2 ひらめき

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2-2    理央は、美大やアート系専門学校を選ばなかったことについて、後悔はしないだろうと思っていた。  だだ、そっちを選んでいたらどうなっていたのだろう?と別ルートの自分を考えてみることはまれにあった。特に大学に入ってからは。  自分がその分野で食べていくなんていうのは、現実味がない。  親は、大学に行かなくても生きていけると言った。二人は、大学中退と高卒から経歴を築いて会社をやってるものだから反論はしなかったけれど、親が生きた時代と今は違う。  今はそれなりに羽振りよく、充実した仕事をしているように見えるけれど、最初からこうだったわけではない。収入が不安定で揉めていたり、多忙すぎて喧嘩が続いた時期があることも理央は知っている。  だから理央は、出来れば定時の会社員として働こうと思っていた。職種はまだ決めかねているところだ  こんな話をすると友達には意外だと驚かれるが、何事も命あっての物種だ。できれば一生海外には出たくない。  迷いを残した日々のなか、4月から新しい環境になんとか馴染もうとして、やっぱり無理だと思ったり、大学生にもなって人間関係の派閥があることにうんざりしたりして、学習意欲も何もかも低下したまま、夏が来た。  しかし慶士が家に来てから、様々なことが一変した。考えごとをする機会も減った。  彼に対して腹を立てたり、罪悪感を抱いたり、興味が湧いたり。感情はめまぐるしく変化した。  その中でもやはり、彼が絵を褒めてくれたことは、理央にとって大きな印象として残った。  あの時から、抜け出せなくなったのかもしれない。自分が建てた大きなテントの中に、いつも彼の存在がある気がして意識してしまう。毎日顔を合わせているからかもしれない。  以前、2ヶ月の短期留学生が泊まっていたときは、そもそも日本語が不慣れだったから親が手取り足取りサポートし、家にいる時間も長く、彼のために手料理を作ることも多かった。彼は日本語学校にも通って、そこでコミュニティを築いていた。理央は人当たり良く接しはしたが、友だちになったという感覚はない。  そこからすると慶士は、ほとんど身内のような感じで、放任されている。  両親の仕事が今年から忙しくなるのはわかっていたので、本来留学生を受け入れる予定はなかったと聞いた。  慶士の親戚は都市部には住んでおらず、しかし一人暮らしするには心細いので、シェアハウスを検討していたらしい。最終的にどうやってこの話がまとまったのか知らないが、慶士は適した人物だったといえる。  生活に慣れた今では、週に3度は慶士が夕飯を作っていた。  それにくわえ、慶士は理央よりもだいぶ綺麗好きなので、その点でも恭子は喜んでいた。  勉強中の学生を1人預かったというより、パワフルな働き手が増えたという印象だろう。  不本意ではあったが、現状、理央の服を洗濯してくれるのは慶士だった。比較されて腹が立つので、次第に理央も進んで手伝うようにはなったけれど。  慶士はというと、タダで下宿してるようなものだから、このくらい家事を任せてもらったほうが気が楽だ、とまで言う。苦ではないらしい。  「模範的な良い子」過ぎて舌打ちをしたくなる。けれど、けして不快ではない。  知りたくなる。  善人ヅラした向こうには何かあるのか。それとも本当に善人なのか。  もしもこの世に、彼を狂わせ、理性をめちゃくちゃにしてしまうものがあるとしたら、それは一体何だろう?  理央は、美女と野獣の映画を断ったあと部屋にもどり、少し絵を描いてから、昼前にはバイトに出かけた。映画館だ。  家に戻ってきたのは20時。今日、両親は地方に泊まりだから、夜は慶士と二人だ。理央はバイト帰りに買い物したビニール袋を持って2階へ向かった  慶士の部屋前で軽くノックをする。 「おい、夏バテ治ったか」  しばらくして返事がある。あけていいよ、と聴こえたのでドアをあけた。慶士はベッドに横になったままだ。理央は部屋に入り、枕へ顔を押し付けている慶士を見下ろす。 「身体どう」 「一日横になってたらだいぶ良くなった気はする」 「メシどうした?」 「これから適当にすませるよ」 「じゃこれ」  そう言って理央は、ビニール袋を掛け物の上に置いた。慶士の腹のあたり。 「何?」 「食べていいよ」 「……ありがとう。何か買ってきてくれたのか」  慶士は起き上がって、ビニールの中をのぞきこむ。  ゼリー飲料に、シリアルバー、チーズスナック。慶士がいつも好んで食べているものをとりあえず買った。夕飯にするには微妙な品揃えだが、食欲があるかわからないし、まあいいかと思った。 「理央」  彼は微笑んでいたので、きっとこれで良かったんだと思う。 「じゃ」  去ろうとすると、はっきりした声で慶士が言った。 「理央はやっぱりいいやつだったんだな」 「……は」  振り返ると、慶士としっかり目が合う。慶士はベッドから降り大股で歩いてきたかと思えば、横から理央を抱きしめた。 「お、おい!」 「そんな気がしてた。だって、俺が駅で倒した自転車を一緒に直してくれたもんな。あんなの普通やらないよ」 「どうでもいい離せよ」 「良かった」 「何が」 「俺、理央のことすごく好きだ」 「……知ってるけど」 「本当だよ」 「知ってるって」 「良かった」  慶士はようやく抱擁を終わらせる。機嫌良さそうに口角をあげ理央を見ていた。一方の理央は首をすくめたまま、うまく反応ができない。 「おまえさ……」 「この家に来れてよかった。そうじゃなきゃ、理央と仲良くなるのは難しかったと思う。気遣いもありがとう。感激したよ」  理央は困惑したまま、逃げるように慶士の部屋をでた。自分の部屋に入り、リュックを床に投げ出して、引き出しから着替えを掴む。  シャワーを浴びたくて1階へ降りた。  洗面所の引き戸を閉めると急いで服を脱ぎ、浴室に入る。シャワーのコックをひねり、ぬるい湯を出した。胸がドキドキしていた。  慶士に抱きしめられるのは悪くない。
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