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2-5
11月になると慶士はバイトを調整し、1週間の旅行へ行ってしまった。その頃には、もうハグはしなくなっていた。
たかが1週間だけれど、親よりも顔をあわせていた慶士が家にいないのは、かなり違和感があった。
以前なら、家にひとりなんて最高の時間だと感じていたはずなのに、妙な寂しさがあり、こっそり慶士のベッドで寝ることもあった。
デオドラントの香りがした。香水かもしれない。
あまり素っ気なくするのもかわいそうだし、もう少し歩み寄ってやるか、と思う。
彼がいずれアメリカに帰るといっても、交流して損はない。英語を教わるのもいいかもしれない。そうやって、利用して、踏み台にしてやればいい。
いつか彼が去っても、それならきっと平気だ。
「理央」
遠くでそう聴こえた。
夢の中のような気がしてしばらくじっとしていたが、肩を揺すられた感触があり、目をあける。
「ただいま。なんで俺の部屋にいるの?」
慶士は呆れたような笑い方だ。すぐにベッドを離れ、重そうなリュックを壁際に置いた。
そして、ペットボトル片手にベッド端に腰掛けて、理央を見下ろす。少し日焼けしていた。
「留守中に部屋に立ち入るのもどうかと思うけど、まさかベッドで寝てるとは」
「あ……」
理央は夕方のうちに部屋に戻る予定だったが、そのまま寝過ごしたようだ。慶士はペットボトルから水を飲むと理央の身体の上に重なるように倒れ込む。
「俺……もう一度ちゃんと理央のこと誘えばよかったな。一緒に来てほしいって」
「あー……、うん」
「理央のこと考えてた。きみが一緒だったら、なんて言っただろうとか」
そうつぶやいたあと彼は理央の腹部に頭を置き、掛物に顔をふせたまま、動かなくなった。
「理央なら何を感じたんだろうとか……。一人でも楽しかったよ。でも、理央がいたらもっと良かったな。たぶん、きっと………」
理央は、慶士のベッドで寝ている事について言い訳を探していたが、頭が働かない。
「俺の日本語が変だから、君は、4ヶ月たっても心を開いてくれないのか」
「……なに?」
「自分が嫌になるよ。甘く見ずに、もっと日本語の勉強をしておけばよかった」
「…おまえの日本語が変とか、下手とかそういうことじゃない。充分だよ。俺がけっこう……特殊だと思う」
「そうかな」
「おまえ、異性愛者だっていったよな。女が好きなんだろ?」
「ああ」
「でもおまえがやってる事って、そう見えない」
「……どのへんが?」
「俺のことを、すごく好きみたいに見える」
「……それはそうだよ。何度も言ってるけど、もっと親しくなりたいし。理央と」
慶士は大真面目のようだ。理央は、はぁ、とため息をついた。これじゃなにも進まない。
「じゃあ。俺がいま、ベッドで寝ててどう思った?」
「それは」
「正直に」
「…………ゃ」
かすれた声はうまく聴き取れず、理央は肘をついて起き上がる。慶士は真顔でつぶやいた。
「に………、したい」
「日本語で」
「めちゃくちゃにしたい」
様々な意味を含むそのセリフを、じっと見つめながら言われた。
「すごくかわいい」
慶士は呆然とした様子で、目も虚ろだ。彼はベッドから降りる。
「確かに……俺、ちょっと変だな……。シャワーを浴びてくるよ」
「慶士」
理央は思わず呼び止める。
「待って、何?? どういうこと」
「大丈夫、誤解しないでほしい。実は俺は……まだ君が絵を描いてるんだろうと思ってて、それで」
「うん……」
「やめたなんて嘘だよな? 今もずっと描いてる。手を見ればわかるよ。やめてるわけない」
何の話だ。理央は口出ししたいのを堪えて待つ。
「俺はポートフォリオ用にアニメを作ってるんだ。日本にいるうちに完成させられたらと思ってる。誰かと共同作業したほうが俺の目的としては印象がいいから、チームでやりたくて。それなら理央とやりたい。だから……、まず友達になりたくてさ。信頼関係っていうか」
「全部初耳だ」
「絵をやめたことにした理由を聞き出せたら……相談しようと思ってた。だけど、ぜんぜん手応えはない。理央だって、充分俺に好意があるようにみえる。でもきみはまだ沢山のことを俺に隠していて、俺には話す気もなくて」
「待てよ、話が見えない」
「俺は、ホストファミリーを頼ってきた留学生。きみにとっては単なるお客さんだから、俺とは打ち解ける気がないんだろ? それなのに、こんなふうにすごく親密みたいな行動をするし、悪びれない」
「なあ」
「そういうのが、ものすごくムカつくよ。弄ばれてるみたいで!」
理央はベッドのうえ、二の句が告げなかった。慶士は言う。
「……シャワー浴びてくる。そのあいだに部屋から出ていって」
「なっ……、なんだよ……、よくわかんないんだけど」
「俺をおもちゃにして楽しかっただろ」
「おもちゃになんて」
慶士は両手で顔を覆い、ため息まじりでうつむいた。
「とにかく! 俺はシャワーを浴びてくるから、そのうちに、部屋から居なくなってほしい。俺が望んでるのはそれだけ」
「ごめん」
「理央のそういうところが好き」
「え」
「自分がなんで怒ってるのか、俺もよくわからない。またあとで……」
彼は壁際のチェストから衣服らしきものを掴むと、あっというまに部屋から消えた。
理央はベッドからおり、少しうろうろしたあと、出掛けることにした。頭がパンクしそうだった。
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