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5−1  六月のある日、二人は大学帰りに待ち合わせて、池のある公園へ出かけた。駅から20分ほど歩いた緑地。夕陽は落ちかけている。  立地のせいか公園に人はほとんどおらず、まれに犬の散歩とすれ違うだけだ。  「理央、プレゼント」  理央に渡したビニール袋には、1週間前に悩んで買ったキャップが入っている。黒字に白のロゴだから、あまりにも無難だけれど、普段遣いしやすいだろう。  理央は袋を見て一瞬固まり、袋と、慶士の目を交互に見やる。  それを何回か繰り返した後、おずおずと受け取った。 「……プレゼント? 俺に」 「うん」  理央は帽子を取り出すと、ツバを持ってぐるりと観察した。眺めたあと、前髪を撫でつけながら頭にかぶる。  リアクション自体は小さいが、照れくさそうに目を合わせてくれる。理央はつぶやく。 「俺の誕生日って、10月だけど」 「知ってるよ。それとは別に何かあげたかったから」 「なんで?」  心底不思議そうに尋ねてくる理央。慶士にはそれが可笑しく思えて、言葉に迷った。 「だって、理央とは特別な関係になったから。記念に」 「そう……。ちょうどいいし、これが誕生日プレゼントでいいよ。ありがとう」  公園を歩くうち、理央の態度はどんどん軟化していった。次第に口数も多くなる。こうなったときの理央はとても無邪気に見えて、慶士も気分が良くなる。  慶士はこの時間を終わらせるのが惜しくなった。自販機で缶ジュースを買い、池の周りをもう一周する。途中でベンチを見かけて座ってみたが、陽も落ちているため、石造りの座面はハッとするほど冷たい。すぐに立ち上がろうとしたが、理央が膝上に座ってきたのでしばらく耐えていた。  この1ヶ月、理央とは穏やかな関係を築いていた。  性的なことはしなかった。慶士はある程度覚悟していたのに、理央からの要望はなかった。  互いの立ち位置が『恋人』として明確になったことで、理央の気持ちが落ち着いたようだ。  どんなに忙しそうにしていても、文句をつけてくることはもうない。それどころか、労りの言葉をくれる。そんな時、慶士にはある情動が生まれる。  その情動は野放しにしてはいけないものだと、慶士はうっすら認識していた。たびたび理央の前でそれが噴出しそうになっては、理性が勝って、何も起こらなかったふりをしてきた。  池のほうをぼんやり眺めている理央。耳の後ろに唇を寄せた。  理央は肩をすくめて、振り返る。  薄暗いなか目が合う。彼はなにか物言いたげな視線をよこしたが、言葉はない。 「理央、今日部屋に来て」 「やだ」  即答され、慶士が二の句を告げずにいると、再度振り返った理央はニヤニヤしながら慶士を見てくる。 「俺の部屋に来いよ」    +++  もう半年以上前の、あの忙しない突発的な、焦りがつきまとった行為とは違った。  何かを試されているわけではなく駆け引きでもなく、ただ高揚しながら身体を寄せた。ほんの少しだけ後ろめたさは残っているけれど、目の前の欲望の前ではかき消えた。  さみしいなんて、あまり感じたことがなかった。  こうして理央と触れあっていると、身体の奥に残っていたわずかな、誰にも見せることのなかった緊張が、自然と解けていくような気がした。  そして、それはなくなって、元の形も忘れてしまう。  ほどけたあと、ゆっくりと消えていく。跡形もなく。  彼にとって特別な存在であること。それを実感しながら、口づけた。   ***    とある日の午後。偶然いくつかの予定が流れてしまい、ぽっかりと時間が空いた。どう過ごそうかと考えていたところ、大学と同じ区内にある図書館が意外にも広く、居心地が良さそうだと気づいたので、そこに行ってみようと決めた。定期の区間内だ。  昼過ぎに移動し、目的施設の最寄り駅で下車する。乗換駅でもないのでこの時間は人もまばらだった。改札を抜けようとしたとき、右手にあるコンビニから出てきた人物に見覚えがあり、目を凝らす。  理央とケンカをしていた、同級生の男だ。  とはいえ、顔を見たのはもうずいぶん前だから確信があるわけでもない。髪型は違っている。  慶士は真偽が気になって、彼の顔を確認したくて、不自然にはならない程度にそのあとをついていった。そしてすぐに答えは出た。  男の行く先で、また一人の男が待っていた。スマホに目を落としながら電柱を背にして立っていたのは、理央だった。  気づいた瞬間、慶士は歩調を緩め、彼らの視界に入らないように距離を置く。少しうつむいて、スマホを取り出し何かを確認しているふりをした。しばらくして顔を上げると、二人は並んで道の先に歩いていく。  理央は、今朝出ていったときと同じ姿のままだった。片手に炭酸水のペットボトルを持っている。  慶士は狼狽えていた。理央は今日、3、4限まであるはずだ。  驚きから立ち直れないまま、慶士は距離をあけてその後についていった。慶士が目的としていた図書館がその方向なのかはわからないが、とにかく身体が勝手に動いた。  駅前の短い商店街を抜け、少しずつ店が減っていき、人通りもばらけてくる。  二人はなにか会話をしているようだが、その中に顔はないようだ。それに安堵しながら、頭には色々な想像がよぎった。  数メートル歩いたところで、歩行者優先部分が終わり、道の脇からタクシーが出てきた。1台行き過ぎるのを待ち、続いて自転車を見送ると、気づいたときには道の先に二人の姿はない。慶士は周囲をしっかり確認しながら歩み、つど脇道を覗き込んだが、どこにも二人の姿は見つからなかった。  慶士は諦めきれず辺りを一周してから、元の道へ戻った。スマホを見ながらどうにか衝動を収め、呆然としながらも、当初の目的だった区の図書館へ向かうことにする。  頭の中は、二人のことでいっぱいだった。  注意散漫のまま歩き、大通りを渡ってさらに10分ほど歩くと広場に出る。  そこには市民館と図書館が併設されていた。一通り施設を見てまわる。自習スペースに空きがあったのでそこに座り、勉強道具を取り出してボールペンを握った。そして、何も手につかないまましばらくはぼんやりしていた。 (なんで理央は、あの男に会うって一言も言わなかったんだ?) (俺には言うべきだ。だって、ケンカの仲裁したのが俺なんだから) (いま会って何の話をする? どっちから誘ったんだ)  慶士は、暗記したい熟語を頭に詰め込む体勢に入った。そうしているうちに二人のことから注意がそれて少しずつ気分が良くなっていった。いますぐ解決できなことに時間を割いても仕方ない。  きっと、おそらく……帰宅したら、理央は何か話してくれるだろう。  なにかの結論が出る前に、慶士に知らせたくなかったという、それだけのことかもしれない。あの男と会うとなったら心配されるだろうから、気遣って黙っていただけかもしれない。  慶士は何もかもが憂鬱で、鈍足に時間を引き伸ばしながら、すっかり夜になってから帰宅した。  やや緊張しながら玄関をあがる。電気はついていた。理央がいつも履いているスニーカーも確認する。  時間稼ぎのようにトイレに行き手を洗い、台所で水を1杯飲んでから階段をあがる。  右手のドアはノックするまでもなく開け放たれていた。理央はベッドに仰向けで寝転びスマホをいじっている。慶士に気づくと、身体をよじって顔だけ慶士を見た。 「おかえり。今日、バイトだった? 遅かったな」 「ああ……、いや。午後はサークルの予定なくなったから自習してたんだ。色々、場所移動しながら」 「ふーん……。なあ、昨日慶士が送ってきた動画観たんだけど」  理央が笑顔でその話題を出してきて、楽しそうに喋るので、慶士もつられて微笑みながら、部屋に踏み入った。  そのうち話題が変わったが、大学の前でやっている工事の件だ。会話を合わせながらも、心底どうでもいいなと思っていた。もっと先に話すことがあるだろうに、理央は切り出さない。様々な疑念が頭をよぎった。  こんなふうに相手の出方を待ち続けるのは自分らしくないと思い直し、慶士は言う。 「今日、昼過ぎにM駅で理央を見たよ」 「え?」  理央は、やや目を見開いた。 「勉強しやすい場所を探してて、区の図書館に行こうと思ったんだ。区役所と図書館が一緒になってて、広くて良さそうだったから。それで見間違いじゃなければ、喧嘩してた彼と一緒にいなかった?」  仰向けの理央の顔には、明らかに動揺が見えた。視線がさまよっている。何度かの瞬きのあと理央は漏らした。 「あー……、それは……」 「言いたくないなら」 「確かに、会って少し話した」 「なんで会ってるんだ? ……というか、なんであの日喧嘩になったのかって話も理由を聞いてないから……、俺がそれを聞くのも変な話なんだけど」  そう言いながら慶士は『恋人』である意味を考える。  理央がいつか話してくれるだろうなんて呑気に構えていたが、あの男と現在も交流が続いているのなら話が違ってくる。  こんなに親しくなったのに、理央の問題の肝心な部分を知らないのはいったいなぜなんだろう。なぜ、教えてくれなかったんだろう。 「理央」 「大した話はしてない。俺が殴った側だし一応謝っとくかって。あとから何か言われるのも嫌だし」  「謝っとくか……って? 理央が彼に謝ったのか?」 「うん、まあ」  嘘をついているとひと目でわかった。 「……謝る気なんて全然なさそうだったのに。喧嘩だって理央に非があったわけじゃないんだろ? なんで謝ったんだよ」 「殴ったって部分だけ謝った。口喧嘩で終わらせることもできたかもしれないし」 「理央から誘ったのか?」 「たまたま友達経由で連絡とれたから」  理央の言うことは何もかも胡散臭く思えて、慶士は黙り込んだ。こんなに嘘が下手な理央に驚いて、そして堂々と嘘をつくこともに驚いていた。  呆れを通り越して、落ち込んでくる。不誠実な対応をされていることについても、そう扱ってもいい相手だと理央に思われていることも、不快だ。恋人って一体なんなのだろうと考える。 「理央」  そう言いながらベッドに腰掛けると、理央は身を起こして、ベッドの端へとずれる。ただ場所を開けただけかもしれないが、その行動が警戒のようにも思えてしまい、そこでも不満が生まれた。 「理央、……謝ってみてどうだった? 彼の反応は?」 「特に良いとか悪いとかない。けじめっていうか、そんな感じで」 「今後も会う予定はある?」 「……ないけど?」  理央は、一向に本音を話す様子がない。  つい1週間前にここでセックスをした。それは事実なのに、まるで現実ではなかったみたいに思えた。
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