砂のサイロ

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砂のサイロ 「また伸びてる」  失望から思わずつぶやいた。立て看板に描かれた工事完了予定日に斜線が引かれ、新しい日付が記入されていた。老朽化した駅ビルの一つを回収する工事だそうだ。外壁の改修だけの予定だったが、内部にも改修すべき箇所が見つかったとかで長引いているらしい。予定なら今週後半にはこの道が使えるはずだった。勤めている会社のビルはもう目の前に見えているが、工事のせいで迂回しなくてはならない。そのためにこの数ヶ月間1本電車を早くしている。ぼくの後ろから来たビジネスマンっぽい風体の男性もちらりとその立て看板を見て小さくため息をついてから迂回していった。立て看板には黄色いヘルメットを被った可愛らしいマスコットが角度90度でお辞儀しているが、彼に文句を言っても始まらないのでぼくも後続のビジネスマンにならってその道を迂回した。  日々テクノロジーは進化していっているのだけど、ぼく自身の暮らしは一向に進歩がない。それどころかテクノロジーの進歩でより一層仕事が増え、複雑化しているような気さえする。デジタル推進部という新しい部署に配属され、デジタルに強い上司の勧めで新しいガジェットを買い漁った時期があった。自動で掃除してくれるロボット、音声で買い物をしてくれるスピーカー、スマートフォンよりも小さいカメラ付きのAI端末。掃除ロボットは段差を乗り越えられずに毎日同じ場所で止まり、買い物スピーカーは設定の時点でつまづいて結局スマホを使って今まで通り買い物し、カメラ付きAI端末はサービス対象地域外だったせいでUberすらまともに注文できない。それを件の上司に話したら、それはお前のリテラシーが低いだけだろう、と一蹴された。そんなことはわかっている。世界のどこかにはクールに新しい技術を使いこなして生活を激変させる人たちがいる一方で、変化についてこれずに立ち往生してしまう人もいる。そしてそれはぼく以外にもたくさんいる。でなければどうして工事は延々と終わらないのだろう。そして、なぜこれほど会議に手応えがないのだろう。 「今日の会議の出来はけっこうよかったな」  朝一番の会議を終えて上司は上機嫌だった。思っていもいないことを言うのは気が引けたが、機嫌を損ねるのも嫌なので肯定した。 「ええ、そうですね。こう、みなさんハッとしてましたね」 「いよいよ軌道に乗り始めたな」  そう言って上司は鼻息を荒くした。デジタル推進部はぼくと上司の二人きりの部署だが、その影響範囲は大きい。営業、経理、総務、商品開発部、カスタマーサポート部、ありとあらゆる部署で使われているシステムを統合をするのがぼくたちのミッションだ。アルマーニだかどこかのイタリア高級ブランドで仕立ての良いスーツとチャーチだかどこかのイギリスの茶色の立派な革靴を履き、弁舌さわやかに、時として舌鋒鋭くプレゼンをまくしたてる上司と、洗濯機で洗える量販店のスーツに1足五千円の黒くて無個性な革靴を履いた部下であるぼくの組み合わせだ。ミーティングの席では誰もアルマーニに質問しない。期日を過ぎてもお願いした案件は出てこない。そこで量販店スーツが問い合わせると、実はアルマーニが話したことは何一つ理解されておらず、ミーティングの内容に承知した覚えはない、というのが常だ。ミーティングはいつもそんな感じで、進捗が遅れて上司から怒られるのはぼくなのでフォローアップは欠かせない。幸い今の部署に来る前は商品開発部だったので気心のしれた同期もいる。さっきのミーティングに彼も出ていたので数日後にこっそり話を聞いてみる。 「このあいだのミーティングの件、進捗どうかな。対応できそう?」  すると同期はげっそりとした表情でぼくの方を見て、力なく笑った。「ああ、例のシステムの件ね。すごくいいと思うよ。実現したら画期的だ」 「そうだろ、すごく良いシステムだ。ところでどうかな? お願いしてた件」  あー、と同期はトーンダウンした。 「今週はすごく忙しくてね。昨日も終電まで残業してたんだ」 「そうか、なるほど。もちろんそっちの業務を優先してもらっていいよ。邪魔して悪かったね」  そう言ってぼくが立ち去ろうとすると、まるで引き止めるように「いや、でもすごく良いシステムだと思うんだ。これさえできたら苦しみから開放される。ここだけの話、俺転職しようと思ってたんだ」 「えっ、どうして?」初耳だったので驚いた。 「この会社にいても毎日同じことの繰り返しだからさ。朝6時に家を出て、一日同じような仕事を繰り返して夜家に帰ったら22時か、下手すりゃ0時を超えてる。プライベートの時間なんてなにもない。でもお前の部署が導入するシステムが完成したら業務は効率化されて毎日19時には帰れる。そうだろう?」 「まあ理論上は」  その理論もアルマーニが出したものだ。だが、溺れる者は藁をも掴むらしい。目を爛々と輝かせた同期がぼくの回答を正確に理解しているようには見えなかった。 「例えば今新しく設計してるこの部品もボタン一つで完成する。そうだろう?」 「ボタンひとつってわけにはいかないけど、それでも今よりはずいぶん速くなるよ」アルマーニによれば。 「それじゃ今インド工場から来てるこの問い合わせも一瞬で回答ができる?」  同期はパソコンのモニタを見せながらぼくに尋ねた。なんだこの問い合わせの量は? ぼくが商品開発部にいたころはこんなに問い合わせはなかった。同期のメールボックスは真っ赤で、数百件のメールが未読のまま眠っている。意図不明な英語の羅列で日本から発送された部品の納期と仕様について聞いているように読めるが、全然別のことを言っているようにも見える。 「たぶん、助けになるんじゃないかな」  正直にいって全部解決するのかどうかぼくによくわからなかったけど、せっかく同期が興味を持ってくれたのだからその興を削ぎたくなくて適当に答えた。すると同期はその場で狂喜乱舞しかねないほどの喜びようだった。気になったのは、英語ならまだいいが、同期のメールボックスにはフランス語、ドイツ語、それに混じってアラビア語や繁体中国語のメールまで来ていたし、中には何語だかわからないものもあった。しかも今話している間にもメールはどんどん溜まっていった。  さぞ忙しいだろうに、同期の話は止まらなかった。 「それじゃあこのドイツからの問い合わせはどうかな? 商品が規格に適合しているかどうかなんだけど」「アメリカのこれはどう? 訴訟問題に発生してるみたいで、費用についての問い合わせなんだけど」「イスラエルからも来てて、商品が要件を満たしていないからこっちで改造していいか、って」「あと、これだ。商品が宇宙でも使えるかどうか? 試したことないな。JAXAかNASAにでも送れば良いのか?」  システムを構築する前に各部署でどんなことをしているのかざっと調査したのだが、同期の仕事は質、量ともにぼくたちの想定をはるかに超えていた。これは戻って計画を建て直さなければ。 「また伸びてる」  出勤途中の立て看板に描かれた工事完了予定日にはまた新しい日付が記入されていた。でも今回はそれほど失望していない。あまりに何度も納期が延びたのでもはや期待もしていない。ビジネスマン風の男もため息すらつかずに迂回路を歩いているのでぼくもそれにならう。  ちらりと横目で改修工事中のビルを見ると、なんだか昔の面影がどこにもないように見える。外装を変えて、窓を変えて、フロアを改装して、エレベータを変えて、そうしている間に見覚えのない建物になってしまったようだ。そのずんぐりとした大きなビルはなぜだか砂のたっぷりはいったサイロを思い起こさせた。  でもぼんやりとはしていられない。さっさと出勤しなくては。ぼくにはぼくのサイロがある。 了
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