第四話

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第四話

 彼女は王都から遠い湖の近くに小さな家を買っていた。突然の事後報告に驚きつつも、僕の驚く顔が見たかったと言われれば、悪い気はしなかった。  代金は彼女自身が出したらしい。彼女がまとまった金を持っていることを知らなかったが、よく考えれば、娼館から買い上げた代金の半額が本人に渡されている筈だった。彼女は僕が渡す毎月の小遣いには手を付けようとしない。もっと金額を上げておけばよかったと、今更ながらに後悔している。  小さな家へ行く準備をする彼女は楽し気で、表情が明るい。初めて買い物に行きたいとねだられて、二人であちこちの店を巡る。貴族向けの店だけではなく、一般国民の店にも立ち寄った。  貴族向けの店では主に見本帳等を使って注文し、商品は後日届けられるが、一般国民の店では目の前に置かれている品を買ってそのまま持ち帰ることができる。  様々な食器が並ぶ店内を珍しく思いながら彼女と歩く。カップやグラスの価格を初めて知って驚くと同時に、僕たちが使う食器と一般国民が使う食器の違いにも驚いた。木製の皿や器が多く、素朴な陶器は厚みがあって重い。 「これは木で出来ているのか」  物珍しさを感じた僕は、何気なく器を手に取って、その軽さに驚く。 「木で出来た食器は壊れにくいのです。スープを入れると最後まで熱いまま飲むことができます」 「そうか。便利な物なんだな。館の器も変えようか?」 「それはお勧めできません。公爵家は我が国の文化と流行の最先端を担い、洗練された品々を持つことで、職人たちの生活の安定と技術向上を目指すことが役目の一つと聞いております。これは一般国民が手にする日用品。貴方が持つことで貴族の間で流行すれば、価格が上がってしまうでしょう。国民の為の安価な物には手を出すべきではないと思います」  彼女の考えはしっかりとしていて、僕ははっとした。僕は貴族として、公爵家としての義務の存在をすっかり忘れていた。   「あ、あの……申し訳ありません。言葉が過ぎました……」 「謝ることなんてないよ。フローラは、僕のあるべき姿を教えてくれた。僕の為に言ってくれた言葉だ。嬉しいよ」  彼女が隣にいてくれれば、僕は〝三公爵〟としての重圧にもきっと耐えることができる。二人でなら、どんなことでも可能に思えてくるから不思議だ。  店の中、白い陶器が並ぶ場所で彼女は足を止めた。貴族が使う程の品質ではなく、一般国民用の価格より高い。中途半端で、どの層に向けた品なのか考えていると、彼女が白いカップを手に取った。彼女が両手でカップを包み込むと、その仕草が可愛らしくて胸がどきりとした。 「それを買うのか?」 「ええ。このカップを二つ、それから……」 「二つ?」 「……貴方も気分転換に来て下さることもあるでしょう?」  目を伏せる彼女の恥ずかし気な微笑みが、僕の心臓を鷲掴みにした。二人だけでお茶を飲む光景を想像して頬が赤くなる。  コンスタットとオーエンは、僕の不在を狙って館へと訪れている。今の僕は王族から依頼された重要な仕事に掛かっているので、館に常時いることは難しい。  来るなと言えば、さらに面白がることは目に見えている。住み込みの使用人を雇い入れ、いざという時に彼女が隠れる場所を作って凌いでいる状況だ。  彼女の言う通り一月(ひとつき)もすれば二人も飽きるだろう。離れることは寂しいが、まずは彼女の身の安全を優先したい。  僕は二カ月後、彼女を老伯爵夫妻の養女にする約束を取り付けた。それまでに求婚をやりなおそうと考えていた。   ■ ■ ■  私が湖の家へと向かう五日前になって、便利屋から手紙が届いた。手紙は暗号文で書かれているから、アーネストや夫人に見られてもかまわない。堂々として微笑んでいれば、私が何をしているのか疑われることはなかった。  手紙はコンスタット専用の馬車が事故を起こしたという報告だった。  私は事故に見せかけて大怪我をさせるようにと便利屋に指示を出していた。便利屋は何人もの人を介して、馬車を点検する業者に協力者を送り込み、部品が壊れるように細工をするという計画が実行されて成功した。コンスタットは酷い怪我を負ったらしい。  ただ、今回壊れたのは指示した部品ではなく別の部品だった。偶然の事故の可能性もあり、成功報酬を払っていいのか指示が欲しいと書かれている。  偶然にしては不思議なことだと思いつつも、結果がでているのだからどうでも良かった。支払うようにと連絡をして、私は次の指示を書き送った。  事故から二日が経っても、コンスタットが事故にあったという話はアーネストの口からは出ない。続いて便利屋から届いた手紙には、コンスタットはこの国すべての医者から、回復は無理だと診断されたと書かれていた。  公爵家の主治医以外は、誰もコンスタットを治療しようとしないらしい。やたらと内部の様子が詳細に綴られているのは、情報提供者が公爵家内にいるのだろう。  四日が経過して、ようやくアーネストの口からコンスタットの話が出てきた。 「コンスタットが酷い事故にあったそうだ。今日、初めて聞いた」  アーネストは貴族の噂話で知ったようで、グラスプール公爵家は事故の話をアーネストには連絡していなかった。 「明日、見舞いに行こうと思うんだが、一緒に行ってくれないか」  アーネストの希望を私は承諾し、出発日を変更して同行することにした。  ■  コンスタットはグラスプール公爵家の別宅で療養していた。王都の端にある屋敷は荘厳な造りの建物で、外は手入れされた美しい庭園に囲まれ、屋敷の内部は高価な美術品で飾られていても、どこか寒々しい空気に包まれている。  見舞いに来たと言えば、あっさりとコンスタットの部屋へと通された。どうやら誰も見舞いには来ていないらしい。通常、高位貴族が怪我や病気になれば、部屋に溢れる程の花や見舞いの品、手紙の山が飾られるはずなのに何も置かれていない。  寝室に入ると、全身を包帯で巻かれたコンスタットが横たわっていた。  コンスタットの目が動き、その緑色の瞳はアーネストに助けを求めているように見えた。アーネストは枕元の椅子へと座り、コンスタットの包帯だらけの手を握る。 「コンスタット、一刻も早く回復することを祈るよ」  アーネストの無邪気で悪気のない言葉に、私は内心笑ってしまった。コンスタットが回復する見込みはないと知っている。この国一番の腕を持つ医術師の妻を、この三人は凌辱していた。他にも数名の高名な医術師の妻や娘を手にかけている。どれだけお金を積まれても、誰も治療しようとは思わないだろう。 「きっと大丈夫だよ。怪我が治ったら、また一緒に飲もう」  コンスタットの目がアーネストへの怒りで燃えているのに、アーネストは気付いていない。無傷で健康な者が、安易に不可能な希望を示したことへの怒り。話すことができないコンスタットに対して、アーネストは無神経な言葉を掛け続けている。  アーネストを黙らせろと言わんばかりにコンスタットの視線が私へと向いた。私は微笑んで『皆から恨まれていますのね』と声を出さずに言い放つ。途端にコンスタットの体が、がたがたと大きく震えた。怒りなのか、恐怖なのかはわからなくても、私にはどちらでも良かった。 「おい? 大丈夫か? 今、人を呼ぶ」  アーネストが寝室の扉を開けて、使用人を呼びに出て行った。公爵家の跡取りなのだから、通常は医術師や使用人が側につくものだろう。誰もいないということは、公爵家自体から見捨てられていると考えるべきではないだろうか。 「誰も助けませんよ。これが貴方たちがしてきたことの結果です」  私が微笑みながら囁くと、コンスタットの目が見開いた。 「貴方は一生、動けない。もう誰も、貴方の言葉を聞きません。貴方は独りで、女性たちに何をしてきたのか思い出すだけ」  アーネストが使用人を呼んできたものの医術師ではないので、特に何もできることはない。包帯が苦しいのかもしれないというアーネストの完全な思い付きで顔の包帯が解かれると、酷い傷跡で歪んだ顔が露になった。これでは回復したとしても、元のようには振る舞えないだろう。 「……また来るよ」  想像以上に酷い傷跡を見ているのがつらくなったのか、アーネストは逃げるように立ち上がった。  寝室から出るとアーネストが持参した花束が豪華な花瓶に活けられていることに気がついた。花は整えられてはおらず、花束の包みを外して、そのまま花瓶に入れただけのように見える。  それは、とても味気ない光景に思えた。   ■ ■ ■  コンスタットの見舞いをした三日後、彼女は湖の家へと旅立ってしまった。というより、僕が送り出した。  僕よりも先にコンスタットの事故を知ったオーエンは、自暴自棄になって酒に溺れ、貴賤関係なく女を襲っていた。止めて欲しいと頼まれて行ったものの、彼女を抱かせろと無理難題を吹っかけられたので、娼館へ放り込むしかなかった。  酒に完全に酔ったオーエンは乱暴で、誰にも止められない状態だった。今は娼婦が交代で相手をしているが、外に出てくれば館に来ることも考えられる。今の王都より静かな田舎の方が、彼女にとって安全だと判断した。  王城での貴族の会合の後、彼女を養女にしてくれる老伯爵の姿が見えたので、挨拶をしようと近づいた。小声で話している相手は、以前子爵の老人を助けていた侯爵だ。僕の心は怯んだが、勇気を出して声を掛けて挨拶を交わした。 「先日、息子の領地で魔物狩りが行われましてな。魔物の肉が大量に手に入ったので、どこの神殿に持ち込むか相談しておったのですよ。君もどうですかな?」  老伯爵はそう言って微笑んだ。彼女と一緒に会う時と違って、口調が冷たいような気がしたが気のせいだろう。  魔物の肉は猛毒で、口にした人間を化け物に変えてしまうと言われているが、神殿で神官が聖別すれば安全に食べることができる。美味いと評判でも、魔物は人を喰らうこともあると考えると食べたいとは思えなかった。言葉を選んでどうにか断ることができた。 「それは残念ですな。……シェリー嬢との養子縁組を早める訳にはいきませんかな? 妻がとても気に入っておるのです。すぐにでも本当の娘として迎えたいと言っております」  彼女の話題になると、老伯爵の口調が柔らかいものになった。彼女は本当に人に好かれる。出会って話した人々は、皆、彼女を気に入ってしまう。  僕は彼女の本名を教えていないのに、老伯爵が彼女の名を口にしたことに気が付いた。そういえば父の公爵も知っていたから、父が教えたのだろう。  彼女を養女にした後、一月(ひとつき)は伯爵家で預かりたいという老伯爵の言葉に、曖昧な返事を返して、僕はその場を後にした。  ■  彼女がいない館は空虚で寂しい。まっすぐに帰る気分にはなれなかった。  娼館へ放り込んだオーエンが気になって見に行くと、直前に出て行ったところだった。娼館の主が酷い状況だとオーエンが滞在していた部屋を見せられた。家具は壊され窓はすべて割られていて、数名の女がしばらく使い物にならないと愚痴られた。  僕は主に多めの代金を支払い、オーエンを探すことにした。  徒歩で出て行ったという証言をもとに王都を歩く。  王都の道はすべて石畳で覆われていて、それは怪しげな路地裏でも変わらない。僕は知らぬ間に裏通りへと踏み込んでいた。  従僕を一人も連れていないことを僕は後悔した。まだ夕方だというのに酔いつぶれた男が道端で眠り、酒場の窓からは一挙手一投足に鋭い視線が注がれる。表通りに戻ろうとした所で、ふらふらと歩くオーエンの後ろ姿を見つけた。僕と同じ茶色の髪は見間違えることはない。 「オーエン!」  呼びかける僕の声に、ゆっくりと振り向いたオーエンは別人のようにやせ細っていた。酒ばかり飲んで、情事にふけっていたのだろう。薄汚れたシャツに黒いズボンは酷い有様で、手には酒瓶を持っている。  帽子をかぶった薄汚れた少年がオーエンにぶつかった。少年は無言で走り去り、よろめいたオーエンが近くにいた男にぶつかる。 「何だぁ! やるのか!?」  男が声を荒らげ、オーエンを殴る。オーエンは持っていた酒瓶で男を殴った。  それをきっかけに、路地は乱闘の場と化した。男とオーエンを止めようとした男たちが殴り合いを始め、誰が誰と争っているのかわからない。僕は巻き込まれないように必死で建物の陰へ身を隠す。 「おい! こいつ死んでるぞ!」  誰かの叫びで乱闘が止まり、男たちは全員が逃げ去った。恐る恐る路地を見ると、道の真ん中でボロボロになったオーエンが仰向けに倒れていた。腹にはナイフが刺さり、赤い血がシャツに広がっている。 「オーエン!」  僕が駆け寄ると、オーエンにはまだ息があった。 「まだ生きている! 馬車を呼んでくれ!」  僕は必死で助けを求めた。刺されたナイフを抜いてはいけないことは知っている。手巾で傷を押さえながら馬車を待つ。  現れた馬車は粗末な荷馬車だった。贅沢は言ってはいられないと、呼んでくれた者に金を渡し、荷馬車の主にも金を渡して荷馬車を走らせた。  荷馬車は、僕も名前が聞いたことのある高名な医術師の屋敷へと向かった。  僕の名前を門番に告げてオーエンの治療を求めるが門は開かない。その医術師は診療にでかけていた。紹介された近くの医術師の屋敷でも、不在だと断られる。その次でも断られた。  四件目で断られた時、その医術師と同じ外国風の名前を叫んで助けを求めていた女のことを思い出した。女の顔は覚えていない。  僕は背筋が寒くなった。貴族相手の医術師たちは、その功績によって夜会や園遊会に招かれることもある。夫人や娘を連れて来る者もいて、僕たちは、そんな夫人や娘を犯したことがある。  次の医術師の家では、僕は偽名を使った。刺されていると言えば、すぐに門が開いて中に案内されたが、治療室へ入ってきた医術師が僕の顔を見て顔色を変えた。 「……貴方でしたか。……しかし医術師として、私は患者を見捨てることができない。これは、亡き妻に誓った約束です」  銀縁眼鏡の青い髪の医術師は、冷たい目をして手早く処置を始めた。その手つきは正確で、迷うことがない。  翌朝、オーエンは一命をとりとめた。僕が治療代を払おうとすると、医術師は強く断り、一刻も早く出て行けと冷たく告げた。  ■  オーエンを迎えにきた馬車に乗せ、王城近くのテンバートン公爵の屋敷へと到着したが、何故か鉄の格子でできた正門は開かず、その横の小さな通用門が開かれた。  通用門では馬車は通れない。従僕と両側からオーエンを支えて門をくぐる。玄関までは遠いが仕方がない。 「オーエン、屋敷に戻ってきたぞ」  僕の言葉に反応して、オーエンが目を開いた。 「うああああああ!」  公爵家の屋敷を見上げたオーエンは、僕たちの手を振り払って走り出し、鉄の門の格子を掴んで上り始めた。 「嫌だ! 俺は公爵など継がない! 死にたくない!」  オーエンは高い門の上に立ち、吼えるように叫ぶ。 「オーエン! 降りろ!」  僕の叫びはオーエンの耳に届かない。 「来るな! 触るな! 俺は悪くない!」  何かを振り払うように手を宙に泳がせていたオーエンは足を踏み外し、背中から石畳の上に落ちた。  不自然に曲がった首と体の下からは、赤い血が広がっていた。
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