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真っ直ぐに、鴨白さんのマンションに向かった。
鴨白さんとの関係に名前はない。
強いて言うなら、中途半端な関係。
でも……わたしの方は割り切れてなんかなかった。
鴨白さんの部屋のドアフォンを押した。
返事がない。
もう一度押した。
家にいない?
もう一度押すと、今度は応答があった。
「帰れ」
その一言だった。
だから、また押した。
しばらくして、ドアが少しだけ開いて、鴨白さんが顔を覗かせた。
「帰れって言ったよな? 近所迷惑な――」
少しだけ開いていたドアをぐいっと開けて、鴨白さんを押し除けるように中へ入った。
ドアを開けずにいることだってできたのに、開けてくれた。
だから、きっと、わたしがここに来た意味が少しはあると思いたい。
「IKEDAの地下でいっぱい買い込んで来ました。デリバリーもいいけど、デパ地下グルメも捨て難いと思って。冷蔵庫開けますよ? ケーキ入れたいので。それで、用は済みました?」
鴨白さんは返事をしないで、ぷいっとソファのところまで行くと、片膝を立てて座り、何かの映画の続きを見始めた。
でも、テーブルの上のリモコンに手を伸ばしていなかったから、わたしとの玄関のやり取りの間も止めていなかったことがわかる。
ただついているものを見ているだけで、内容はどうでもいいんだ。
勝手にお皿を出して、買ってきたお惣菜を移し替えると、テーブルに並べた。
「食べませんか?」
声をかけても無視された。
「鴨白さん、お腹空いてるんですよね? お腹空いてると機嫌悪くなるのって、子供みたい」
「誰が……」
「いろいろ買ってきたんんです。早く座ってください」
渋々といった感じだったけれど、こっちまで来て素直に椅子に座ってくれた。
少し近づけたと思っていたのに、また遠くに離れてしまったみたい。
でも、これ以上悪くなることなんてないんだから、好きにさせてもらう。
それに、完全に拒否されてるわけじゃない。
「生春巻き好きですか? わたしはサーモンの生春巻きが一番好きです。この玄米ご飯のサラダ巻きも美味しそう。ささみときゅうりの酢の物は、ごま油がアクセントになってるみたいです」
「酢の物は好きじゃない」
「鴨白さん、意外に好き嫌い多いですよね……何も言ってくれないとわかりません」
「これは……俺の問題だから」
「ラザニアは好きですか? わたしラザニア好きだから、鴨白さん食べないならひとりで食べますよ。ビール勝手にもらっていいですか?」
「どうぞ」
「飲みましょう。付き合ってください。それで、もしわたしが酔ったら、鴨白さんはソファですよ。わたしがふかふかのベッドを占領します」
そこで初めて鴨白さんの表情が和らいだ。
「いいよ、それで」
「どれから食べますか?」
「いや……オレは……」
「この海老と枝豆のサラダ美味しい。食べてみてください!」
「……うん」
最初は無理やりだったけれど、わたしがひとりで取り止めのない話をするのを聞きながら、少しづつ、食べてくれた。
使ったお皿を一緒に片づけた。
冷たいんだか、そうじゃないんだか。
「ケーキ食べますか?」
「いらない」
「フィナンシェは食べます?」
「ああ、うん」
並んでソファに座った。
袋から出したフィナンシェを鴨白さんが口に入れる。
「美味しい」
「小鳥遊さんのお勧めだけありますね」
「2番目かな」
「1番はどこのお店ですか?」
「1番は……」
それ以上は話す気がなくなったのか黙ってしまった。
鴨白さんに寄りかかってみたけれど、何も言われなかった。
よけられなかったから、そのまましばらくそうしていたら、いつの間にかふたりで寄り添っていた。
「……前に付き合ってた彼女に会ったんだ。付き合ってた頃、彼女をひどく傷つけて」
傷つけた?
傷つけられたのではなくて?
「だから、何をされても、何を言われても、俺自身のせい」
彼女が、許しを乞う相手?
「それで、忘れようとしていたことを思い出してしまった」
小さな声で言うと、それ以上何も教えてくれなかった。
「今度は、茶わん蒸し作ります。鴨白さん、卵料理好きみたいだから。圧力鍋使ったことないから一回使ってみたいので、スペアリブとかどうですか?」
「……好きじゃない」
「好き嫌い多いですね」
いつのまにか好きで。
こんなに好きになってて。
もっと近づけたらいいのに。
こんなに傍にいるのに、心は遠い。
ソファの上に置いた手が、かすかにふれていても、どこか遠い。
ふたりで見てもいない映画をずっと観ていた。
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