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胸ポケットの秘密
「それで俺はどうしたらよいのだ」
クロスケはオーバーオールの胸を張って、自信たっぷりに微笑む。
「ワタシのアドバイス通りに、お店の改善をします。安心してください。ワタシの言うとおりにやって、ふたりで協力すれば、店の売上は必ず伸びます。帯田君の実力も信頼もぐんと伸びます。そうして人生を変えるのです」
さしあたって、ほら。とクロスケは胸ポケットから小型のマグライトのような懐中電灯を取り出す。
「元どおり懐中電灯ー☆」
これはね、2090年に特許をとっていて、ワタシの時代には普通の道具なんだけど、と前置きしてクロスケはその懐中電灯を厨房に向けてONにする。白い微粒の粉末が飛び出して空間に舞うように、白い明かりが厨房内を照らし出す。
30秒ほどまんべんなく照射したあとで、俺は騙されたような感覚で厨房内を見て回ると、驚くことにベタベタの油汚れ、くすんだステンレスの調理台、埃の溜まった棚の奥などが見違えるように綺麗になっている。まるでオープン当初のような輝きである。
「なんなんだこれは」
「飲食店の基本は、QSC(クオリティ、サービス、クリンリネス)。これは過去も未来も同じです。クリンリネス、つまり掃除は基本中の基本です。ワタシの時代では、この道具でいつでもきれいに保てていますが、現在はどうでしょうか。なかなか掃除が行き届かないのではありませんか」
「週次、月次のクリンリネスプランを立てているけど」
「ああ、もうそれが駄目なんですよ。チェック表だけ立派で結局ぜんぜんやれないのです。忙しくて。で、面倒くさくて。それでいつのまにか表に適当にサインだけして終わり」
確かに、と思う。未来では人力で清掃しない。そんな発明が出来ているのは素晴らしい。
「あとはどんなものがあるんだ?」
「帯田君、ようやく目を覚ましましたね。結構です。どんどん未来の当たり前を教えましょう。2100年になると、飲食店の数はぐんと減ります。みんな自宅やホテルで外食と同じロケーションと料理を楽しめるので店は淘汰されました。だから生き残った飲食店は徹底してハイグレードのサービスを行います。しかも人員は今の半分も必要ありません。オートメーション化が徹底しています」
クロスケの鼻が高くなっている。得意になっている。
「プレゼントシールドー☆」
次に胸ポケットから取り出したアイテムは、スプレーのようなものだが、これは客席の上部に吹き付けるらしい。噴出された粉末が膜状になって広がる。その幕は厨房側に絵柄を投射する。客の要望、期待、次に注文したい商品のイメージ図が幕に投影される。
「QSCのSはサービス。サービスの基本は、お客様の期待やニーズをいち早く察知してリアクションをすることですね! その手助けとなる道具がこのプレゼントシールドというスプレーガンなのです」
またまた得意になってクロスケは言う。俺はだんだん興奮して来た。
「いいね。これは驚いた。としたらクロスケよ、料理が抜群に旨くなる道具なんかもあるんだろうね」
モチロン! とウフーフフ笑いをしたクロスケは両手をポケットに突っ込み、しかしふと動きを止めて俺を見る。
「帯田くん!」
急に目尻を下げて俺を呼ぶ。ああバカバカバカだなー、とクロスケは自分の頭をポカポカ叩く。
「駄目だよ、帯田君。道具に頼り過ぎたら、やっぱり人生駄目になるんだよ」
あ、そうなの。自分でノッてきたくせに、と熱く語るクロスケに内心突っ込む。
「こんなんじゃ、売り上げを伸ばすとか、自分の能力を伸ばすとかする以前に――」
クロスケは俺を見据える。
「ぜんぶ伸びる前に、帯田君が『野比る』になっちゃうよ」
くだらないこと言うな、と俺はずっこけたのだった。
(了)
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