遺された人形。

2/2
前へ
/2ページ
次へ
 彼と出会って、わたしは救われた。彼と過ごす日々で、わたしは幸せになれた。  わたしはふと、この店で埃を被りながら「人から捨てられた」と日々嘆く子達に、その気持ちを分け与えたくなった。 「……ねえ、そこの鏡さん」 「……え、あ、はい!?」 「あなたは、今までどんな人を映してきたの?」 「えっと……私は一人暮らしの女性を……」 「そう。鏡ならいろんな顔を映すのでしょうけど……持ち主にまっすぐに見つめて貰える時間って、一等幸せよね」 「……! はい! 本当に!」 「次の人に買われるのも待ち遠しいけれど、ここで飾られている間にも、お客様や店員さん、いろんな人の姿を映せて楽しいでしょうね」 「そう、ですね……人に覗いて貰えると、嬉しいなって思います!」  ガラスケース越しに、わたしは近くの物たちへと声をかける。思念的な言葉さえ返せない子達も多かったし、今までわたしに対して怯えていた子もたくさん居たけれど。それでも、売れるあてのないわたしはのんびりと、周りの物たちに人と在った時間の幸せを教えたかった。  わたしのようにかつて捨てた人を恨み呪いの品となるよりも、残された愛しさを抱き締めて過ごして欲しかったのだ。 「ねえ、新入りの望遠鏡さん。あなた鳥を見たことはある? 素敵よね、わたしの前の持ち主、バードウォッチングが好きだったの」 「そこのライターさん、煙草は何回くらいつけてきたの? わたしの前の持ち主は、娘が生まれてから禁煙したからライターと会うのは久しぶりなの」 「あら、そこのカメラさん。あなた今までどんな写真を撮ってきたの? あなたが一度構えられたら、人間は笑顔を向けるんでしょう? 素敵よね。……わたしの前の持ち主も、昔はよく家族やお友達の笑顔の写真を撮っていたわ……晩年は、わたしの写真も撮ってくれたのよ。現像されたものを見ていないのだけど、呪いの写真になってないか心配だわ」  毎日、わたしはかつての愛しい記憶が薄れてしまわぬよう言葉に織り混ぜながら、周りの物たちに話しかける。  そうしている内に、わたしはすっかり怯えられることもなくなり、店の品々もわたしの言葉伝いに知った景光さんのことを話すようになった。  そして、彼の娘がここに売った品は、わたしだけじゃない。あの家に在った他の品々も、わたしに倣うようにして景光さんとの思い出を語りはじめた。  気付くと店の大半の物が彼のことを知っていて、景光さんの存在が自然と共通認識となった今、店の中に彼が息付いているような気さえした。  捨てられた物に宿った想いの中に、彼の欠片が存在する。そのことが嬉しくもあり、切なく、愛おしく感じた。  彼が亡くなってしばらくは当然寂しさの方が多かったし、彼の居ない世界への絶望からまた呪いの人形になってやろうかとも思った。  それでも、思い止まってよかった。この温かな気持ちを、悲しい気持ちで消してしまうなんて勿体無い。そう思えるのも、彼のお陰だ。 「……ねえ、景光さん。わたし、幸せよ。あなたが残してくれた愛しい日々が、わたしの中に在り続けるもの……」  わたしの声が聞こえたのか、ただの偶然か、ふと顔を上げたアルバイトの店員が、わたしをすっかり埃の被ったガラスケースから取り出す。  久しぶりの外の空気は、何だかとても温かい。わたしの顔は不思議ともう怖くないと笑うその人は、至近距離でわたしの目を見詰める。  景光さんの残した想いの欠片が満ちた店の中、久しぶりに誰かに髪を撫でられて、わたしは満たされたような気持ちになった。  遺された呪いの人形は、もう髪も伸びないし、これ以上言葉を話すこともないだろう。  だって、わたしはもう呪いの人形なんかじゃない。彼の愛した、ただの古いお人形。  そして想いが残るなら、わたしはもう、ひとりぼっちではないのだから。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加