第一話

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ

第一話

 その日も僕は、退屈という名の感情を持て余していた。  窓の外には青い空。赤と緑の二つの巨大な月が輝き、小さな太陽は遠い。  公爵家所有の館の一室は薄暗く、手入れの行き届いた豪華な飴色の家具が並んでいる。魔法灯(ランプ)の光は弱められ、荒れた室内を隠していた。  テーブルの上にも床にも酒瓶や汚れたグラスが転がり、ソファには僕を含めて三人の茶色の髪で緑の目の男たちがだらしなく座っている。貴族の男であれば締めるべきタイも外し、上着もベストのボタンも全開で、高位貴族として常に求められる気品は欠片も存在していなかった。  知らぬ者が見れば、この三人が未来の〝三公爵〟だとは思わないだろう。国王を超える財と兵を持ち、絶大な権力を持つ三つの公爵家、〝グラスプール〟〝テンバートン〟〝オルムステッド〟の当主は〝三公爵〟と呼ばれ、その厳格な姿と言動は、民衆だけでなく貴族からも恐れられている。 「アーネスト、オーエン、明日の夜会では、どの令嬢を狙う?」  強い酒を一気に飲み干して笑うのは、グラスプール公爵家の第一子コンスタット。長い髪に整った容貌は聖職者を連想させる。 「最近、青い果実ばかりだったから熟れた果実がいいな」  甘い酒を舐めるように飲んでいるのは、テンバートン公爵家の第一子オーエン。貴族には似つかわしくない粗野な容貌ではあるが、短く切った髪が不思議な魅力を醸し出している。  二人に比べれば、何の特徴もない僕が、少し長い中途半端な髪型をしているのは二人に被らないようにする為だ。 「レスティラ侯爵夫人はどうかな。あの豊満な胸は魅力的だよ。まだ試してなかっただろう?」  僕がそう提案すると、二人が乗ってきた。  酒を飲みながら、侯爵と共にいるであろう夫人を誘い出す計画を三人で考え議論する。女を騙して犯すという、くだらない目的の為の話だが、退屈が多少でも紛れる瞬間は貴重なものだ。  だらだらと話し込み、それなりの計画が幾通りか仕上がった。上手くいけばよし、上手くいかなくとも、大した失敗にはならない。 「明日の計画の成功を願って!」  僕たちは、何度も無意味な乾杯をし、無意味な酒を飲み干した。  ■  翌日の夜会では、狙いをつけていた侯爵夫人が欠席していた為に計画が流れた。他の夫人を狙うという話もあったが、気が乗らなかったので、僕はそのまま劇場へと向かった。  劇場の演目は見飽きた恋愛物だった。人気のある歌姫が、その美声を響かせている。そろそろ演目を変えるべきだと劇場の支配人に告げてはみたが、同じ演目を好む客が多数存在するらしい。ならば歌姫を買い上げて、鳥かごにでも囲ってみようかと考えたが、実行する程の面白い考えだとは思えなかった。  退屈な物語に見切りを付け、特別席から立ち上がる。つまらないという意思表示の為に、飲んでいたワインのグラスを床へと落として割る。  話が大いに盛り上がっていた場面で歌姫が声を詰まらせた。立ち上がった僕へと観客の視線が集中して、すぐに逸らされる。歌姫もすぐに声を響かせる。  何事もなかったかのような舞台の様子と観客に、僕は苛立ちしか感じなかった。つまらないという僕の意思表示は、人々に何の意味も持たなかったことが悔しい。――今の僕自身には、何の力もない。  ホールへと出た所で、さりげなく近づいてきた禿げた中年男に声を掛けられた。骨と皮だけのような醜い体を黒い夜会服で包んだ姿は禍々しい魔物にも見える。男は貴族向けの高級娼館の主。 「アーネスト様、こんばんは。……金髪の処女が入りましたよ。少々年を喰っておりますが」  金髪の処女と聞いて興味が引かれた。貴族が強い魔力を持っていた昔は、金髪や銀髪が多くいた。長く平和が続き、魔力が徐々に失われた今、金髪は珍しい。 「何歳だ?」 「二十三歳です」 「……また偽物じゃないのか?」  その年齢を聞いて、僕は落胆した。僕の一つ下、女としては完全に行き遅れの年齢だ。 「前回は私も騙されましたが、今度こそは正真正銘の本物です。…………没落した貴族の娘ですよ。清楚で控えめな性格です」  主の声が途中から小さくなった。正規の手段で手に入れた女ではないのだろう。騙したのか拉致したのか。 「最近、爵位を手放した貴族はいないと思うが……まぁいい。その女の最初は僕が買おう」  清楚と聞いて僕の心は決まった。処女でなくても、金髪なら試してみる価値はあるだろう。 「ありがとうございます」  娼館の主は深く頭を下げた。  ■  十日後、女の準備ができたと連絡が入り、僕は馬車に乗って娼館へと向かった。正直に言って期待はしていなかった。前回は十六歳の処女という触れ込みだったけれど、魚の内臓を使って偽ろうとしていたことが判明し、半額が返金された。  貴族を相手にする娼館は、それなりに豪華な内装を整えている。娼婦の初めての仕事の為に用意されている部屋は、白い家具と白い寝具で統一されていた。  部屋に通されると白い夜着を着た女が迎えに出た。珍しい金色の美しく長い髪がその背を覆っている。羞恥からか目を伏せているので、その瞳の色は青なのか緑なのか、はっきりとはわからない。  貴族専用の娼館の習わしで、事に及ぶ前に女がお茶を淹れる。  青い色の花茶は、興奮を高める効果がある。白い陶器のカップに青い色が映える。先に女が口を付け、飲んだことを確認してから自分に淹れられた花茶を飲む。  女が茶を飲む仕草は落ち着いている。その優雅さは間違いなく貴族階級の人間だと確信した。妙に短い爪が気になり、僕は女の手を取った。 「爪は伸ばさないのか?」 「……今、伸ばしております」  女の答えに僕は戸惑った。伸ばしていてこの長さなのか。女の手は、少しざらついた部分もある。 「申し訳ありません。ずっと働いておりましたので」  完全に俯いてしまった女を哀れに思った。没落したのは随分前のことなのかもしれない。最後にその身を売るしかなかったのだろう。 「謝る必要はない」  完全に黙ってしまった女の手を僕はそっと撫でた。何故か手を離したくないと思う。きっと、僕にはわからない苦労をしてきた手だ。  女をベッドに押し倒して顔を見ると、優し気で綺麗な顔をしていた。瞳は青と緑が混じり合った不思議な色彩だ。花園の片隅に咲く、小さく可憐な青い花が頭に浮かぶ。  ――僕はこの女に興味が沸いた。   ■ ■ ■ 「初めて、なのです」  私がそう答えると、覆いかぶさろうとしていた男の目が歓喜の色を帯びた。 「そうか。ならば優しくしよう」  ここは貴族相手の高級娼館。貴族の娘シェリー・アルドリッジという名は取り上げられ、娼婦フローラとして半月の厳しい閨教育を受け、今日、初めて男性の相手をしている。  何の巡り合わせなのかはわからない。茶色の髪に緑の瞳。目の前にいる男は、私が娼婦になる遠因となった事件の犯人。義妹を凌辱した貴族の一人。  義妹は輝く金髪に青い瞳、誰からも愛される美しい少女だった。男爵家の娘という低い身分でなければ、王子の婚約者になれたと囁かれていたのに、十六歳になった直後、王城で行われていた園遊会の最中に、言葉巧みに客室に連れ込まれて三人の男に凌辱された。  犯人は三公爵の三人の息子たち。父母は貴公子の一人との結婚を公爵たちに迫ったものの、金銭での解決を強要された。父母が騒いでしまったせいで、義妹が傷物になったことが知れ渡り、義妹は領地の湖に身を投げ、父母は後悔しながら毒を飲んだ。  たった一人、突然残された私が嘆き悲しんでいる間に親族が家を乗っ取り、私は住んでいた屋敷を追い出され、娼館へと放り込まれた。 「綺麗な髪だ」  そう囁いて私の金髪を撫でるのはアーネスト・オルムステッド。公爵家の第一子。今年二十四歳になる男は、現在十二歳の第一王女の婚約者候補の一人と噂されている。 「不思議な色の瞳だな」  私の瞳は青と緑が混じり合っている。今まで、誰も気が付くことはなかった。この国では行き遅れと言われる年齢の私に、誰も見向きはしなかった。  私は父の先妻の娘だった。後妻となった継母から、まるで使用人のように屋敷の中で使われていた。貴族としての基礎的な教育は受け、十二歳で国王への挨拶はしたものの、華やかな夜会や園遊会には一度も参加させてもらえなかったから、顔も名前も貴族には一切知られていない。 「……口づけてもいいか?」  アーネストの言葉に、私は戸惑う。口づけは情が移ってしまい、他の客を取れなくなるから娼婦は口づけを行うべきではないと教育された。高位貴族の要求は断ってはいけないとも教えられた。  どちらを優先するべきか返答を迷う間に、アーネストの唇が私の唇に重なった。 「はっ。……凄いな。深い口づけは初めてだ」  深い深い口づけの後、アーネストの緑の瞳が輝いている。今まで、深く口づけしたいと思ったことはなかったと囁く。  何度も何度も深い口づけが繰り返され、優しく髪を撫でられながら、私は娼婦としての最初の仕事を終えた。 「君のことが気に入った。名前は?」 「フローラ」  それは、娼婦になってしまった私の新しい名前。何故か本名を知られたくないと思う。 「君を僕が引き受けよう。僕専用の娼婦になってもらうよ」  アーネストは、私をふわりと包むように抱きしめて、甘く優しく囁いた。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!