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半年ぶりだろうか。久しぶりに徳川と会うことになった。徳川は高校時代の同級生である。お互い釣りが趣味ということで馬が合い、休日はよく一緒に海岸へ出かけていた。しかし進路の違いや多忙さなどといった理由からスマートフォンの画面上でしかやり取りをしなくなってしまった。そんな彼から突然こんな連絡が入った。
『今から俺の家来れない?』
ちょうど今日は土曜日で特に予定も無かったということもあって俺は夕日を浴びながら徳川の家に向かう事にした。
自転車で飲食店が立ち並ぶ道路を過ぎ、コンビニの隣にある小道を通り抜け、しばらくジグザグに進むと、青い屋根を持ったベージュ色で2階建ての家が見えてきた。徳川の家だ。
釣りの帰りにいつもこの家の前で長話してたよなぁ、とかしみじみ思いながら自転車を駐車スペースに停め、玄関まで歩き、家のインターフォンを押す。すぐに徳川が玄関を開けて出迎えてくれた。「久しぶりだな」という俺の第一声に徳川は「そうだな」と返した。
徳川の部屋は2階にある。1階のリビングルームでくつろいでいる徳川の母親に軽く挨拶した後、徳川に上から手招きされるがまま駆け足で2階へ行った。部屋に入るとすぐに俺は尋ねた。
「で、なんで急に呼び出したんだ?」
「ああ、それなんだけどさ、ちょっと見せたいものがあって……」
徳川は押入れを開けて手を突っ込み、中からエアポンプを入れた水色のバケツを取り出した。そしてそれをそっと俺の目の前に置いた。
「今日の午前中、久しぶりに釣りに行ってみたら釣れたんだけどさ。」
覗いてみると、20cmほどの黒いエビがバケツ内を元気よく泳いでいた。
「エビ?これがどうしたんだよ?」
「エビじゃない。よく見てみな。」
指摘されるがままよく見てみる。そして気づいた。徳川の言う通り、泳いでいるのはエビではない。確かに胴体はスーパーで見かけるようなエビそのものである。しかし……顔が違った。なんと、こいつの顔は巨大なダンゴムシだったのだ。さらに目を凝らしてみると顔の下から無数の小さい触手のようなものがウネウネと覗かせていた。例えるなら『風の谷のナウシカ』に出てくる王蟲が頭部に付いたエビといったところだろうか。触手だけではなく頭部も軽くうねっていた。ユムシやゴカイなど気持ち悪い海洋生物を数々見てきた俺でもこんなものは生まれて初めて見る。あまりの気持ち悪さに背筋が凍り付いた。
「おい…なんだこれ!? 新種か!?」
徳川は笑いながら答えた。
「新種じゃねぇよ。お前知らなかったのか? こいつがスーパーでよく売っている『ブラックタイガー』ってやつ。……いやぁ、まさか本物を釣っちまうとはなぁ。」
ブラックタイガーといえば我々が想像するような大きめのエビである。こんな気持ち悪い虫なはずがない。
「ブラックタイガーってエビだろ? こんなんじゃあないはずだぞ!?」
動揺している俺に対して徳川は「そんなことも知らないのか?」と言わんばかりの目つきでこちらを見ながらニヤニヤしていた。
「お前って本当に生物にわかだよな。ブラックタイガーはブラックタイガー目ブラックタイガー科、独立した生物だよ。」
ブラックタイガー目ブラックタイガー科……? 聞いたことのない名前が出てきた。混乱している俺を他所に徳川は喋り続ける。
「ブラックタイガーは味そのものはエビみたい……というかエビそのものなんだ。まあ、お前も食べたことあるから分かるだろ? でもな、如何せん頭部が気持ち悪いっていうことで売れ行きに影響が出るという話が出たんだな。それで頭部を切って売ることにしたらしいんだ。」
訳が分からず唖然とする俺。そんな俺に徳川は尋ねた。
「せっかくだし……食うか?」
こんな気持ち悪い生き物を見て食欲など湧くはずがない。当然、俺は首を左右に振った。もし仮にこれが本当にブラックタイガーだとしたら、これから一生ブラックタイガーを買うことは無いだろう。
徳川は「えーうまいのに…」と言った後、ブラックタイガーの入ったバケツを押入れに戻した。それからは互いの近況について語ったり、対戦ゲームをしたりしていたが、やはりどうしても頭の中からブラックタイガーのことを切り離せなかった。
時計が午後9時を指したころに徳川の家を出た。徳川の母親から「うちで食べていかない?」と聞かれたが断っておいた。大変申し訳ないのだが、テーブルの上にあのブラックタイガーを並べられたりでもしたら……とかかんがえてしまっていたからだ。その後、コンビニで夜食用のおにぎりと唐揚げを買ってから帰宅した。流石にエビの入った弁当は買えなかった。
家に着いてから俺は早速スマートフォンを開き、「ブラックタイガー」と検索してみた。ブラックタイガーが自分の知っている通りの生き物であることを一刻も早く証明したかったからだ。だが、「もし徳川の家で見た虫が画面一面に出たらどうしよう」という不安もあった。しかしその感情はただの杞憂だった。画面に『ブラックタイガー ウシエビのこと コエビ科目』の文字と共に黒いエビの画像が映し出されていた。
「なぁんだ、やっぱりエビじゃん…。」
このことを徳川に報告して小馬鹿にしてもよかったが、面倒なので辞めた。はっきり言って本能的にあの変な虫について深追いしたくなかった。
ブラックタイガーの一件から丁度一週間が経った。先週とほぼ同じ時間帯に徳川からlineが来た。開いてみるとこんなことが書かれていた。
『また面白いモノが釣れたぜ 見に来ない?』
聞いてみたところどうやら『今回はブラックタイガーじゃない』らしいのだ。そう言われると怖いもの見たさのような感情が出てしまう。適当な理由をつけて断っても良かったのだが、断るより先に指が動いて『おーけー』と送ってしまっていた。
早速俺は徳川の家へ向かった。玄関で徳川が出迎えてくれた後、すぐに2階へ上がった。徳川は先週と同じように押入れに手を突っ込んだ。今回出てきたのはバケツではなく観賞魚用の小水槽だった。
「これなんだけどさ……すっげえ珍しいらしいんだよ。俺も名前は知ってたし写真も見たことあるけど、本物は初めてでさぁ。まさか本物が釣れるとはなぁ。」
徳川は嬉々と語りながらゆっくりと水槽を置いた。まずは正面から水槽を覗いてみた。水槽の中には砂利と大きめの石が1つ入っていた。何もいないじゃあないか、と思った時、一瞬だけ石の陰で蠢くものが見えた。何かと思い、今度は上から水槽を覗いてみると何やら数㎝ぐらいで黄緑色の薄っぺらい魚が1匹いることが分かった。だが、上から見ただけではただの薄い何かにしか見えず全体像を確認することが出来なかった。魚の全体像を確認しようとしている俺を見て徳川は
「あー。警戒しちゃって中々出てこないかー。もう少ししたら出てくると思うんだけどなー。」
と言った。しばらく粘ってみると魚が見える位置に現れ、ついに正面から全体像を確認できるようになった。だが、その姿は俺の想像を絶するものだった。
「しずおか……?」
水槽の中を小さい静岡県が魚のように泳いでいた。いや、厳密に言うと日本地図パズルの静岡県のピースのような魚が泳いでいた。だいたい愛知県寄りの部分の中心あたりに黄色く小さい目がちょんと付いていた。更に伊豆半島の部分を尾びれに、そして北部の尖った部分を背びれにして泳いでいた。
「おいおい……静岡県が泳いでんじゃん……」
俺の呟きに徳川が「そうそう」と食いついた。
「さすがにお前も知ってたか…伝説のタツノオトシゴ、『シズオカケン』。海外では『サイレントヒル』って言われているらしい。台湾では唐揚げにしてからマヨネーズを付けて食べるんだとさ。」
当然『シズオカケン』という魚なんて知らないし聞いたこともない。しかし徳川がさも存在していて当然といった空気で語るため、知らないと言い出せなかった。いや、そもそもその『シズオカケン』とやらは確かにここに存在しているため『存在していて当然』、という表現は少し語弊があるのかもしれない。だが、俺にはその状況が理解できなかった。俺は気になったことをひとつひとつ確認するように聞いてみることにした。
「あのさ、いろいろ聞きたいんだけどさ。最初に写真で見たことがあるって言ってたよな?その写真ってのはどこで見たんだ?」
「小学校の図書室。図鑑に載ってた。」
小学校の図書室にある魚図鑑といえば俺もよく見ていた。だが、俺の記憶が正しければ『シズオカケン』などという魚はどこにも記載されていなかったはずだ。俺は次の質問に移る。
「てか、この前のブラックタイガーもそうだけどさ、どこで釣ってんの?」
「え、高校の時よく行ってたいつものとこ。」
即答。確かに俺は徳川とよく釣りをしていたが、こんな変な魚やよく分からない魚が釣れたことは一度たりとも無い。
その後、色々と質問を浴びせてみたが特に嘘をついているような素振りは一切見えなかった。触ってみれば作り物かどうか判別出来るかもしれないとも思ったが、勇気が出ずに結局やめた。もしかしたらあの押入れに何か秘密があるのではとも思い、徳川が用を足している隙に覗いてもみたが、そこには空のバケツと水槽、そして綺麗に畳まれた布団ぐらいしか入っていなかった。
帰宅してから、先週のようにシズオカケンという魚について検索してみたが、やはり目ぼしい情報は何一つとして存在しなかった。翌日市立図書館に行って昔読んでいた魚図鑑と同じ物を探し出して確認してみたが当然見つからなかった。
それからも徳川による不思議な海の生物紹介は一週間おきに続いた。大量の目の付いた黒いマダコのような生き物の『ショゴスモドキ』、絶滅したかに思われていたが偶然泳げる種が生き残った、長い触手のような鼻を駆使して泳ぐネズミのような哺乳類『ウミハナアルキ』、地面から生えている埴輪のような生き物『ウミハニワ』。挙句の果てにはアロワナ用の大水槽を持ってきて、十数センチの人形のような姿をしている『イチマツニンギョウ』を紹介してきたこともあった。
どれも俺の知らない生き物ばかりで、この世の存在とは到底思えないものばかりであった。あれから何度もインターネットや図鑑などで調べてみたのだが、依然として有力な情報は何一つ得られなかった。
見えないものを掴もうとするかのごとく調査を進めていく中、次第に徳川との過去を思い返すようになっていた。確かに俺らは釣りが好きだった。だが、魚の知識はあいつの方が格段に上だった。知らない魚を釣った時はあいつがよく「これは〇〇って魚で~」とか「こいつは毒持ってるから~」とか教えてくれていた。いい釣り竿や釣り餌、ルアーなどの見分け方なんかも色々と教えてくれた。
こうやって思い返してみると、俺はいつも徳川に遅れをとっていたと感じる。それは趣味だけじゃあない。進学でも、だ。徳川は第一志望だった海洋系の大学に進学した。徳川だけじゃない。俺の高校時代の友人と呼べる人たちは皆自身の求めている夢に向かって真っすぐにつき進めている。一方、俺は勉強が面倒だから、元から持っている夢もふわふわしていたから、とそんな言い訳じみた考えを持っていたから徳川と同じ道を進むことを諦め、別の大学に入学した。そうやって諦め続けていく内に段々と自分だけが社会から取り残されている気がしてきた。
ネガティブな思考が頭中を駆け巡っていたその時。閃いた。来週の日曜日辺りに徳川を誘って久しぶりにいつも行ってた海岸に釣りをしにいこう。そしてよく分からない魚は本当にそこで釣れるのか試してみよう。もし図鑑にもネットにも載っていないような未知の魚が1匹も釣れなかったのなら徳川がここ数週間に渡って紹介した生き物はすべてフェイクという扱いにしておこう。徳川が認めなくとも俺の心の中ではそういうことにしておくんだ。
ただ、もし仮に例の変な生き物が釣れてしまったら、というパターンもある。そういう時はどうするか。いや、徳川の知らない魚を俺が釣ってしまえばいいんだ。あそこまで奇妙な生き物があの海岸に生息しているならば、徳川の知らない生き物だって当然いるはずだ。望みは薄いが。
その場合、徳川の知っている変な魚が釣れてしまっては良くない。それは俺の敗北を意味する。俺が徳川たちから取り残されたままになってしまうことを暗に示している。期待と同時に不安も増してきていた。そんな思いを片隅に徳川に連絡を取ってみると、次の土曜日なら良いと言われた。
そして、ついに問題の土曜日当日。空は晴天、風はあまりない。俺は釣り竿を担ぎ、釣り具などが入ったリュックサックを自転車の籠に乗せて海岸へと向かった。
防波堤に着くと、すでに徳川は釣り糸を海に垂らして俺を待っていた。「早いな」と俺が言うと、「楽しみすぎて早めに来ちゃってさ。」と言っていた。
徳川のバケツをちらりと見る。水しか入っていない。まだ何も釣れていないらしい。早速俺も釣り竿を取り出して組み立て、あらかじめ作っておいた練り餌を針につけ、そして海に放った。気持ちいいぐらい遠くまで飛ばすことが出来たと思う。今日は調子が良い。これで釣りやすくなるだとかそんなことは無いが、なんとなくこれは良い結果が出そうだと思った。
だが、30分近く経っても2人とも結果は散々だった。当たりこそ数回ほどあれど、どれもクサフグか木の枝。調子の悪い時はいつもこんな感じである。
何も起こらない中、多少会話をしていたもののイマイチ盛り上がりに欠けていた。空気は完全に白け切っていた。そんな中、徳川の釣り竿に変化があった。
徳川の竿が突然強く曲がったのだ。かなり大物のようである。数分間の格闘の末、海中から魚のシルエットが浮かび上がってきた。それは俺も図鑑で見たことのある生き物だった。だが、それはもう存在しないはずの生き物だった。
「三葉虫だ!」
徳川が叫んだ。ついに絶滅種が出現してしまった。
「三葉虫って絶滅したはずじゃあ……」
「絶滅?何言ってんだ、三葉虫といえば生きた化石だろ?」
果たして三葉虫は絶滅したという俺の知識は間違っていたのだろうか。徳川曰く、ここら辺では三葉虫がよく釣れるらしい。
その後も徳川は俺の知らない生き物を次々と釣った。三葉虫が多かったが、それ以上にアジフライとエビフライが大量に釣れた。アジフライ……というのは食卓に並んでいるアジフライがそのまま泳いでいるような魚である。エビフライも同様、エビフライがそのまま泳いでいた。釣れた瞬間を見たのだから間違いなくこれらは決して作り物などではない。
最早俺は突っ込む気力を失っていた。なんなんだこいつらは。なんでこんなんがいるんだ。てか、こんなのがいていいのか。
それと同時に焦りも強くなってきていた。未だに俺はクサフグと木の枝ぐらいしか釣っていない。普通どころか調子の悪い釣りをしてしまっている。これでは徳川に一生勝てない。
海に垂らした糸とにらめっこをしている内、竿から次第に俺と徳川とでは住んでいる世界が遠すぎると訴えかけられている感じがしてきた。本当に俺は1人道端に取り残されたままなのだろうか。そうしたら俺は一体どうなるのだろうか……。
ボーっと考え続けていたその時だった。竿から引っ張られる感覚があった。いつの間にか当たりが来ていたらしい。どうせまたクサフグか何かだろ、と思って竿を持ち上げてみる。だが、予想に反して中々の重さがあった。
俺は驚いた。もしかして未知の魚が掛かったのではと期待に胸が踊った。しかしそれと同時に、「ゴミとか地面とかを釣ってたりして」とか、「この場に及んで普通に図鑑に載ってるような魚が釣れたらどうすんだ」とか、「ここで徳川の知ってる奴だったら」とか、数多くの雑念が浮かんできた。それらを振り払うよう、俺は必死にリールを巻いた。
天に祈る思いで魚と戦っていると、海中から次第に魚影が見えてきた。20cmはあるだろうか。細身の姿、赤色の全身に側面でギラリと光る銀色が眩しい。特徴を並べてみて、俺はある存在を思い出した。
(こいつ、スーパーで見たことあるぞ……!)
俺がしばらく格闘しているのに気づいた徳川は自身の竿そっちのけで近づいてきた。そして、海中の魚影を見て徳川は叫んだ。
「なんだこれ!? こんなの見たことないぞ!?」
しめた、と思った。ついに徳川ですら知らない魚が釣れたのだ。徳川には分からなくとも俺にはこの魚の名前が分かる。こいつの名は……。
「シャケノキリミだな。」
「聞いたことねえぞそんな魚! すげぇな! いやあ、まさか石田に魚の知識で負けるとはなぁ。」
感心する徳川。何しろ自身の知らない魚が現れたのだから当然である。やっと徳川の世界に追いつけた気がする。こんなに嬉しいことは無い。それから俺は無事にシャケノキリミを釣り上げた。俺の手の中で海に帰ろうともがくそいつには、確かに生き物としての力強さと鼓動があった。確かに本物だ。生きている。ついにこの俺、石田は初めて徳川に勝利した。
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