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僕はいそいそと部屋を出る身支度をした。
「ごめん、赤ちゃんの事は嘘だよ。引き留めたくて。」
「わたし、何してんだろ?近くに引っ越して来て、余計に会えなくなって。わたしが音楽やらなくなったからなのにね?オサムくん悪者にして…」
「音が鳴ってる間は一緒だったのに、邪魔になっちゃった。ふたりきりでオサムくんの声だけ聴いてたかった。欲張りに、なっちゃったの」
出て行こうとする僕の前に立ち、静かに大きく首を横に3度振った。
「ごめん…」
僕はわからなくなっていた。
アメリカ人の元彼の話は?
ベーシストを横浜のいとこに替えたのも?
いや、僕の気を引くための嘘だ。
けど、たとえそうだとしても、僕があんな酷い事言うなんて。
最低だ。
もう、春に会っちゃダメだ。
「お互い様」
初めてその言葉を知った気がしていた。
呆けた様にフラフラ駅まで歩く僕の目の前に、文香がいた。
「お酒と、春ちゃんのにおいするなあ」
空っぽな僕は、ずっとふたりに弄ばれていたような気分になった。
そうして、誰かに縋りたくなった。
「彼と、別れてきちゃった。今度こそ、幸せになろ?」
横を歩きながら、繋いで来るその手を、振り解けなかった。
高架を終電が過ぎる。
夜が明けるまで、僕らは歩いた。
小雨に濡れて、少し肌寒かった。
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