0人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
3
よく朝、さっそく、いけにえの儀式がとり行われるれることになった。
村に隣接した森に入って、少しのぼった高台に、大きな沼がある。龍神が住むと言われる沼である。村人は「黒沼」と呼んでいる。いつも水が黒く濁っているからだろうか。
いましも、空一面を灰色の雲がおおい、間断なく雨が降りそそぐなか、沼に一艘の舟が出された。
舟には、太い樫の木の柱が積んであった。柱には,荒縄で縛りつけられたふゆの姿がある。白い死に装束を着せられ、ひたいに白い手ぬぐいが巻かれている。長い黒髪は、ふる雨に濡れ、ざんばらになって柱に張りついている。柱の根元には、大きな石を何十個も詰めこんだ、じょうぶな網がくくりつけられていた。柱が浮いてこないようにするためである。
舟は黒い水面を進んだ。屈強な四人の若者が乗りこんでいる。ひとりが櫂をこぎ、残りは黙って、濁った水面を見つめている。
沼のほとりでは、笠をかぶり、蓑をまとった、百名ほどの村人たちが、ことのなりゆきを見守っていた。はると、なつの姿も、そのなかにあった。
舟は沼のまんなかに出て、止まった。
若者たちは、ふゆをくくりつけた柱を、四人がかりで抱え起こした。
「ふゆ、言い残すことはないか?」
四人のうちの、年かさの男が、柱の上のほうを仰いで、訊いた。
ふゆは一度目をとじると、舟の者たちに向かって言った。
「みなさま、さようなら」
声がふるえていた。若者たちは唇をかんだ。
ふゆは顔を上げると、沼のほとりに立つ者たちへ向けて、声をはりあげた。
「さようなら、姉さまたち。さようなら、村人たち」
雨音にかき消され、とぎれとぎれになりながらも、その声は確かに村人たちの耳に届いたようだった。何人もの村人が、胸の前で手を合わせた。
ふゆが言い終えるのを待って、若者たちは、人柱を沼に投げこんだ。
ドボン、と大きな音をたてて、人柱は沼に突き刺さった。かと思うと、あっという間に、水面の下に沈んでいった。
最初のコメントを投稿しよう!