一、高校生編

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 ガラスは見通せば透明で、時には鏡のように光を反射して。そんなガラスを模倣してきたが、しかし、脆かった。どうしようもなく、脆かった。  今日まで、ずっと、ポンナシだとバレずに暮らしてきたのに……。  この日を境に割れてしまったガラスは鉄球の雨が降り注いだかのように粉となって、透明を失う。ガラスの破片は粉々になり、チクチクした砂質の、吹けば飛んでいく物に成り果てる。  それからのこと、俺はポンナシとして軽蔑され、学校中の生徒から数々の心無い言葉を浴びせられた。「ポンナシにはわからないだろう」「理解できないよね」  これらの言葉は真実でもあったが、正しいとも言い切れない。例えば同性愛者の気持ちがわからないかと言われれば、究極的には理解できない。しかしそれでも感覚的にわかる部分もある。あらゆる感性を白黒ふたつのカラーで選別してしまう彼らこそ、俺から言わせれば「わかっていない」のだが、そんなこと、……反論できない。  ポンナシという不確定要素だらけのモンスターを前にした彼らは、異物排除の人間的プログラムに従うのだ。  中には理解を示す者もいるだろうが、ボスを中心とした圧倒的「正義」という核がある以上、本質的に悪であろうが立ち向かえば善意の心など関係ない。反旗をひるがえそうものなら容赦なく「悪」認定されるのだ。行き過ぎた正義ほど恐ろしいものはない。  正義とは、正しい義ではない。正しいと思わせることができるだけの事柄を義だと叫び、共鳴感のある概念だと勘違いさせたものを正義と呼ぶ。そこに正しさを必要としない。  おしりのぽんぽんがないやつは歴史的に見ても危険な人物であり、学校でいくらポンナシの理解を深める道徳を教えたところで、人間の本能的嫌悪はなくならない。  それを表面上むき出しにすることは、一般的に禁忌だという正義が社会通念上のモラルだが、学校という小さな社会では及ばない。より動物的で、体格の良いマッチョが牛耳る狩猟民族国家でしかないのだ。  学校という小さな社会の族長は、狩りの上手いマッチョのボスだし、その伴侶は族一番の美人だと相場が決まっている。しかも伴侶の女が一言「あいつ気に入らない」なんて言えば、ボスは女の操り人形に成り、真の長はその女であることすら見抜けていない。  バカだと思う。  だが以前の俺のように、バカなふりをしてこの族の掟の中でマッチョに媚びを売らなければ、いつ殺されてしまうかわからない。  賢いやつほどバカなふりが上手であって、俺も上手くやれていると感じていたが、やはりポンナシではいくら賢く立ち回ろうが、欠落した感覚までは補完できなかったみたいだった。  俺に対する嫌悪は実態をもって襲い掛かる。殴る蹴るという肉体的ダメージから、机に『ポンナシ』と油性マジックで書くような幼稚で陰湿な精神攻撃。俺と話す友人はおろか、担任教師までも、この仕打ちを認識しながらも見て見ぬふりをしているようだった。  この程度ならまだ良かったが、次第に俺に対する攻撃はエスカレートしていき、朝登校すると俺の机と椅子が校庭に投げ捨てられていたり、トイレの地面にばらまかれた画鋲を口で拾わされたり。掃除用具入れのロッカーに閉じ込められ、ほこり臭さと一夜を明かしたこともあった。  屈辱だった。  これまで俺は、曲がりなりにも上位カーストの中でボスの横で威張っていられた。それがカースト最下層よりも、もっと下の奈落に追いやられた。それは憤り、みじめさ、やるせなさ、悲しみ。多くの憎悪が反芻すればするほど、これらの感情は殺意に変換され集積していった。
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