あるいは、人でなしの俺

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 タダより高いものは無いと言うもので。『人』を買わずに帰った判断は、さすがに間違っていないと思っている。  夕方の田舎道。瞬きの間に色あせる裏路地の途中、今しがたのことを思い返していた。  ――それでも、また。もしも、わたくし達に出来ることがありましたら。  商売熱心なのか、それとも。ただ、恭介自身を含めモノ(商品)に対する愛着が不可思議に色濃い人だったと感じていた。  何か一つくらい買って帰ればよかったかな。今になってそう思うも、生憎、今日は手が塞がる用事があったもので。心持ち、視線を下げる。  両の手に揺れる、重く膨れたエコバッグ。何を隠そう俺は独り暮らし初心者で、無駄遣いをしてしまえば今夜の夕食すら厳しい状況だったりする。予算的にも食材の在庫的にも。  帰らないと。そう視界をあげれば、未だに余り見慣れない道。車とすれ違えないような私道紛いのガタガタ道路は、それでも他にない唯一の帰路だった。  まだ日の残る時間なのに、足音は大袈裟に反響する。明かりの点いた家すら疎らで、伸びっぱなしの垣根や植木が風に揺らぐ音を聞き……なんと言うか、過疎地の現実を知る。  そう。現実感を肌で感じている。だからこそ、あの古物商店でのことが、まるで非現実感すら帯びていたように思っていた。 「何ならタダでも、か」  浮世離れ加減は雰囲気に限らず、言動、状況、見たままも含め。思い返しながら一人呟いて、改めて、訳の分からなさに頭がフワフワする。  それでいてなお『出来ることがありましたら』だとか、きっとどう繕っても嘘に見えるモノゴトを、まるで疑うことなく真っ直ぐに。  誇るように。それでいて、懇願だったようにも思う。  その謎の熱意を評して、やっぱり何か買って帰れば良かっただろうか。かといって、これと言って欲しい物もなくて、古道具ならば尚更で。  ……むしろ、今欲しいのは、物ではなくて。  だなんてとりとめの無い思考が、不意に、物音に遮られる。  本気で物思いに耽っていたから、その音自体は耳を滑った。空き缶が転がるような、それにしては少し高いのに柔らかい音、だったように思う。既にはっきりと思い出せない。  けれど、それよりも。  何か、引き付けられる音だった。それは件の古道具屋にあった浮世離れな感覚と、どこか、似ていたような。  後方、さほど遠くない距離。大したことではないだろうに、思わず振り返ってしまう。  見通しのよかった道は薄暗く、気付けば入り組んだ通りに差し掛かっていた。田舎、それもドが付く田舎特有の起伏差がある袋小路で……物陰なら、数えきれないほどある。  立ち止まればちょうど、そよ風も息を潜めた。  音に例えることのできない、静寂。まるで人目を忍んでいた冬の残り香に迷い混んだかのような、冷たい、無言の時間が過ぎる。  何も変わりない。少なくとも、見た範囲では。  何を過敏になっていたのだろう。独り苦笑いを浮かべながら、また、前を向き直す。  物陰に『何か』が隠れたのは、その行き先の側だった。  結論から言うと、苦笑いを浮かべ直した。  数ある明かりの消えた民家の一つ、夕闇の遠目にも、今から人が住み直せないと分かるような廃屋の前、多分壊れた門扉の中から。  暗い色の、古めかしいコート。典型的、というより古典的お忍び外套の裾が、無いような風にはためいて見え隠れしていた。  頭隠してなんとやら。それだけなら、まだ分かるのだけれど。  その下に覗くスラックスを広げたようなラインの暗色は、多分。  多分、古びた着物に良く似合う紺袴だ。 「……何してるの?」  だからそっと歩み寄って、後ろから声をかければ、返事の変わりにビクッと肩をいからせる。それはもう大袈裟なほどで、こっちが竦むくらいだった。  コートから覗く古めかしい着物も帯も、流しっぱなしの黒髪も、振り返ったその顔も。驚いた表情以外、ついさっきに見たそのままその人、高原恭介だった。 「――御人(ごじん)様?」  そして、ああ、主になれなくてごめんねと、改めて申し訳なく思う。今度近くに立ち寄ったら、やっぱり何か買って帰ろうか。 「で、何してるの?」  これからの話次第では、か。出会すのもさっきの今だ、偶然とは思えない。  果たして、恭介は悪びれたのか、それとも。逡巡するような間を置いてから、観念するかのような淡い笑みを浮かべた。 「御人様を見越して御願い申しますが、ここは一つ、内密にして戴きたく」  釈明と言うには随分と悪戯っぽく、それでいて何故だろう、寂しげにすら見える淡い笑顔だった。少なからず絆されて、黙って頷いてしまうほどに。 「仕入れの一環なのです」  だけど恭介の言い分が華麗に宙を舞う。ああ、真面目に聞いたことを後悔しかけるのもすでに覚えがある。 「人さらいとか?」 「どう思われたのかは存じませんが、あくまで、商品の仕入れで御座います」  そして茶化してみるも、恭介は言葉を改めない。変わりに俺の方へと姿勢を改める。いつの間にか、真顔だった。  最悪、無償で『人』を売り出す古物商。そして、仕入れと言い張って今、俺の前に居る。  もしかしてヤバいんじゃね? そう思って1歩退がるのと、恭介が1歩距離を詰めてくるのがほぼ同時だった。 「し、仕入れって……」 「仔細は語れません……が」  そして退くよりも早くもう1歩。思わず声をあげかける。  それより一瞬だけ早く。恭介が、また体の向きを変える。 「この辺りに、その『縁』のようなものを感じまして。人目を忍んで、探していたのです」  物言わぬ廃屋を見上げながら、寂しげにも恥ずかしげにも見える表情で、そう呟いた。  安堵。そして少しだけ、返す言葉に迷った。例えば「墓泥棒みたい」だなんて台無しにするべきか、「どういった物?」みたく興味を示してみる方がいいのか悩んでしまう。 「つまり、俺の前にいたのは偶然ってこと?」  そして結局口をついたのは、単純な、初めからの疑問だった。  今日2度目の勘違いで、既に自分でも呆れている。  けれど何故だろう、少しだけ、ホンの少しだけ残念に感じていた。  その疑問が、恭介にはどう響いたのだろう。 「それが、縁ですよ」  背中越しにでも、今まで見た仕草、声のどれよりも。純粋に、嬉しげに聞こえた。 「御人様はこれを見て、如何様に思われますか?」  それとも、何かが本当に嬉しかったのだろうか。廃屋を見上げながら呟く恭介の言葉は、やけに引き付けられる話し方だった。  視線を、彼と同じ方へと向ける。  周囲にある木造住宅と比べても、きっと元々から一回りも二回りも古い家。土壁は剥がれ木の柱は傾き、もう風避けの体も為してない。  かつての姿に思いを馳せど、時の重みが邪魔をする。 「……恭介はどうなの?」  上手く言葉にできなかった。そして、何を思って俺に訊ねてきたのだろうと、彼の意図を問いかける。  可哀想だとかお疲れさまだ、おやすみなさいだとか。それとも古道具屋として、勿体無い、辺りだろうか。深く考えたわけではないけれど、無意識にそうあたりを付けていた。 「羨ましい、と」  だから思わぬその言葉に、ただただ純粋に、思わず恭介を見遣ってしまった。  古来の探偵気質なコートの下に、わざとらしいほど古めかしい着物を纏った古風な人。その背が儚く映るのは、失われるもので着飾られているからだろうか。  この古びた人の目には、失われた廃屋がどう見えるのだろう。何を感じれば羨ましいと思い至り、俺に何を伝えたかったのだろう。 「――ですが、残念ながらわたくしの探していた物は、此処には無かったようです」  何一つ分からないまま、話は終わりだと言わんばかりに恭介が振り向く。分かりやすすぎるくらい、寂しげな笑みを浮かべていた。  かける言葉すら見つからない程に。そして恭介は俺と擦れ違うようにして背を向ける。  それでも本当は、俺から何か声をかけるべきだっただろうか? 「……ああ、それとですね」  まるで後ろ髪を引いてほしかったと言わんばかりに恭介が半身で振り向き、俺を見る。 「もしも御望みの事があらば御気軽に。御主人様に非ずとも、御人様なら歓迎致します」  それとも単に、本当に今思い至っただけだろうか。店で見た時と似た笑顔で告げ、今度こそ、歩いていく。ぺたん、ぺたんと響く草鞋の音は、その背と共に夕闇に眩んで消えた。  きっと本当に偶然だったのだろう。そして、とことん不思議な人だったと思う。気を改めて廃屋を見遣るも、やっぱり羨ましさの欠片も見つけられそうになかった。 「……歓迎いたします、か」  そして、気が向いたら本気で何か一品買って帰るのも悪くないと思った。それは、物というよりも、本当に欲しい何かと随分似ている気がしていたからだ。  けれど、それよりも。  今度こそ、家路を往く。夜道の中、足音は、一人分。けれど、静まり返った住宅街を高らかに反響する。  まるで幾重にも反響する。わずか離れて、誰かが足並みを揃えているかのように。  そして靴の音に違和感を覚えることには、実は、少し慣れ始めていた。
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