番猫のびる

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 みけという猫がいた。  その名から分かる通り、雌の三毛猫で。  拾われてからすぐに私たちに懐いて、煮干しが好物で。  喉が悪いのか、しゃがれた鳴き声を上げる子だった。  江戸 天保 十二年  どこの家も鼠の被害にあっており、うちも例外じゃなかった。  自分も旦那も、元気に働ける歳はとうに過ぎ去った。  今は二人で毎日草履の台を作り、職人に売って、なんとか生計を立てている。  材料は裏の竹林から採れる。今は竹皮の草履が都で流行していることもあって、日々の食事に困りはしないが、それを鼠に喰い尽くされてはたまったものではない。  そんな中でやってきてくれた事に喜んだものだ。  家にいる間はよく働いた。  軒先に死んだ鼠を並べるという困った癖があったが、可愛いものだった。  家族の一因として大事にしていたのだが、10年かそこらまでくると、とうとう寿命も来てしまい、私の腕の中で息を引き取ったのである。  子供を授かることもなく、たった二人で生活していた私達にとっては、子供も同然。二人でわんわん泣いた後に、家の向かいに生えている桜の樹の根本に丁重に埋葬してやった。  ただ、それからというもの、毎日のように鼠の被害に悩まされた。  貯蔵していた食料は少しずつ減っていくが、鼠どもはずる賢いのか罠にかかる様子もない。それに加え、旦那の方は身体の不調を訴え始めていた。 「あちちち……」 「どうしたんだい?」 「最近、肩が重くってなぁ……。無理に動かすと痛ぇんだ」 「やめとくれよ……。片方が動けなくなったら、どうやって生活するんだい」  とはいうものの、旦那の症状は日に日に悪くなる一方だった。 「どうしたものか……猫絵でも飾っておこうかねぇ」  私もほとほと参っていた。洗濯物を干しに外へと出たところで、家の影に小さく光る二つのものがあるのが見えた。 「おや、あんたどこの子だい」 「…………」  猫だ。光っていたのは、猫の目。  その猫は、物陰からじっと私の方を見ていた。  にゃーともなーごとも言わず、ただ、じっとこちらを見つめているだけだった。  ゆるゆると物陰から姿を現したその瞬間、息を呑んだ。  雌の三毛猫だった。 「みけ……?」  いいや、みけは死んだはずだ。旦那と埋葬した記憶だってちゃんとある。  名前を呼んでも返事をしないのだから、きっと別の猫なのだろう。  でも、その三毛猫柄は驚くほどに似ていた。  どこかの猫かとも思ったが、何日も何日もうちの軒下にやってくる。  他に行く所もないのなら、と声をかけた。 「あんた、うちにくるかい?」 「…………」  猫は何も言わなかったが、そろそろと足元に擦り寄ってきた。  私はそれを了承ととり、家に上げてやることにした。 「みけか……? いいや、みけは確かに……」  旦那も私と同じようなことを呟きながら目を丸くしていたが、こんなに似た猫がやってくるなんて、何かの思し召しだと飼うことを喜んでくれた。名前は先代と同じ“みけ”だ。  みけは一度家に上げてやると、まるで我が家のように寛いでいた。  朝にごろごろと喉を鳴らして食事を催促するため私たちを起こし、明るいうちは日の当たる場所で丸くなって眠っていた。見れば見るほど、先代にそっくりで。 「どれ、抱えてやろうか」と、旦那がみけの脇に手を入れ抱え上げてやる。  先代はこうしてやるとぶらんと足を垂らして、それでもあまり嫌そうな顔をしていなかったのをよく覚えている。このみけも、黙ったままおとなしく持ち上げられていたのだが―― 「えっ!?」  そのままずるずると胴が伸び、足が地面に付いてしまったではないか。  私が驚いた声を上げ、異変に気が付いたのか、旦那もぱっと手を離してしまう。  そんな一瞬の出来事の中で、するりと何事も無かったかのように地面に着地したみけは、小走りで私たちから離れた場所に移動すると、不満そうな視線を向けて外へと出てしまった。 「今の……見たかい? 胴が伸びちまって」 「あんまりよくは見えなかったがよう……。み、見間違いじゃねえのかい」  見間違いだったのかね。もしかしたら、重みで少しだけ腕を下ろした時にそう見えただけなのかもしれない。肩が痛いと言っていたのだから、猫を持ち上げるのだって一苦労だろうし。嫌だね、自分の記憶まであいまいになってきたじゃないか。 「思ったよりも“だらけて”いただけさ。ね、猫っていうのはぐにゃぐにゃだからな。俺たちが知らねえだけで、そういうもんなのかも知れねえ」 「そうかねぇ……」  その時はまだ気のせいで済ませていたのだが、おかしなことが頻繁に起きた。   「ふぁ~あ。眠たくていけねぇや」 「おや、あんた。夜、眠れてないのかい」 「むしろ、よく眠れるよなあ。あれだけガタガタ音が鳴ってんじゃ、嫌でも目が覚めちまうってもんだ」  まったく気が付かなかったが、どうやら余程酷いらしい。肩の痛みは悪化する一方だし、これで寝不足にまでなられたらたまったもんじゃない。 「よっぽど張り切って鼠を追っかけ回してんだね」  しかし、そのおかげでうちの穀物類が食い荒らされないでいる。食を守ると同時に、職を守っているのだから、あまり強く当たるのも可哀想な話だ。  そう言って、米の研ぎ汁に一晩漬けて乾燥させていた竹皮の節を、ぬるま湯につけて柔らかくしていく。艶の出た竹皮を丁寧に編み込んでいくのだが、相応に力のいる作業のため、ここで草履の出来を悪くしてしまっては元も子もない。    今日は無理をしない程度に済ませたということもあり、二人でも片手で数えるほどしか作れなかった。日が落ちてしまうまでがあっという間で、食事もさっくり済ませて床に就くことにした。 「今夜はあたしが寝ずに見とくから、あんたはしっかり眠りなよ」  旦那は寝付きがいいので、すぐにいびきを立てて眠った。  あまりに酷いようなら、物が壊れてしまわないように対処しておかないと。  つまるところ、寝ずの番で実態を突き止めようというわけだ。  そうして1時間が経ち、2時間経ち――変化という変化も訪れず。真っ暗い中で旦那のいびきと虫の声だけが響いていた。 「寝ぼけてたんじゃないだろうね……やめとくれよ」  ……流石に自分も眠くなってきた。こみ上げてくるあくびを噛み殺していたところで、小さくカタカタという音がした気がした。やっとかと、音のした土間の方へと向かってみる。じっと目を凝らしてみると――いた。  その輪郭は暗くて分からないが、怪しく光る赤い目がこっちを見ている。  ……赤い目? いや、それよりも、やけに大きい気もして。  分厚い雲に切れ目でもできたのか、月明かりが差し込んできて、我が家に忍び込んだ盗人の姿を(あらわ)にした。一目で分かる異様さ。その鼠は子犬ほどの大きさがあった。 「ひっ……」  大鼠がじりじりとこちらに寄ってくる。普通の大きさでも、噛みつかれて病にでもかかれば大事(おおごと)なのに、あんなものに襲われたらひとたまりもないに決まってる。  せめて棒切れでも持って追い払わなければ、とあたりを見回しても、薄暗い中では何も見えない。そうしている間にも、大鼠はかまどの上に登っており、更に距離を縮ませている。次の瞬間には飛びかかってくるだろう、と直感でわかった。 「――――っ」  声を出す暇もなく、足も動かず、ただ顔を庇うようにして腕を上げるのが精一杯。  そんな私の窮地に助けに割り込んでくれた影があった。"みけ”だ。  音もなく飛び出し、私の目の前にまで迫っていた黒い影をはたき落とした。 「みけかい……!?」  みけの方も、いつも以上にその目が光っているように見える。『ヴゥーッ』という、喉の奥から出したような鳴き声が、みけが臨戦態勢に入ったことを如実に表していた。    それはもう壮絶な大捕物だった。  右へ左へと逃げ回る大鼠を、たまが執拗に追走する。土間の中を縦横無尽に駆け回る2匹。体の大きさが小さい方が動きやすいのか、なかなか捕まらないようだった。  自分も目で追うのが精一杯だったのだが、しばらくしたところで鼠が長持(ながもち)の下に逃げ込んでしまう。調度品を入れるための大きな長持で、下に車輪が付いているため隙間があったのだ。  みけも頭と前足を突っ込んで、捕まえようと頑張っているのだが、一向に顔を出す気配がない。そうしているうちに、鼠が長持の脇のほうから逃げ出したのが見えた。 「あっ……――あっ!?」  一旦下がってから追い直すのかと思いきや、そのままに長持の下から顔を出したのである。そんな狭い隙間も通れるのか、と感心したのだが――箱の下から出てきた頭、前足、そして胴――胴、胴、胴、いつまで経っても後ろ足が出てこない。  おかしなことに下半身はその場に留まったまま。  これはいよいよ自分の頭もおかしくなったのかと疑い始めた。  にょきにょきと伸び続けるその胴のおかげで、たまの上半身は鼠を執拗に追い続けていた。土間の中をぐるりと1周、2周。続けば続くほど、鼠の逃げ場がなくなっていく。  鼠もこのままでは捕まってしまうと本能で理解したのか、開放された状態の玄関口から逃げ出そうとする。――が、たま(の上半身)も追いつく寸前の状況だった。  ここからでは見えないが、鼠とたまが家の外へと出ていって数秒もしないうちに、『ヂヂッ』という短い鼠の鳴き声が聞こえてきた。  どうなったのだろう。たまの動きも止まったということは、ようやく仕留めたのだろうか。時間はかかっていたが、たまの下半身の方が胴を追うようにして土間の中を徘徊している。  どれほどの時間がかかっただろうか、下半身が伸びた胴を全て回収し終え、全身が玄関口の外へと出ていった時、『に゛、に゛ゃぁご……』という、先代のたまと同じような、しゃがれた鳴き声が聞こえてきたのだった。 「なんだ? 今までのが嘘のように肩が軽くなったぞ」  昨晩、たまと鼠の大捕物を見た後に放心状態だった私は、自分でも無意識に布団へと戻り眠りについていたらしい。やけに上機嫌な旦那の声に目を覚ましてみると、いつもなら枕元でうろうろしているはずのたまの姿が無い。 「あんた、たまの姿は見なかったかい?」 「いいや。そういや、いつもなら朝飯を催促してくる筈だな……」  ぐるぐると腕を回している旦那は、本当に調子が良くなったらしい。  もしや、昨晩見たあの大鼠が悪さをしていたのだろうか。  ……見た目からして普通じゃなかった。きっと物の怪の類だったのだろう。そして――それはあの“たま”も同じ。旦那に取り付いていた悪い物の怪を退治するために、わざわざ化けて出てきてくれたに違いない。  あれが夢だったのではない証拠ならきっとあるはずだ。 「……ちょっと。あんた、こっちに来て見てみなよ――」  玄関口の先には、子犬ほどの大きさをした鼠の死体が丁寧に置かれてあった。  どこからともなく、『に゛ゃぁご』というしゃがれた鳴き声が聞こえた気がした。 ( 了 )
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加