あるいは、人でなしの俺

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あるいは、人でなしの俺

『ご主人様募集中。金額は応相談。試用期間制度あり。高原古物商店』  例えば、回覧板の隅っこ。広告にも店員募集の告知にも見える案内だとか。  例えば、自作の留守電メッセージがやけにノイジー。そして折り返しの履歴が公衆電話からだとか。  知り合いの居ない住宅地の裏路地。古びた木造住宅なのにライオンのノッカーが付いているだとか。しかも掛け金に南京錠が似合うような古びた扉なのに自動ドアだとか。ガスランプ型で薄ぼんやりとしたLEDだとか、回らないレコード台から響く8bitのゲーム音とか。  埃っぽい空気だけが、捻りなくセピア色の匂いを纏っていたりだとか。  どのタイミングで引き返すべきだっただろう。そう思いながら席に着く。古びた椅子がニヤニヤ笑うような軋みをあげた。 「――この度は御足労いただき、誠にありがとうございます」  そして、木目調のカウンターを挟んだ向かいから、どこか古びた言葉遣い。 「わたくし、当古物商の店主代理、高原(たかはら) 恭介(きょうすけ)と申します」  香るような、とでも言うのだろうか。それも荘厳というよりも、色気立つような方の。  凛とした印象。それは声も、見た目にしても同じだった。  二十代、もしくは俺と同じくギリギリ十代だろうか、切れ長の目鼻立ちや輪郭線の、鋭利に映るシルエット。造作もなく下ろされ耳元を隠す癖のない髪が、薄暗い中でもなお黒く、剣呑な風貌に拍車をかけている。  それでいて。優しげな笑みを象る口元一つで、表情自体は随分柔らかく見えていた。  そんな笑顔は、ともすれば、見落としそうだと思っている。少しだけ、目線を下げる。  一言で言えば和服。もう一言付け足すならば、なぜか左前。普通なら何を思うだろう。  現実には、多分想定以上に物々しい。  古めかしい柄の、どこか重たそうな和服。暗い色をした羽織。向き直った時の草履か雪駄の足音。その拘り方を間違えたような本格具合は、だけどこの部屋には馴染んでいて反応に困る。  少なくとも、居心地が悪く感じるのが普通の反応だろう。だから。 「それでは、只今から本題に入らせて頂きたいのですが……」  どこか艶めいた柔らかな声に、冷やかし半分だったとは今更言い出せそうになくて、困る。意図をつかめない広告が面白そうだったから、だとかの不純な動機でこれ以上留まっていいのかと悩み、頷くまで一呼吸ほどかかってしまった。  結論から言えば、悩み方を間違えていた。 「先ず、わたくしの事は只のモノとして扱って下されれば幸いです。お気軽に、恭介と及びつけください。その上で、御主人さまから何かご質問がありましたら」  きっと普通のノリを想定していたのが間違いだった。こういう趣旨の『面接』で、いっそ開き直れば良いのだろうか。電話で名前を告げていたはずだとかの些事は、この際忘れることにして、分かりました改め、分かったと頷いておく。  とりあえず、尋ねたいことは大まかに2つ。 「俺、何すればいいの?」  こちらから聞くことがおかしいだとか、細かいことも、今は気にしないことにする。とりあえず1つを尋ねてみて、 「特に、何も。ご用命頂ければ、わたくしがなんなりと」  待ち構えていたかの即答に苦笑いしつつ、1つ杞憂が溶けたことに内心安堵していた。  ――御主人様募集中。金額は応相談。  問い合わせ先が古物商だ。買い手の募集なのかと、実は今まで迷っていた。今はもう、雇われ店長はきっと楽な仕事なのだろうと思っている。  とは言え、聞かなければいけないことが、もう1つ。 「あとは、お給料が『応相談』ってなってたけど」  同じくらい重要なことながら、まだ、先の質問に比べれば常識的な話の範囲か。ブラック臭が酷いとは思うけれど。  こんな案件、バイト募集に限った話としても、初めから乗るべきじゃなかっただろうとは思うけれど。 「適正だと思われる範囲で。お委せ、致します」  本当は今もノリきれてはいないのだけれど。なぜだろう、未だに会話の空気感を掴み切れず、折角だから迷っている様を見せつけながら、それとなく視線を回りに向ける。  昔むかしの博物館にある一室のような。  空気は埃っぽくも湿っているのに、蜘蛛の巣ひとつも見えない古びた木造の内装。戸棚の硝子にも曇りすら見つからない。  そして、瓶に入った船の模型、今にも煙を吐きそうなキセル。時代遅れを茶化したような、古い町並みのモノクロ写真。  かんざし、自転車、昔の紙幣。コードの伸びた黒電話に、切手が敷き詰められた藁半紙。  国語の教科書にある、昔の名作の挿し絵で見たような光景だった。値札が見当たらないこともあって、入場料で賄っていると言われた方がしっくり来そうだ。  給与に余裕なんて、あるようには思えなくて。 「ここって、まだ人手が必要なの?」  目の前の和服さん一人居れば、もうすべて完結しているとしか思えずにいる。もしも何か込み入った事情があるのなら、今のうちに聞いておくべきだろう。 「……手は事足りているのですが」  そして案の定の、ストレートな返事があって。 「ここには、わたくしには。人が必要なのです」  禅門答のような言い回し。ああ、本当に悩み疲れたていたから、「どうして?」と単純に問い返す。  言葉遊びで弄ばされているのならまだマシで、目の前の人は一応、真剣そうに見えるから困るんだ。 「手前勝手が赦されるなら、仔細は、御主人さまを見極めてからにしたいのです」  そして真剣な様相のまま、彼は、なおもはぐらかす。 「私的な理由でして……決して御主人様に粗相は致しませんから」  懇願するかのように。店主代理が面接相手にしおらしく告げる。  一度、冷静に考えてみる。  何らかの詐欺だとは思えなかった。嘘に見えない態度や様子はもちろん、裏に悪意があるにしても非効率すぎると思っている。それに。  俺程度を騙したところで、特に意味もないだろう。  俺程度が騙されたところで、特に意味もないだろう。 「分かったよ。とりあえず前向きに進めたい」 「本当ですか! 有難う御座います……!」  そして返答が思っていたよりも嬉しげで、その、悪い気はしなかった。 「それでお給料だけどさ、相場で良いと思うんだけど」 「相場、ですか?」 「うん。お金のことなんて詳しくないし、委せられても分かんないからさ」  すぐに困らせてしまって、申し訳なく思うのだけれど。避けては通れない話だし、俺がでしゃばるより上手くまとまるだろう。 「僭越ながら。御主人様は十代かそれに近しいとお見受けしておりますが……」  何より、言い淀まれる通りに十代だ。変わらないと思しき人に言われる状況は妙だけれど。  とにかく。こんな若輩者が自分の給料を言い値で、だなんて変だろう。笑って認めて、頷いておく。 「相当、御高いと思われますよ?」  その勢いで椅子からズレ落ちそうになる。 「いや、どうして?」 「そう申されましても……所謂『相場通り』なら恐らく間違いないかと」 「……過大評価してない?」 「お恥ずかしながら。故に叶うなら、御主人様に値定めして戴きたく」  何なのだろう、この、謙虚すぎて話が進まない感じ。  ……ともまた違う、そもそも話が噛み合っていない感じは。 「例えば、幾らなら大丈夫?」  だから強引に問いかけて。 「お気持ちで構いません」  やっぱり噛み合わないかわされ方だから。 「最低、幾らなら?」  率直に問いかけてみて。 「なんなら、無くて構いません」  即答されたその意味を。 「わたくしを使って下さるのなら、如何様にも、御応えいたします」  あんまりにも極端なその答えを、しばらく、頭が受け付けなかった。  値札の無い古物商。生計を立てるなら、当然、売りに出ないといけないわけで。  初めから勘違いしていた、もとい、見たままだった。それだけの話だけど。  ――御主人様募集中。  そうか、『店員』すら買える古物商なのかと。俺はしばし苦笑いを浮かべる他なかった。
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