序章

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序章

公主(こうしゅ)様」  優しくそう呼んでくれるその人が大好きだった。  この国、天籟国(てんらいこく)として何でも許される王宮では、その人は母以外に真摯に向き合ってくれた唯一の人であった。  好きな故、よくその人に対していたずらを仕掛けたものだ。  その人の役職はよく分からない。  ただ、母に仕えているからいわゆるか何かだろう。  母の為にお茶を入れ、書物を整理し、宮内を掃除する。  時に父からも呼び出しを受ける。  幼いながらも、彼が普通のと違う事は容易に伺い知れたが、彼の身分を気にした事はなかった。  こんな日々が毎日続いたらそれでいいと思った。  けれど、終わりは唐突にやってきた。  その日も、いたずらを仕掛けようとその人のところに行った。  彼が母のところにいる事は(あらかじ)め分かっていた。  皇后様に大事な用事があるので入って来ないで下さいねと言われたからだ。  でも、入っていけば相手にされると思った私は何の躊躇(ためら)いもなく入っていった。  何の心の準備もなく、緋色の世界に足を踏み入れた。 「公主様」  予想通り、その人はいつもの優しい笑顔で私を迎える。  でも────。  彼の手には剣が握られていた。  人の血を吸って、柘榴(ざくろ)の実の様に真っ赤に染まった剣が。  側にはうつ伏せに倒れて動かなくなった母と達。  床には散らばった珠玉(しゅぎょく)と一面の血の海が広がっていた。 「公主様、来てはいけませんと言った筈ですよ」  彼は困った顔をする。  私のいたずらに困り果てた時の顔だ。 「いたずら好きも悪くはないのですが、あまり人を困らせてはいけません」  彼は倒れた母の衣服に剣を擦り付け、血を(ぬぐ)う。  その剣を私に向けたと思いきや、少し考えてから下ろした。  そして何事も無かったかの様に(さや)に収め、ふっと微笑んだ。 「これから生きていく上でよく覚えておいて下さいね」  その場に立ち(すく)んだ私の頭を軽く撫で、彼は風の様に去ってしまった。 「待って───」
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