〝旅〟とやらに出掛けようというのではないらしい。 「そうなんだ。ひとり旅、独りで、ひとりでに伸びる道を往く〝旅〟。そうしてこそ、オレがオレでなくなる旅なんだ」 次郎太の言うことはますますわからないが、 「じゃあな、きみは2日後に出発しな。いいね」 勝手に決めつけるように言うと、じゃあなともう一度言って、次郎太はサヨナラの手を振った。 2日後に出発、そのためにはバイトを自分も辞めなければならない。 というわけで、昨日「バイト、辞めさせてもらいまーす」とタローは、ガソリンスタンドの店長に、ペコリと頭を下げつつ伝えた。 「そ、そんなことを急に言ってくれるな」とガソリンスタンドの店長は驚き、悲しんだ。 「人手不足だってことはきみも知っているだろう、次郎太くんだって辞めたばかりなのに」「はい、それはわかっていますが、ちょっとやんきゃいけないことが出来たみたいなので」 今にも涙ぐみそうな男性店長は、それでも、日割り計算でアルバイト料を清算してくれた。これはほんのお餞別と言って、その2割分ぐらいのオカネを上乗せさえしてくれた。 「いいんですか。こんなことしてもらっちゃって」 いいんだ、いいんだと店長は頷き、急にタローを抱きしめると、頬っぺたになどキスなどしてくるような素振り。 あっ、なんだかお茶っパのような匂いがする、とタローはいつも思うことをその瞬間も思った――モーニングコーヒーより濃い番茶とかを毎朝飲んでそうなのだよ、このヒトはッ。 タローはこの店長をいい人だとは知っていたが、そんなわけで(お茶っパの匂いはどうもね。まあ、カフェオレとかのかおりなら少しはマシかもしれないけれど)、恋心までは抱いていなかったので、キスは逸らしてやって、横を向く。 ごめんよと店長は謝り、自分はいつもこうだ、フラレてばかりだと嘆き、こんどは本当に目から涙をあふれさせた。 その涙というものは、やっぱり濃い番茶みたいな色をしているのだろうかとタローは見たが、店長はその瞬間、手のひらをいっぱいに広げて目じりを拭ったので、確かめることは出来なかった。 ……さて、タローは歩く歩く、歩き続ける。 スケート靴を履いているみたいなスイスイとした歩き方。 歩く分、道は勝手に伸びてくれるのだから、道に迷うという発想も恐れもない。歌でも口ずさみながらのひとり旅である。 お腹が空けば、全くまたコンビニになど寄って、弁当でも買えばいい。お餞別付きのバイト料金がそれを叶えてくれるだろう。 どれだけ歩いたのか。伸びる道は、まだまだ伸びるだけ伸びるという勢い。 行き交う人も、クルマも無い。 さすがにちょっと物寂しいよなぁ、と空など見上げると、見計らったように、おひさまを覆う雲が急に形を変えて、鳥の姿になって舞い降りてきたりするが、それはタローの顔の真上あたりにまで来たところで、急にリスやペンギンや小ゾウに変幻したりする。 な、何なんだよ、このありさまは! とタローはおおきな息をヒトツフタツと付かないわけもなかったが、これも、この伸びる道に誘導されるひとり旅の余得のようなものなのだろうとすぐ理解した。 うん、ボクってカシコイ――自惚れながら、歩き続けていると、お利口さんだお利口さんだと呟きながら、こちらに向かってくる人影が見え、アッと今度はちいさな息を呑む暇もなくその影は確かなヒトのかたちとなって、もう目の前まで来た。 「おつかれさまー」とタローをねぎらう。 そのヒトの形を持った生き物はキツネのような顔をしていて、だから、 「あ、あの、あなたはキツネさんですか」 と思わずタローは訊いた。 すると、確かに自分は、右の眼も左も目もハンパなく吊り上がっているし、体の方も、このシャツを脱げば、ふさふさと毛だらけでもあるし、そう思われても仕方ないのかもしれないが、実はキツネなどではない、これでも、あんたと同じにんげんだ、とこたえた。 そして、ヒトである証拠にちゃんと名前も持っていて、その名前は、吉川と書いてキツカワと読む、なかなか気に入っているが、下の名前は、三郎太という。さっぱりと三郎だけでよさそうなものなのに、わざわざ「太」の字が付いているのが、ちょっとウザいのだ、と嘆く。 あっと、タローは息を呑み、 「あなたは、次郎太くんなんじゃありませんか」と訊いた。 「次郎太? 誰のことだい。自分は、だから、三郎太だよ。教えたばかりじゃないか」 相手は怒ったような顔になる。 ご、ごめんなさいとタローは即座に謝ったが、この三郎太さんは、あのバイト仲間であった次郎太に違いないのだと思った。 ひとり旅、独りで、ひとりでに伸びる道を往く〝旅〟。そうしてこそ、オレがオレでなくなる旅なんだと宣言して、〝旅〟に出た次郎太が、オレがオレでなくなりこうして旅から還って来たのだ。 三郎太を名乗るキツネのような人物は、それから、じゃあなと手を振って去ろうとする。 「何処に行くのですか?」 「何処? そんなもん知るかい」 にべもないこたえが返って来るが、ほんとに何処に行くのですか、とタローはもう一度訊ねた。 「行くべきところへ行く、戻る、帰る還る。1歩進むたび、何だかうまいぐあい伸びてくれるこの道に身を任せていれば、文字通り〝道は開ける〟ってもんさ」 頷きながら、こたえるキツネのような人物は、あんたもこの伸びる道に誘われるまま、1歩1歩と進んで行けばいい。そして、還って来ればいい。呟くように諭して、ほんとにじゃあな、これでお別れだと急ぎ足になる。 お達者で。タローは涙ぐみそうになりながら、何処かへと行ってこれからまた何処かへと往こう還ろうとしているこの人を、自分の道づれにはできないのだと知らされるまま、歩き始めた。 日が翳り、急に雨が降る。降ったかと思えば、すぐ晴れる。 その間にも、道は伸びていく。 1歩2歩とタローは足を運んだ。 そうしていると、ノドも乾かない、お腹もすかない、そんな気分になって来て、これじゃあオカネの使い道もありはしない。誰かに寄付でもしてやろうかとおおらかな気持になって来る。 見計らったように、ひとりの老人が、向こうから歩いてきた。 道の傍らの野の花にでも話し掛けているような素振り、こんにちは、こんにちは、と呟きながら、独り、歩を進めている。 タローに気付くと、ごきげんようと上品な挨拶を寄越し、今しがた雨が降りましたがご無事でしたかと訊いてきた。 「はあ。でも、すぐにやみましたからね。おかげさまで」 「油断をしてはならないのですよ。また、降ってくるかもしれない」 老人はそう言って、自分の上半身を覆っている風呂敷みたいな大きな布を体から外し、どうぞとタローの肩に掛ける。 「レインコートの代わりです。これがあれば、突然の雨降りが来たって、少しは耐えられましょう」 やさしい配慮に、タローは恐縮した。 「有り難いことですが、それじゃあ、そちら様が不自由に。土砂降りの雨が来たなら、すっかり濡れてしまって、風邪なんて引いてしまわれるかも」 「いえいえ、ご遠慮は無用です。こんな年寄り、どうせ、老い先は長くもないのですから」 それでは、と先を急ごうとするお年寄りは、にっこり笑って、励ますように、タローの風呂敷掛けの肩を叩く。2度3度と叩いて、それから撫でる。お年寄りの体は、こんなにも間近い。その体のにおいを否応なく、タローは嗅いだ。嗅いで、あっとまた息を呑む思いに駆られた。 コレって、お茶っパのにおいじゃないか。 タローは、お年寄りを見詰める。 「あ、あなたはもしかしたら……」 「はぁ?」 「もしかしたら、ガソリンスタンドの店長さん?……」 「何のことです?」 いつの間にやら、タローの先回りをするような感じで、あの店長さんも、〝旅〟に出掛けていたのだろうか。まさか……しかし、このお茶っパのにおいは――。 「何のことです?」 もう一度呟いて、お年寄りはシワの多い首を傾げ、タローをまっすぐに見返す。そして、老い先短きのひとり旅、寂しいと言えば寂しい、だから、こうして涙のひとすじも流れましょうと歌うように呟いて、お年寄りは歩きだす。 それでは良い旅を、と見送るしかないタローは、肩に掛けてもらった風呂敷で頭巾のようにして、頭を覆った。 それから、またどれほどの道のりを歩いて行ったことだろう。 伸びる道は途絶えることがなく、タローを導くばかりである。 それからのひとり旅、タローはいろいろな光景を見た。 戦争があり、飢餓があり、地震や風水害があり、とこの世のあらゆる災いが、タローを横を通り過ぎていく。頭から覆う頭巾がお守りとなってくれているのか、タローはその一つ一つを、見遣っているが怖かった。 それでもタローは、歩いて行くしかなかった。 伸びる、伸びる道、何処まで続くのか知れない。 もう、そろそろ、帰りたい。疲れちゃったよ。 誰にともなく囁き掛ける呟きに、返事はない。 まだまだだよ。まだまだ旅は終わらないよ――やっと聞こえて来た気がする救いのような声も気付けば自分からのものだった。 道は伸びる。まだまだと伸びる。タローは歩き続ける。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 「あいつは、まだ還って来ませんかね」 「ああ、まだまだのようだね」 「迎えに行きます?」 「それは、無いだろう」 次郎太と名乗るかと思えば、三郎太と自称するような、キツネ顔の一人の男が、お茶ッパのにおいを全身から漂わせているほどの、年寄りらしい一人の男と言葉のやり取りをしている。 まだ還って来ない――ああ、まだまだ。 しかし、そんな二人も、実はまだ〝旅〟の途中であるらしかった。 「オレも、まだ、還るべき場所に辿り着いていない」 「わたしも、そのようだ」 二人は、自分達が、タローを迎えに行くどころでないことを知った。 知って、気付いて、タローの背中を追いかけるように、また歩く、歩き始める。 そうするがいい、そうするがいい。何処からともなく聞こえる囁き、呟きに、二人は頷く。 伸びる道が、二人を迎える。 さあ、と二人して、歩き始める。 こんどは二人旅かい? こちらに向かって来る一人の青年が、二人の男に訊ねた。 きみは、タローくんかい? 二人の男の声が揃って、訊く。 訊かれるより先、青年は、もう通り過ぎて行く。 その先にも、また伸びるだけ伸びる道が、伸びていた。
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