4-1 絵のない額縁

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 4-3  翌朝の気分は最悪だった。おそらく人生で1番憂鬱な朝だった。  少し冷静になるとわかる。自分の言動の幼稚さ、勝手さ。あんなに寛容な慶士を怒らせたこと。  理央がもし慶士と同じ立場なら、なんだコイツと思うだろう。そもそも、話し合いなんてしない。  わかってる。  慶士に合わせる顔がない。  恥ずかしいのもあるが、何を言われても頭にきそうだ。暴言を吐いて、状況がさらに悪くなる予感がした。  毎週金曜は各自で朝食を取ることになっていた。  慶士のことが好きでも、いつも一緒というのはどこか窮屈だったし、一人で適当にやりたいときもある。提案したら、いいよと返ってきたので、そういう決まりになったのだ。  本当ならばこの時間、慶士はキッチンにいないはずだった。彼は金曜に1限があるからだ。この時間にはもう家を出なくてはならない。  慶士は、個人的な都合で講義をサボるなんて頭がまずない。むしろ勉強がしたくて仕方ない。だから、いくら理央のことが気がかりでも………。  顔を洗ってからキッチンへ入ると、慶士がそこにいた。マグカップを手に、食卓の席についていた。もう片方の手にはスマホ。どうみても食事は済んでいる。 「おはよう」 「……おはよ……う………」  理央は完全に気を抜いていたため、声がかすれた。自分の髪型が気になって頭を撫でつける。目をそらし独り言のように呟く。 「あんた、なんでまだいるんだよ」 「明日話そうって、理央がそう言っただろ?」 「夜かと思った」 「……俺も気が長いほうじゃないから、早めにハッキリさせたい」  その言い方に棘が含まれている気がして、理央は身体を強張らせる。  気まずくても腹は減る。慶士を理由に行動を変えたくなかった。  卓上に置かれていたシリアルを手に取り、ボウルに入れて、冷蔵庫から取り出した牛乳をそそぐ。  もくもくとシリアルを食べている間、慶士は、スマホを見ているだけで喋らなかった。  さっきは「話そう」と言ってたのに。  残った牛乳まで飲み干して一息ついたところで、急に慶士の手が伸びてきた。  卓上で理央の手を握った。  まったく予想していなかったので、理央は驚いて手をはねのけ、勢いよく立ち上がる。  椅子が足を引きずって鈍い音を立てた。慶士は驚いて目を見開き、理央を見上げている。 「理央」 「許可なく触るな」 「……確かに。ごめん」 「別に謝らなくていい」 「そう?」  こんなふうに、機嫌取りのように立場を弱くしてみせる慶士が気に入らなかった。  もう、彼の全てがムカついて仕方ない。仕草が癪に障る。 「理央。とにかく俺は……家で気まずいのだけは避けたいんだよ。理央だってそうだろ?」 「あんたって本当にそればっかだな」 「何?」 「そういう……、感じ」 「感じ?」 「そういう感じ」 「理央、具体的に言ってほしい。俺が求めてるのはそれだよ。俺の言動全部が嫌なの? それとも昨日あった出来事に怒ってる? 要望に応えられないことはあるけど、でも理央とは友好的でいたいから」 「友好的でいたいって……。それって、ホストファミリーの息子だからだろ」  慶士は、理央を一瞥したかと思うと、顔を左右に振って短いため息を吐く。明らかに苛立っている反応だった。 「理央が、どうしてもそう思ってたいなら、それでもいいけど」 「『いいけど』って思ってないだろ。俺にムカついてるじゃん」 「……利益があるから親しくしてるだなんて、言われて、俺がどんな気持ちだと思う? 信用はできないって宣言されてるみたいで、不快だよ。俺の好意が本気かわからないからって、セックスまでしたのに……。それでもまだ、こんなふうに言われるんだって。きみには軽い遊びだったかもしれないけど、俺にはかなり、勇気の必要なことだったよ」 「は………」 「これって、『私のこと愛してるなら、なんでも言う事聞けるよね?』ってのと、どう違う?」 「俺はそんなこと言ってない」 「やってる事が似てるって話をしてるんだ」 「し……知らないし、そんなの……」  ただ文句をぶつけたかっただけの理央は、そこまで考えていなかった。慶士のネガティブな反応に驚いて、戸惑う。  慶士は再度ため息をつく。 「もうやめよう、こんな言い合い。時間の無駄だ」  彼は椅子から立ち上がり、言う。 「……喧嘩したときの、理央のしつこさや悪意には本当にうんざりする」  なにか威勢のいい言葉ををぶつけるつもりだった。  けれど、反して声は出ない。身体は熱くて、頭に血が上っていて、指先は冷たい。  慶士はまた何かを言いかけて途中でやめてしまった。コーヒーを飲み干し、マグカップを流しに持っていって、一つだけを洗った。 「もう少し落ち着いた態度で、理央の気持ちを話してよ。昨日、理央に言われたけれど、日本の文化的な言葉のニュアンスはまだ汲み取れてない……部分もあるから。よく話し合えば、誤解が見つかるかもしれない」  慶士は、ソファから大学用のリュックを拾い上げ、背負う。  理央は、思考が絡まったネックレスのチェーンみたいになっていて、うまく喋れなかった。自分でも自分のことがわからないっていうのに、慶士に色々と指摘されて、ショックだ。  慶士は普段優しい顔をしているから、こうなると余計に冷たく感じる。もう一生仲直りできないんじゃないかと思うほど。  迷ったすえ、理央はしぶしぶ言った。 「…………慶士に、俺よりも仲のいい友だちがいるのが……。大学で、それを見るのがいやだ」  理央は、手持ち無沙汰でスマホの画面を撫でていた。 「おまえが他の人と楽しそうにしてるのがやだ」 「え……」 「昨日、大学で怒られたのがすごく嫌だった」 「怒ったというか」 「俺が悪者みたいだろ。だって、そっちがアニメのこととか誘ってきたくせに……。なんか……急に、別のことのほうが大事になって、俺のことは後回しにして。しばらく待ってろなんて。そんなの……」 「理央……」 「すごくムカつく。俺のこと、どうでもいいみたい」  気づいたときには頬に涙が溢れる感触がして、慌てて食卓に肘をつき、頭をもたれさせ、考えるようなポーズをして顔を隠した。  しばらく耐えていると、慶士がすぐ横まで来た。  泣き顔は見られたくないので、そのまま不機嫌なふりをしていたが、頭を抱えるように抱きしめられ、動けなくなった。  「そうだな……。俺から誘ったのに中途半端だった。休んでいいよなんて全部俺の都合。ほんとごめん」  慶士が、なぜこのタイミングでそんなに素直に謝れるのか、理央は不思議で仕方ない。  もう少し戦うつもりでいたけど、謝罪されると何も言い返せなくなる。理央には多少なりとも自覚はある。  自分が子供っぽくて、無茶な要求をしていることぐらい。
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