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4-3
翌朝の気分は最悪だった。おそらく人生で1番憂鬱な朝だった。
少し冷静になるとわかる。自分の言動の幼稚さ、勝手さ。あんなに寛容な慶士を怒らせたこと。
理央がもし慶士と同じ立場なら、なんだコイツと思うだろう。そもそも、話し合いなんてしない。
わかってる。
慶士に合わせる顔がない。
恥ずかしいのもあるが、何を言われても頭にきそうだ。暴言を吐いて、状況がさらに悪くなる予感がした。
毎週金曜は各自で朝食を取ることになっていた。
慶士のことが好きでも、いつも一緒というのはどこか窮屈だったし、一人で適当にやりたいときもある。提案したら、いいよと返ってきたので、そういう決まりになったのだ。
本当ならばこの時間、慶士はキッチンにいないはずだった。彼は金曜に1限があるからだ。この時間にはもう家を出なくてはならない。
慶士は、個人的な都合で講義をサボるなんて頭がまずない。むしろ勉強がしたくて仕方ない。だから、いくら理央のことが気がかりでも………。
顔を洗ってからキッチンへ入ると、慶士がそこにいた。マグカップを手に、食卓の席についていた。もう片方の手にはスマホ。どうみても食事は済んでいる。
「おはよう」
「……おはよ……う………」
理央は完全に気を抜いていたため、声がかすれた。自分の髪型が気になって頭を撫でつける。目をそらし独り言のように呟く。
「あんた、なんでまだいるんだよ」
「明日話そうって、理央がそう言っただろ?」
「夜かと思った」
「……俺も気が長いほうじゃないから、早めにハッキリさせたい」
その言い方に棘が含まれている気がして、理央は身体を強張らせる。
気まずくても腹は減る。慶士を理由に行動を変えたくなかった。
卓上に置かれていたシリアルを手に取り、ボウルに入れて、冷蔵庫から取り出した牛乳をそそぐ。
もくもくとシリアルを食べている間、慶士は、スマホを見ているだけで喋らなかった。
さっきは「話そう」と言ってたのに。
残った牛乳まで飲み干して一息ついたところで、急に慶士の手が伸びてきた。
卓上で理央の手を握った。
まったく予想していなかったので、理央は驚いて手をはねのけ、勢いよく立ち上がる。
椅子が足を引きずって鈍い音を立てた。慶士は驚いて目を見開き、理央を見上げている。
「理央」
「許可なく触るな」
「……確かに。ごめん」
「別に謝らなくていい」
「そう?」
こんなふうに、機嫌取りのように立場を弱くしてみせる慶士が気に入らなかった。
もう、彼の全てがムカついて仕方ない。仕草が癪に障る。
「理央。とにかく俺は……家で気まずいのだけは避けたいんだよ。理央だってそうだろ?」
「あんたって本当にそればっかだな」
「何?」
「そういう……、感じ」
「感じ?」
「そういう感じ」
「理央、具体的に言ってほしい。俺が求めてるのはそれだよ。俺の言動全部が嫌なの? それとも昨日あった出来事に怒ってる? 要望に応えられないことはあるけど、でも理央とは友好的でいたいから」
「友好的でいたいって……。それって、ホストファミリーの息子だからだろ」
慶士は、理央を一瞥したかと思うと、顔を左右に振って短いため息を吐く。明らかに苛立っている反応だった。
「理央が、どうしてもそう思ってたいなら、それでもいいけど」
「『いいけど』って思ってないだろ。俺にムカついてるじゃん」
「……利益があるから親しくしてるだなんて、言われて、俺がどんな気持ちだと思う? 信用はできないって宣言されてるみたいで、不快だよ。俺の好意が本気かわからないからって、セックスまでしたのに……。それでもまだ、こんなふうに言われるんだって。きみには軽い遊びだったかもしれないけど、俺にはかなり、勇気の必要なことだったよ」
「は………」
「これって、『私のこと愛してるなら、なんでも言う事聞けるよね?』ってのと、どう違う?」
「俺はそんなこと言ってない」
「やってる事が似てるって話をしてるんだ」
「し……知らないし、そんなの……」
ただ文句をぶつけたかっただけの理央は、そこまで考えていなかった。慶士のネガティブな反応に驚いて、戸惑う。
慶士は再度ため息をつく。
「もうやめよう、こんな言い合い。時間の無駄だ」
彼は椅子から立ち上がり、言う。
「……喧嘩したときの、理央のしつこさや悪意には本当にうんざりする」
なにか威勢のいい言葉ををぶつけるつもりだった。
けれど、反して声は出ない。身体は熱くて、頭に血が上っていて、指先は冷たい。
慶士はまた何かを言いかけて途中でやめてしまった。コーヒーを飲み干し、マグカップを流しに持っていって、一つだけを洗った。
「もう少し落ち着いた態度で、理央の気持ちを話してよ。昨日、理央に言われたけれど、日本の文化的な言葉のニュアンスはまだ汲み取れてない……部分もあるから。よく話し合えば、誤解が見つかるかもしれない」
慶士は、ソファから大学用のリュックを拾い上げ、背負う。
理央は、思考が絡まったネックレスのチェーンみたいになっていて、うまく喋れなかった。自分でも自分のことがわからないっていうのに、慶士に色々と指摘されて、ショックだ。
慶士は普段優しい顔をしているから、こうなると余計に冷たく感じる。もう一生仲直りできないんじゃないかと思うほど。
迷ったすえ、理央はしぶしぶ言った。
「…………慶士に、俺よりも仲のいい友だちがいるのが……。大学で、それを見るのがいやだ」
理央は、手持ち無沙汰でスマホの画面を撫でていた。
「おまえが他の人と楽しそうにしてるのがやだ」
「え……」
「昨日、大学で怒られたのがすごく嫌だった」
「怒ったというか」
「俺が悪者みたいだろ。だって、そっちがアニメのこととか誘ってきたくせに……。なんか……急に、別のことのほうが大事になって、俺のことは後回しにして。しばらく待ってろなんて。そんなの……」
「理央……」
「すごくムカつく。俺のこと、どうでもいいみたい」
気づいたときには頬に涙が溢れる感触がして、慌てて食卓に肘をつき、頭をもたれさせ、考えるようなポーズをして顔を隠した。
しばらく耐えていると、慶士がすぐ横まで来た。
泣き顔は見られたくないので、そのまま不機嫌なふりをしていたが、頭を抱えるように抱きしめられ、動けなくなった。
「そうだな……。俺から誘ったのに中途半端だった。休んでいいよなんて全部俺の都合。ほんとごめん」
慶士が、なぜこのタイミングでそんなに素直に謝れるのか、理央は不思議で仕方ない。
もう少し戦うつもりでいたけど、謝罪されると何も言い返せなくなる。理央には多少なりとも自覚はある。
自分が子供っぽくて、無茶な要求をしていることぐらい。
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