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3.
俺を現実に呼び戻したのは、スマートフォンの通知音だった。何度か続けて、その音は無味乾燥なホテルの室内に虚ろに響いた。音はルーシーが持ってきた小さなショルダーバッグの中から聞こえていた。
俺はふらふらと立ち上がり、バッグからスマートフォンを取り出した。プッシュ通知が幾つも板面に並んでいた。
「ブツを返せ」
「今どこにいる」
「見つけるからな」
「タダで済むと思うな」
まだ通知は続いている。ブツは多分、クスリだ。ルーシーが誰かやばい連中から持ち逃げしたのか。そこまでして、あの一瞬の為に薬が必要だったのか。
ルーシーは重度の睡眠障害だった。使っている薬からそれは知れた。俺も飲んでいた事があるからだ。
薬を飲んでも神経がひりついて眠れない夜、ルーシーは性欲の昂ぶりを抑える様に激しい自慰をすると言っていた。その場面を自分で撮影したものを見せられた事がある。彼女もその自分を見て何度も自慰をしたという。果てた後はすっと眠れるのだ、とも話していた。自慰をしたまま全裸で寝ていた事があったと、その時は似合わないはにかみを見せて笑っていた。
「イク時って、どんな感じなンだ?」
「時間ががーって伸びる感じ。見えてる世界もずーっと伸びてく。そンで、ぐるぐる回転しながら歪んでって、自分の中だけででんぐり返ししてるみたいなの」
「怖いな。なんか見えるのか。花とか星とか」
「分かんない。全部真っ白になるから」
ベッドの上で足をぶらぶらさせながらそう言ったルーシーは、本当に白い世界に飛んで行ってしまった。俺を残して。
逃げよう。
俺は身支度を始めた。ブツを探している連中に殺される。
とりあえず指紋がついてそうなものはタオルで拭い、グラスはそのタオルに包んで割った。ルーシーのスマートフォンはバッグに入れて持った。出掛けにもう一度、
「ルーシー、起きろ。ルーシー」
と身体を揺さぶってみたが、もうそれは人の身体ではいようだった。そしてチェックアウトした。ろくに顔も見ないこういうホテルはありがたかった。
ホテルを飛び出た所で、どこからか走ってきた華奢な女どぶつかった。
「ごめんなさい」鈴の音のような声だった。少年のような短髪は恐らくウイッグだ。この辺りに居そうな女だった。
一瞬目が合い、すぐに女は走り去った。その時初めて、俺は通りにお巡りの姿が多いことに気づいた。遠くにはパトライトも幾つも見えた。
焦りが冷や汗になって背中を流れ落ちた。俺は速足にならないように、ゆっくり歩いた。脇をガタイの良いスーツ姿が何人か、駆けて行った。
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