底辺観察TV

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底辺観察TV

 見渡す限り夢も希望もない。お先真っ暗なこの日本で真っ当に生きていたってしょうがない。金もない。人脈もない。才能もない。無気力な自分にできることなんて、何ひとつない。  だったらいっそ――  散らかった部屋の中、ムズ痒い頭皮を掻きながら宙を見つめる。やがて、のっそりと立ち上がり、セットされたカメラと対峙する。男は意を決し、その電源を入れた。  何もしない日常――を延々と垂れ流すライブ配信――そんなもん、誰が見るんだ?  ひとりの痩せ型中年男が、ダラダラと昼過ぎに目を覚まし、あてもなくスマートフォンを眺め、カップラーメンをすする。無気力なままデロンとベッドに横たわり、眠気に襲われるたび惰眠を貪る。山盛りの灰皿から、まだ吸える長さの吸い殻を探し出し、ライターで火をつける。吐き出す煙が、部屋の空気を汚していく。色白の腹をボリボリと掻きむしり、またしてもスマートフォンを眺める。たったそれだけの繰り返し。無味乾燥を絵に描いたような映像がただ流れるばかりだ。  ところが、閑古鳥が鳴くものと思っていたライブ配信は、男の予想に反し、その再生回数を伸ばしていった。 「ふ~ん」  配信に寄せられる視聴者からのコメントを眺めながら、男は鼻を鳴らした。  生きる価値もない存在。成れの果てと化した男の日常を見たくて配信に集まる視聴者たち。世の中、変わった人間もいるもんだなぁ――思わず感心してしまう。アパートの外では新聞配達員の気配。午前三時の眠気に誘われるまま、男は何度目かの眠りについた。  底辺観察TV(ティービー)。そう名づけられた配信チャンネルは、人気を集めていった。時にバズり、時に炎上し、気づけばチャンネル登録者数が8千万人にまでのぼり詰めていた。  男は気づく。 ――8千万人? 日本の人口に迫る勢いじゃね? もしかして日本中が配信を通じて俺を監視しているのか?  それからというもの、ふらり外出しても、他人の目が気になりはじめた。誰も彼もが男の怠慢な日常を知っている。アパートの隣人とすれ違う際も、好奇の目を向けられている気がして落ち着かなかった。  寝癖のまま外出することへの抵抗感。歯磨きしないことも風呂に入らないことも、すべての自堕落が嘲笑の的になっている気がし、次第に身なりを整えるようになっていった。 「こんなにも多くの人が見てくれているんだったら――」  そう思った男は、自身の腐りきった生活に終止符を打ち、視聴者を楽しませたい欲求に駆られるようになった。  手はじめに、ギターをはじめることを決意した男。昔、中古で購入し、ホコリまみれのまま放置していたギターを押入れから引っ張り出してきた。  世のギタリストたちが苦もなく流麗に爪弾くギターという楽器。いざチャレンジしてみると、想像を絶するほどに難しかった。ただ、挑戦することの楽しさ。その魅力に男は取り憑かれはじめていた。  それと同時に料理にも手を出した。これもまた、興味深かった。ただ空腹を満たすだけの食事とは違い、美味いと感じる料理が作れたときは心を踊らせた。  これまでとは打って変わって充実した日々。失敗を重ねながらも挑戦する姿を、視聴者も楽しんでくれているに違いない。そう願っていた男に衝撃が走る。  視聴者の反応をチェックしようと目をやった配信のコメント欄が、荒れに荒れていたからだ。 『おい無能! 余計なことするなよ!』 『ただただ寝ててくれよ! いつもみたいに屁をこいてさぁ』 『お前みたいな底辺野郎は、何もしなくていいんだよ!』  冷たい汗が背中を伝う。  視聴者のためにとはじめたことなのに、まさか反感を買うだなんて……。  コメント欄の荒廃は、リアルにも押し寄せてきた。ギターの練習をしていると、隣人が壁を叩きはじめたのだ。  いくらボロアパートだとはいえ、ギターをアンプにつなぎ大音量でかき鳴らしているわけじゃない。隣の部屋に音など漏れているはずもない。それなのに隣人は憤怒している様子。ドンドンと壁を叩く音はさらに激しくなっていく。 ――そうか……隣人も配信を見てるのか。  男はしぶしぶギターを壁に立てかけ、近所のスーパーマーケットへと買い物に出かけることにした。  夕飯の食材を探していると、背中に強烈な痛みを感じた。誰かに殴られた衝撃。慌てて振り返ると、そそくさと逃げ去る犯人の姿。突然の出来事に身体が硬直してしまい、あとを追うことさえできなかった。 ――料理を楽しむ俺のことが気に食わない視聴者の仕業か……?  自宅に戻り、配信のコメントに目をやる。 『人類の底辺としてお前は存在してるんだ! 身分をわきまえろ! 我々の安心を返せ!』  男は落胆した。 ――俺には人生を楽しむ権利すらないのか?  そして男は絶句する。 『これ以上、充実した姿を配信しようもんなら、お前を殺しに行くからな!』  俗にいう、殺害予告というやつだ。  視聴者が差し向ける目が怖くなり、震える指でカメラの電源を落とした。  床にへたり込み、無言のまま膝を丸め、縮こまる。そんな男を追い込むように、玄関のドアが乱暴に叩かれた。あまりの恐怖に身体をビクつかせる。さらに怒鳴り声まで飛び込んできた。 「おい! いるんだろ! 配信をつけろよ!」 ――もう勘弁してくれ……。  涙まじりに弱音を吐く。身の危険を感じた男は反射的に立ち上がると、再びカメラの電源をオンにし、配信をスタートさせた。事件が起きたときの目撃者を、カメラの向こう側に用意するために。  応対しない男の態度に(はらわた)が煮えくり返っているのだろう。外の怒声に一層の拍車がかかる。それと同時に、ドアを打つ音も過激さを増していく。バールか何かでドアをぶち破ろうとしているようだ。  やがてドアは壊され、怒り狂った小太りの男が部屋に踏み込んできた。 「コラァ、底辺野郎! どこだぁ!」  バールを手にした小太りの男は、小狭い部屋の中で叫び散らかす。それを映し出すライブ配信。同時接続数は、驚異的なスピードで伸びていく。 「ん?」  配信で見慣れた部屋を見渡すも、標的の姿が見つからない。呆気に取られるバール男の背後から声がした。 「ようこそ、底辺観察TVへ」  慌てて振り返ると、そこにはスーツ姿の男が立っていた。その男はバール男へと迫り、肩越しに手を伸ばすと、カメラの電源をオフにした。 「誰だっ?!」 「わたしは底辺観察TVのプロデューサー。柏原だ」 「は? お前なんかに用はないんだ! この部屋の主、底辺配信者はどこだよ!?」  額に血管を浮かべるバール男を見ながら、柏原は満足そうに笑う。 「彼はもう、この部屋にはいないよ」 「どういうことだ?」 「どうやら彼は、底辺の自分に嫌気がさし、上を目指してしまった。心境の変化というやつか? いや、生まれ変わったと言っていいだろう。彼にとっては喜ばしいことだ。ただ、視聴者はもはや、そんな彼に興味を示さないからね」 「だからこうして俺がヤツを殺しに――」 「いいですねぇ、その底辺っぷり。底辺の人間の情けない姿を見ては安堵し、充実した者を寄ってたかって叩く。まさに愚者の食物連鎖。お待ちしていましたよ、次なるインフルエンサー!」  そう言うと柏原は男の身体にスタンガンを押し当て、その手からバールを奪い取った。  悶えながらベッドに倒れ込む男。苦しみながらジタバタと寝返りを繰り返す男を見て嘲笑する柏原。 「おかげさまで再生数も伸びるだろうね。感謝するよ。さぁ、新しい底辺をご覧あれ!」  柏原はカメラに手を伸ばし、電源をオンに。そして、うめき声をあげる男を振り返ることなく、浮かれた足取りで部屋をあとにした。 『次はこいつか!』 『見るからに底辺な人間だなぁ』 『これで退屈せずに済む!』  配信の同時接続数の伸びは勢いを増し、コメント欄は次から次へと湧いては消える空虚な言葉で溢れかえった。
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