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2-3
手を握られた一件以降、慶士との距離は縮んでいた。
慶士は部屋にいるとき大抵、観光の下調べをしているかタブレットで絵を描いている。就寝前でもなければ部屋のドアはいつも開かれていたから、気軽に訪ねることができた。
理央のまわりには、いまの年齢になっても熱心に絵を描き続けている人はいなかった。ゆえに交流もしてこなかったから、その慶士の姿はとても珍しかった。奇異にすら見えた。
慶士の部屋はおおよそ片付いており、落ち着いている。居心地はいい。慶士は大抵机にいる。そんなわけで、ベッドは理央の居場所になった。
理央は少し前まで、慶士から同情されているのかと思っていた。
駅で喧嘩している姿を見せたし、問題児と思われているだろうと。慶士は、理央の両親と仲が良いから、きっといろいろ聞いただろう。面倒をみてあげなくちゃとか、一人にしないほうがいいとか、そういう意味合いが含まれているのかと思い、慶士の干渉がとても鬱陶しく思えた。
しかし実際は、ホストファミリーの息子だからというよりも、理央個人になにか特定の感情があるのだと知ってからは、むしろ好感をもった。それ以来うざったく感じることはなくなった。
「11月に、長野と群馬、岐阜に行こうかと思ってるんだ。1週間くらい」
椅子に座った慶士がそう切り出し、理央はベッド上で寝転びながら返事をした。
「1週間か」
「恭子さん達にはもう相談してあるよ。俺は1週間だけど、理央も行かない? どこかで合流するとか」
「いかない。学校あるし」
「そう言われると思った」
その気がなかったので即答したところ、慶士は力なく笑った。理央は手をついて起き上がった。
「じゃあなんで俺に聞くんだよ」
「理央が一緒だったらいいなって思うから」
理央は口を閉じ、考える。
慶士からのこういう好意はただ嬉しいもので、だけれど………。嬉しいことは確かでも、どう反応していいのか全くわからなかった。
慶士は椅子から立ち上がって、今度はベッドに腰掛けた。
「理央って、あんまり旅行にいかないんだって聞いた」
「……そうだよ。移動とか面倒だろ」
「11月なら気候もちょうどいいって言うし、気分転換にもいいと思うんだけど」
「気分転換なんてしたくない。何? なにが言いたいんだよ」
ベッドに投げ出された手を、急に慶士が握ってきた。
「なっ……何?」
「絵はもう描いてないらしいけど……、なんでやめたの?」
「やめたかったから」
「そうじゃなくて、理由を知りたい。なにか問題があるなら、俺が力になるから」
「は………」
慶士の提案に驚いて、理央はただ瞬きを繰り返す。胸がざわついて、変な感じだった。呼吸も浅い。
慶士の表情は大真面目に見える。握られた手だけが異様に熱を持っている。
「や……やめた理由って……なんとなくだよ。勉強とかあるだろ」
「でも中1であの絵だろ? 自分が上手いとは思わなかった?」
「上手いかなんて、よくわからなかったけど……、けど他に優先することがあれば描かないって、それだけ」
「やめた、って恭子さんは言ってたよ。カフェの階段の絵っていつ描いたもの? カフェの人は、店舗ができた5年前からあったって言ってた。建物のオーナーは別だから詳しくはわからないって」
「人に聞くなよそんなこと……」
「理央が教えてくれたら、訊かなくてすんだ」
質問されたとき、適当に受け答えした記憶がよみがえる。
「ほんと不思議だよな。あそこはバイト先として理央が薦めてくれたのに、なんで隠すんだろう」
「離せよ」
「答えてくれるまで離さない」
「おまえって、男が好きなの?」
理央はなんとか話題を変えたくて、ついそう言った。
「……え? 男っ、て?」
「恋愛とか……」
数秒おいて慶士は手を離した。慌てた様子だった。
「いや、別にこれはそういうことじゃない! 誤解されるような行動だった?」
「男同士で手を握るとか、あんまりしない」
「違うよ。ぜんぜん違うから! 俺は異性愛者だよ」
「ふーん……」
「ごめん。なんでかわからないけど、たまにそうやって誤解されるんだ。指摘してくれてありがとう。気をつける」
少しだけ、残念な気がした。必死に説明する慶士は嘘をついているように見えない。理央は言う。
「おまえ、こんな感じだからバイト先の人にも告られたのかもな。ナメられてたわけじゃなくて。ただ気があるように見えるのかも」
「俺は、女性にはものすごく気をつけてるから。まず触るなんてしないよ」
「男ならオッケーだって?」
「いや……男にだけスキンシップするわけじゃ」
「じゃ俺はなんなんだよ」
「理央に触りたくて……」
数秒の沈黙があり、そのあと慶士は力強く言った。
「待って。今のも、愛とかそっちの意味じゃない。本当に、神に誓って」
「けどそれって」
「本当だから。絶対にないからそういうのは。ただ……俺は理央と親しくなりたいだけだよ。出会いの印象が悪かったから、その反動かな。理央がどういう人なのか、ものすごく気になるんだ」
「そー……」
「気になって夢に出てくるくらい、1日中、理央のこと考えてる。これは自分でもどうかと思ってるけど。たぶん、理央がつれないから余計気になってるんだろうね。毎日顔を合わせるし」
理央が想像していたより、慶士はずっとこの手の経験がないようだ。どう考えても男相手にいう台詞じゃないとは思うが、日本とアメリカじゃずいぶん感覚が違うだろうから、決めつけるのもよくない。
とにかく今は、慶士が真剣な様子なので茶化す事もできなかった。出方を測りかねていると、ベッドから立ち上がった慶士が言う。
「俺はもう寝るよ、出ていって。おやすみ」
「ああ、うん……」
続いて反対側からベッドを降りる。なんだか気まずい。慶士になにか話しかけたくて、理央は言った。
「旅行、2日間くらいならどこか行ってやってもいい」
「来なくていいよ。誘った俺が間違ってた、大丈夫だよ」
「行く」
「いいって、無理しないで」
「してない……。別に嫌じゃないし」
「………何が?」
「こういうの」
「こういうのって」
もどかしくなって、理央は目の前の身体に抱きついた。横からだった。
このあいだ抱きしめられた感触が忘れられなくて、確かめてみたかったのもある。腕の中で慶士は固まっていた。
「……理央、どういう」
「触りたいっていうのはさ。ハグするといい感じの脳内物質がでて健康になるとか、そういうの?」
「脳内物質……?」
「オキシトシンだっけ」
「ああ、そういえば聴いたことあるような」
「この前もおまえ体調崩してたし、日本に来て少し馴染んできたとこで、気が抜けてホームシックになってんじゃないのか」
「……そうかな」
「あっちみたいに挨拶で抱き合ったりしないだろ。基本的に握手だってしないし」
「言われてみれば確かにそうだな。気づかなかった、自覚もなかったよ」
理央は抱きしめる腕にいっそう力を込めた。良いことを思いついてしまった。
「俺でよければ協力してやるよ、ホームシックが治まるまで」
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