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4
水中に投げこまれるやいなや、ふゆは、自分の力で気を失った。それが、彼女にできる唯一のことだった。
と、そこへ――。
見通しのよくない水のなかを、もぐったまま、泳いできた者がいる。
ふゆの思い人の、タオである。
かねてから、ふたりで打ち合わせていた行動だった。
タオは、人柱にたどり着くと,手に持った鉈をふるい、ふゆを縛っている縄を切った。気を失ったふゆを抱きかかえ、息の続く限りに、水中を泳いでいった。
やがて、沼のはずれにある、葦のしげった場所まできて、タオは浮上した。我慢していた息を、大きく吸った。限界まで絞りきった体のすみずみに、空気がいきわたった。
タオはふゆの頭を水面上に保ったまま、後ろをふり向いた。葦の間から、沼に浮かぶ舟と、向こう岸の村人たちがかすかに見えた。ふる雨と、この葦が、自分たちの姿をくらませてくれるだろう。
タオはふゆをかかえ、身を低くして、陸に上がった。雨をしのげる木の下に、ふゆの身体を横たえた。口うつしで、呼吸をさせる。気を失っていたおかげで、ふゆは水を飲んでいなかった。ふゆはじきに意識を取りもどした。
「ああ、タオ」
ふたりは抱き合った。
タオはふゆをつれて、山の斜面をのぼった。自分の炭焼き小屋へつれていき、用意してあった着物に着替えさせた。タオも着替えた。
ふたりが難を逃れたころ、いけにえを横取りされた龍神が、怒りを爆発させた。
怒涛のように雨がふった。たちまち沼の水があふれた。と同時に、沼のある高台の斜面が、地崩れを起こした。沼からあふれ出した泥水が、村を襲った。村は冠水し、じきに水面下に沈んでいった。
炭焼き小屋のなかにも、轟音と振動が伝わってきた。
ふいに、雨がやんだ。
ふゆとタオは小屋から出て、村のほうを見下ろした。
村のあった場所は、巨大な水たまりになっていた。
水たまりのあちらこちらに、豆つぶのような小さな人影が見えた。それらは、たちどころに沈んで、消えた。
(さようなら、姉さまたち。さようなら、村人たち)
ふゆは、タオの腕にすがり。たくましい肩に、頭をあずけた。その口もとに浮かんでいるのは、ひややかな笑みである。
〈了〉
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