第二話

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ

第二話

 彼女は処女だった。羞恥と痛みに耐え、静かに涙を流す姿は庇護欲を掻き立てられる。事後はすぐに娼館を出ることにしている僕が、朝まで彼女との共寝を望んだ。    翌朝、娼館の主の部屋へ交渉へと向かい、彼女を買うといえば主は慌てふためいた。珍しい金髪の女が入ったと方々に宣伝しており、すでに十数名の予約が入っているらしい。  僕はその断り料金も含めて支払うことにした。  彼女の本名を聞けば娼館の主人は渋ったが、金額を上げればあっさりと教えてくれた。その名前で調べれば正体は簡単にわかった。  フローラの本当の名前はシェリー・アルドリッジ。先代のアルドリッジ男爵の娘だ。父母は二ケ月前に突然死、妹は三カ月前に病死という届けが出されている。  あれ程の見事な金髪に不思議な色の瞳、繊細で美しい顔なら、一度見れば覚えているはずなのに全く記憶にない。  アルドリッジ男爵は、娘を園遊会や夜会に出す資金がなかったのかもしれない。実際、彼女は借金の為に売られていた。  僕は王都に小さな館を買い、三人の通いの使用人と監視役の夫人を雇った。使用人が少ないかと思ったが、二階と屋根裏の十五部屋程度の小さな館だ。どうせ半年もすれば飽きるだろうと、人手が必要な時には臨時で雇うことにした。  八日以内にすべてを揃えるようにと指示をして、出会ってから十日後に彼女を娼館から連れ出した。  毎日通うつもりはなかった。誰にも汚されていない、僕だけの花をひっそりと囲うだけだと思っていたのに、夕闇が近づくと自然と館へ足が向く。  彼女は不思議な空気をまとっていて、隣にいるだけで心が落ち着く。時折、無性に感じる焦燥感が全く起きないことが心地良い。無理に話題を作らなくても、黙って一緒にお茶を飲むだけで気が緩む。 「お帰りなさいませ」  ある日彼女の口から出た挨拶に、僕の心は弾んだ。彼女の顔色がさっと青くなったけれど、僕は彼女を抱きしめる。 「ただいま」  耳元で囁けば、彼女の耳が赤くなる。僕に初めて帰る場所ができたと感じた。公爵家の屋敷には、成人してから帰ったことがない。コンスタットとオーエンの三人で、いつもふらふらと過ごしていた。  僕は退屈を紛らわせる為に女を抱くことが一切なくなった。女は彼女だけでいいと心の底から思っている。彼女と一緒に同じベッドで眠るだけの夜もある。  彼女の曖昧な笑顔はいつも寂し気で、常に僕が必要とされているように思う。没落したことで心に傷を抱えているのだろう。少しずつ綺麗になっていく手と、伸びて整えられた爪のように、いつか心の傷が癒えればいいと、僕は毎日彼女の手を撫でながら祈っていた。  監視役に雇った未亡人は彼女を細かく観察し、報告を上げている。  彼女は毎日何か仕事をしたいと思っているらしい。読み書きができるというので手紙の代筆を頼むと、とても美しい文字で心のこもった文章を綴る。僕が不在の間には僕の紋章を手巾やクッションに刺繍し、館のあちこちに花を活けている。  その姿は非常に真面目で、使用人たちからも女主人として好かれていた。  ドレスや宝石は欲しくないかと尋ねれば、出掛ける機会もないので、必要がないとやんわりと断られた。買い物に連れ出しても、僕に似合う物を選ぶだけで、自分の物は見ようとしない。貴族の女の頭の中は、ドレスと宝石のことしか詰まっていないと思っていた僕は恥じ入るしかない。  毎日大小の成果を上げていく彼女の姿を見て、僕はこの国の貴族の会合に出席するようになった。爵位を受けていないので、発言権はない。多くの貴族の子息たちが将来の為に見学していると知ってはいても、発言できなければ無駄だと、これまでは参加することはなかった。  会合に出席すれば、様々な話を聞くことができた。この国を取り巻く外国の話、この国の問題や明るい話題。そういった話を仕入れては、彼女に話して聞かせる。彼女は曖昧に微笑みながらも、僕の話を最初から最後まで聞いてくれる。そのことが嬉しくて、僕の心は舞い上がった。  彼女といると退屈を感じない。星が綺麗に輝く夜は、屋根裏部屋の大きな窓を開け、空を見上げることもある。  彼女の金色の髪が魔法灯(ランプ)の光を受けて地上の星のように輝く。 「綺麗だ」  僕は彼女に囁く。 「そうですね。本当に綺麗です」  彼女の視線は降り注いでくるような星々に向けられている。僕は彼女のことを言ったつもりだった。そっと彼女の手を握ると、彼女が驚きの表情を僕に向ける。 「君のことだよ」  僕が笑って言うと、彼女の顔が真っ赤になった。 「……ありがとうございます」  小さな声で呟いた彼女は、これまで、誰にもそんなことは言われたことがないと告白した。僕は驚きつつも満足していた。誰も見つけることができなかった花が、僕の手の中にあること、それが無性に嬉しい。  ■  王城で行われた貴族の会合で久しぶりに顔を合わせた父が、声を掛けてきた。ここ数年、会うのは大きな問題を起こした時だけだった。 「最近、落ち着いているな」 「はい」  父とは何を話せばいいのかわからない。幼い頃から一方的に話し掛けられて返答するだけだった。 「女と暮らしているそうだな」  父には何も隠せないらしい。肯定すれば、意外な言葉が返ってきた。 「その女は、お前の支えになっているようだな。大事にしろ」  父の言葉に驚いて顔を上げると、父は微かに微笑んでいた。常に威厳のある冷たい表情が緩んでいる。父に掛けられた言葉が、僕の心に染みわたる。  父と少し話した後、僕は王城の廊下を独りで歩いていた。いつもコンスタットとオーエンと歩いていたので物足りなさはあるものの、館で彼女が待っていると思えば何でもないことだ。  視界の隅に青い光が煌めいた。近づいてみると宝石がついた銀のタイピンが赤い絨毯の上に落ちている。青く輝く石は青玉(サファイア)だろうか。 「触れるな!」  老人の叫びに驚きつつも、僕はすでに拾い上げていた。 「何故、触れた!」  震える老人は、喪に服していることを示す黒い上着を着用している。襟の装飾で子爵だとわかったが、名前が思い出せない。 「それは孫の形見じゃ! お前らのせいで!」  僕に掴みかかろうとした老人は、周囲を歩いていた貴族たちに取り押さえられた。激昂していた老人は伯爵や侯爵に耳元で囁かれて、力を落として項垂れた。  僕はその光景を見て驚いた。伯爵や侯爵という立場にいる者が、まるで子爵を庇うようにしながら背をさすり、なだめている。身分の高い者が低い者に直接手を差し伸べる光景は、通常はあり得ない。 「失礼しました」  冷たい表情で貴族たちが僕に謝罪をし、子爵を支えながらその場を去った。周囲で見ていた貴族たちも、視線を外して去っていく。  皆、子爵の心配はしても、誰も僕の心配はしなかった。コンスタットとオーエンがこの場にいれば、大丈夫かと僕に声を掛けてくれただろう。  僕は初めて気が付いた。コンスタットとオーエンと三人で一緒にいる時はわからなかったけれど、僕は他の貴族から距離を置かれている。はっきり言えば、嫌われている。  理由は考えるまでもない。僕たちは令嬢や婦人たちを遊び半分で犯していた。その後処理はすべて父の公爵が行い、僕たちは何もしてこなかった。父は傷物になった令嬢に結婚相手を紹介していたし、金銭も支払った。すべて解決済だと思っていた。  言い訳をすれば、僕たちは何もすることが無かった。公爵家当主となる為の厳しい教育はすでに終え、あとは数年後の爵位の継承までは、公爵の息子としての曖昧な立場で過ごすだけだ。  いくつかの低い爵位の権利を持ってはいても、爵位を正式に受け取れば、面倒な義務を負う。公爵になれば、王を直接支える重い義務が待っている。それまでは自由でいたいというのが、僕たちの考えだった。 「……これを、先程の方に渡してくれ」  僕は近くに控えていた従僕に声を掛け、青玉のタイピンを預けた。子爵は孫の形見だと言っていた。孫は死んでしまったのか。  退屈を紛らわせる遊びだと思っていたから、顔も名前も覚えていない。謝罪もしたことがない。女にとっては、死ぬ原因になる程の行為だったのかと僕は内心狼狽する。  恐ろしい。  僕は深い穴の中へ落ちて行くような感覚に襲われた。周囲の人々から、僕はどう思われているのか。今まで、考えたこともなかった。王と王族にだけ首を垂れて従っていれば、それでいいのだと信じていた。  僕は逃げるように王城を後にして、彼女が待つ館へと馬車を走らせた。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!