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僕らの仲はすぐに公然となり、春が僕を「オサムくん」と呼ぶのも彼女らしい知的な親愛の表現として定着していった。
本当に、彼女以外に誰も僕を「オサム」とは呼ばなかった。
僕が彼女に抱いた恋愛感情の様なものは、畏敬や畏怖に近かった。
「オサムくん」と呼ばれる度、あの日の感覚が蘇る気すらしていた。
劣等感。
僕はそれを必死に振り払う様に彼女を求め、彼女もより激しく応じた。
幸せでない恋だった。
それを元カノの文香は敏感に察知していた。
二度の別れはどちらも文香に好きな男が出来たからだった。
二度目の別れに際しては、縋る僕を
「重いよ、いつも」
と、冷たく振り払って去った。
僕らは駆け落ちをした。
だから、僕には責任感みたいなものがあって、いつも文香を拒めなかった。
僕らが企画ライブを始めると、文香は毎回顔を出し、春に近付いた。
二人は表向き、仲の良い元カノと今カノだった。
文香は必ず彼氏とお互いの友達数人で来てくれる上客になっていた。
新しい彼氏もバンドマンだった。
仕掛けて来たのは文香だった。
彼女は僕の勤務先で、春の居ない平日に僕の終業時間を狙った。
「春ちゃん、良い曲書くよね、可愛いし。しあわせ?」
「でもさ、オサムくんって呼ばれるのは、ほんとは嫌でしょ?はるちゃん」
「わたしは2人ともハルチャンって呼ぶの、ちょっと嫌だな」
凄い嗅覚だ。
ぐらぐら揺らされる。
「文香、僕が適当に付き合えないの、知ってるよね?本気だよ、重いんだ。邪魔しないで彼氏と会ってなよ」
精一杯の反撃すら遠慮がちだ。
怒るべきを、怒れない。
文香は泣き出した。
ハンバーガーショップの周りの客を気にする様に小声で、「ほんとははるちゃんしか好きになれないんだよ。浮気だって振るのだって、ちゃんとはるちゃんが怒って、ダメだよって、戻して、戻らなくても待っててくれるって…。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。わたしたち、結婚出来ないじゃん。わたしの親のせいで。だから、お互い相手が居ても、続けようよ。はるちゃんの居ない世界なんて考えられないよ。」
その親ともうまく二股かけてんのはどこのどいつだ?
言えずに情に絆されてしまいそうな自分が嫌で
「春が、好きだ」
僕の大声に、周りが一瞬驚き振り返る。
いちばん驚いていたのは、文香だった。
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