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1話
私は世間でよく言う政略結婚をした。
夫は名をシエル・フレクトといって、公爵家の当主だ。私は名をアラベラ・フレクトと言い、年齢は三十七歳になっている。現在は王都におらず、フレクト公爵領にあるタウンハウスにいた。
ちなみに、シエルとの間には一人娘のアーデルハイト、息子のイアンとエルマ、オルガの四人の子供をもうけている。アーデルハイトが十六歳、イアンは十四歳、エルマが十二歳、オルガは九歳だ。シエルは私より、四歳上で四十一歳になっている。
アーデルハイトや息子の内、上の二人は王立学園に通っていた。三人共に、学生寮に入っている。
オルガはまだ、入学していないからタウンハウスにいた。私はそんな事を考えながら、日記を書く手を止める。今は初夏で昼間だが。窓ガラスから眺めた空は澄み渡っている。ふむと頷いてから、また日記を書くのを再開した。
ドアがノックされ、私はまた意識を浮上させた。
「……奥様、もう夕食の時間ですよ」
「あ、そうなの。じゃあ、一旦休憩にするわ」
「では、こちらに持って来ますね」
メイドのイーラが頷いて、ドアを閉める。私は椅子から立ち上がると伸びをした。もう、部屋の中は薄暗い。仕方無しにランタンの火を灯すためにも部屋を出たのだった。
イーラが夕食をトレイに載せて持って来る。私は寝室を出て、応接間に向かう。
「奥様、夕食を持って来ました。ちょっとは召し上がってくださいね」
「分かった、ちゃんと食べるから」
私はソファーに座ると祈りを捧げてから、カトラリーを手に取る。テーブルには野菜がたくさん入ったコンソメスープ、白パン、卵がふんだんに使われたオムレツの三品が並べられていた。全て、私が食べやすい物ばかりだ。
コンソメスープはあっさりしていて野菜の甘味も出ている。白パンもふわふわしていて、バターの香りが芳しい。オムレツも凄くトロリとした食感でコショウの辛味がちょっとしたアクセントになっている。
やはり、公爵家の料理人なだけあってなかなかなお味だ。満足しながら、夕食を済ませた。
翌朝、軽く身支度をして自室から出た。廊下にて元気よく、声を掛けられる。
「母様、おはようございます!」
「おはよう、オルガ」
「はい、今日も剣術の鍛錬を頑張らないと。父様や姉様、兄様達に怒られますし」
挨拶をしたのは末息子のオルガだ。私は微笑ましくなる。
「そうね、オルガ。頑張りなさいな」
「分かりました、それじゃあ。僕はこれで失礼します」
オルガはそう言って、自室に戻って行く。私も食堂に向かった。
軽く朝食を済ませ、私は自室に戻った。散策をするか、読書でもと思うが。仕方なく、ソファーに腰掛けた。イーラがやって来て素早く、紅茶を淹れてくれる。
「奥様、オルガ坊っちゃんが学園に入られたら。このお屋敷も静かになりますね」
「本当にね」
「私としては奥様がのんびりとお過ごしになったらと、思います」
イーラの言葉に私は目を開いた。確かに、オルガが学園に入学したら。このタウンハウスに私一人になる。さて、上の子供達が卒業するまではどうするか?
私は真面目に考えた。何か、気晴らしになる趣味を見つけようかと思うのだった。
私はとりあえず、詩を作ったり絵を描いてみる事にする。まず、詩集をお手本に一行ずつ、紙に書き連ねていく。と言っても人様には見せられたものではないが。練習作を一年間は作り、翌年からは自身で作ろうと決めた。絵も同様だ。イーラやオルガに見せるのはそれからでいいか。
(よし、一日に一篇は書くわよ!)
気合いを入れ直すのだった。
あれから、早いもので一週間が過ぎた。やっと、詩が六篇は完成する。絵も三枚はできた。と言っても、まだスケッチの段階だが。着色は早いかな。そう思いながら、今日も励んだ。
「……母様、そろそろお昼ですよ」
「あら、オルガ。どうしたの?」
「いえ、メイドのイーラが母様の事を心配していて。僕が様子を見に来ました」
私は没頭していたキャンバスから、離れた。手早く片付ける。オルガは微妙な表情だ。
「母様、せめて食事はきちんと摂らないと。体に良くないですよ」
「ま、まあ。それはそうね」
慌てながらも頷いた。仕方なく、オルガに勧められるがままに昼食をとるのだった。
詩や絵に没頭し始めてから、さらに半月が過ぎる。季節は六の月に入り、夏に近づいた。既に、昼間は陽射しも強くなってきていた。蒸し暑くもなり、私はちょっと動くだけで汗ばむようになっている。
「母様、また様子を見に来ました。たまには外に出ましょう」
「……オルガ」
オルガがまた、自室に来て私に手を差し伸べた。頷いて一緒に庭園へ出た。
息子とゆっくり、夏に咲く花々を見て回る。今は夏咲きの薔薇やポピー、ダリアなどが満開だ。
「母様、今日は良い天気ですね」
「本当だわ、帽子を忘れてきてしまったけど」
「あ、すみません。僕とした事が」
息子が謝ってきたが、私は緩やかに首を振った。
「いいのよ、たまにはちょっとくらい日に焼けても。オルガには心配を掛けたわね」
「……母様」
「もうちょっと、見て回りましょ。あっちに行ってみない?」
「はい」
オルガが頷いて私をエスコートしてくれた。いつの間にやら、大きくなったなと感慨に浸った。
一ヶ月が過ぎ、偶然にも夫のシエルがフレクト公爵領に戻って来た。タウンハウスにしばらく、滞在するとか。事前に私宛で手紙が届いていたが。久しぶりに夫が帰って来るとなり、屋敷は大騒ぎになった。息子のオルガもどことなく、落ち着かない。
「母様、父様がこちらに帰って来ると執事から聞きました!」
「あ、聞いたのね?」
「はい、久しぶりだなあ。ちょっと、家庭教師の先生から出された課題が難しくて。父様に教えてもらいたいんです」
「なら、戻って来た時に訊いてみなさい。たぶん、教えてくれると思うわ」
「分かりました、楽しみだなあ」
オルガは薄っすらと頬を赤らめながら、言った。私も夫の事を考えるのだった。
夫が帰って来たのはこの日の夕暮れ時だ。私は夏季休暇に入ってしばらくいるらしい娘や息子達に末息子との五人で出迎える。エントランスにてだが。
「……久しぶりだな、アラベラ」
「ええ、久しぶりね。旦那様」
先に夫が声を掛けてきた。私も頷いて、答える。本当に久しぶりに再会した夫だが、あまり変わらない。上背があるので見上げなければならないが。少し癖がある黒髪に濃い緑色の瞳が印象的な渋いおじ様と言える。これでも、若かりし頃は非常にモテた。
「アラベラ、どうした?」
「イエ、ナンデモナクテヨ?」
つい、棒読みになる。シエルは首を傾げながらも執事のスティールと自室に向かった。私は子供達と食堂へ、先に行ったのだった。
晩餐と湯浴みを終え、私は久しぶりに夫婦の寝室に入る。まだ、シエルは来ていない。ちょっと、緊張してしまう。かれこれ、シエルと会うのは半年ぶりだ。どんな顔して接すればいいのやら。そう考えていたら、ドアが開かれた。入って来たのは湯浴みを済ませたばかりらしいシエルだ。
まだ、髪がしっとりと濡れている。簡素な白いシャツに黒のスラックスという格好だが。
「あ、アラベラ。起きていたのか」
「まあ、そうね」
「……湯冷めするから、もう寝ろ」
私は頷いて、素直にベッドに横になった。シエルもブランケットや毛布に入り、横になる。
「お休み、ベル」
「……お休みなさい、シエル」
シエルはカンテラの灯りを消す。辺りが暗くなり、瞼を閉じたのだった。
翌朝、私はいつもより早い時刻に目が覚めた。まだ、シエルは寝ている。そっとベッドから抜け出して、洗面所に向かう。
(……ふう、シエルもしばらくは滞在すると言うし。ちょっと、賑やかになるわね)
そう思いながら、洗顔や歯磨きをする。まあ、メイドがいなくても一通りの事はできるから。私は元々、子爵家の出身で四人兄弟の二番目だ。上に兄が二人、下に妹が一人いた。ちなみに長兄が現在は爵位を引き継ぎ、サリエリ子爵を名乗っている。私には甥が五人、姪も四人いた。私の子供も合わせたら、十三人になるか。まだ、実家の両親も健在だ。
そんな事を考えながらも洗顔などは終わる。後片付けをして、洗面所を出た。ベッドで寝ていたはずのシエルは寝ぼけ眼ではあるが、起きている。
「あら、おはよう。シエル」
「……おはよう、ベル」
私が挨拶をすると、シエルも欠伸をしながらも答えた。ちょっと、笑ってしまいそうになる。シエルが無防備な様子を見せるのが久しぶりだからだ。まあ、何とか我慢しながら、自身が着るワンピースなどを見に行った。クローゼットから出して来る。
ちなみに、私のドレスなどの衣装類は夫婦用の寝室の隣にある本妻の部屋にあった。手早く着替えて、鏡台の前に行く。椅子に腰掛け、ブラシで髪を梳かした。シエルも起きて、身支度を始める。それを横目に見ながら、香油を取り出す。頭全体に塗り込み、またブラシで梳かす。それが終わると簡単に髪紐で纏める。薄くお化粧もしたら、立ち上がった。
シエルは洗面所にて洗顔などをしているようだ。水音などが聞こえる。そうしている間に、メイドのイーラ達がドアをノックする音がした。
「おはようございます、奥様。もう、起きていらっしゃいますか?」
「ええ、起きているわよ」
「そうですか、分かりました。失礼します」
イーラが入って来た。が、後ろには執事のスティールもいる。首を傾げていると、スティールが言った。
「いえ、旦那様の身支度は私めが担当しておりますので」
「ああ、そうなのね。スティール、シエルをお願い」
「はい、お任せください」
スティールはにこやかに笑いながら、答えた。私も立ち上がり、イーラに手伝われながら、身支度を始めたのだった。
昼頃になり、また詩や絵の製作に励んだ。すると、後ろから気配を感じる。振り向くと夫が立っていた。しかめっ面にもなっている。
「……何をしている?」
「シエル」
「絵は分かるが、何を書きつけていた?」
私は見られていた事に驚きを隠せない。じわじわと恥ずかしさも込み上げてくる。顔に熱が集まってきた。
「……いえ、ちょっと。詩を書いてたの」
「詩か、てっきり。他の男に手紙でも書いているのかと思ったぞ」
「さすがにそんな事はしないわ」
私がきっぱり言うと、シエルは見るからに安堵の表情を浮かべた。まさか、浮気を疑われるとは。私はシエルを胡乱げに睨んだ。
「シエル、あなたの方こそどうなの。王都にいる間に、浮気をしているんじゃないでしょうね?」
「な、そんな事あるわけないだろう。断じてない!」
「なら、いいの。私はまだ絵や詩に集中していたいから。シエルはお仕事をしてくださいな」
「……ベル、まだ私は納得しきれていないんだが」
「だから、私は他の殿方に恋文なんて書いていないわ。何なら、調べてもらっても構わないわよ」
さらに言うと、シエルは深いため息をついた。眉間を揉みながら、考え込む。
「ベル、分かったよ。納得はした、その代わり。今夜は覚悟しておけ」
「……え?!」
「じゃあな」
シエルはそれだけ言うと、私の部屋から去っていく。茫然としながら見送った。
その後、宣言通りにシエルは夫婦の寝室にやって来た。
「……あ、シエル。今日も来たのね」
「まあな、昼間に言ったからな。ベル、早速始めるぞ」
「はい?」
シエルは速足でベッドの端に腰掛けていた私に近づいてきた。おもむろに抱きしめられる。
こうして、あれよあれよと言う間にベッドに押し倒された。
「ベル」
「……シエル?」
掠れた声で名前を呼びかけられて呼び返す。シエルと情熱的な一夜を過ごしたのだった。
翌年の初春頃に、私は必死な思いで五人目の女の子を出産した。淡い翡翠色の瞳に真っ直ぐな黒髪が綺麗な子だ。名前をアリシアと付けられた。産後、私はしばらくアリシアのお世話に没頭する。詩や絵どころではなかった。
まあ、上のアーデルハイト、イアン、エルマ、オルガも手伝ってくれたが。シエルも。
「……アリシア、今日も可愛いな」
「そうね、髪の色や顔立ちはシエルにそっくりだわ」
「ああ、アラベラ。アーデルハイト達も可愛いがってくれているしな」
私はアリシアを抱っこするシエルに笑いかけた。庭園にあるガゼボにて、シエルやアリシアと散策をしていた。ちょっと離れた所では上の四人が各々、花々を眺めたりしている。アーデルハイトは婚約者のレオパルト君と一緒に歓談していた。
「んじゃ、俺達も行くか」
「分かったわ」
シエルは乳母にアリシアを預けると腕を差し出す。私は右手を添える。ゆっくりと歩き出した。
今は六の月だが、陽射しが夏のものになっている。つばが広い帽子を被りながらも空を見上げた。アーデルハイト達の賑やかな声や夏らしい風に目を細めたのだった。
――True end――
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