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4.兆し
「リリエーン」
ここ最近、第五皇子の女性を呼ぶ声が響く。
そのためすっかり男色との噂は消え、皇后の機嫌とともに皇室の雰囲気もよくなっていた。
名を呼ばれたリリエンは、暇つぶしに読んでいた小説を閉じ顔を上げた。
小説なんて娯楽という贅沢品を買うことも読む時間もなかったので、懐痛まずして時間もあるしとエルドレッドの執務室で寛いでいた。
「はい。殿下」
「これは何だ?」
目くじらを立てた赤い瞳が、ぎらりとリリエンを捕らえる。
あら、いやだ。そんなに感情をあらわにするなんてこれまた進歩ではとリリエンは感動した。
選んだかいがあるというものだ。
によによと締まりのない顔を浮かべるリリエンを見て、エルドレッドがぎりぎりと奥歯を噛んだ。
機嫌の悪さだけがひしひしと伝わってくる。
「リリエン」
ドスの利いた声音。
鍛えた肉体美に、艶やかな黒髪と赤い瞳を持つ美貌。持って生まれた華やかさが加わり、声音を変えるだけで相手を支配する。
そこらの貴族令嬢なら泣きが入るところであるが、リリエンはそれも悠然と受け止めにっこりと微笑んだ。
「それは殿下のものですよ」
「お前、ふざけているのか」
「まあ、殿下。女性に対してお前だなんて。ダメですよ」
おほほっと笑うと、ぴきりとエルドレッドの顔に青筋が立った。
「ほお?」
「凄んでも怖くはありませんわ」
領地には三メートルほどある大柄な熊がいる。それと比べると、凄んでいても優美さを纏うエルドレッドはちっとも怖くない。
余裕で笑みを浮かべると、ビリッとエルドレッドは手に持っていた薄い本を真っ二つに破り捨てた。
ばさりと床に落ち、ちょうど女性のまろやかなフォルムが丸見えになる。
それを見て眉根を上げたエルドレッドが、その上からばさばさと他の資料を落とし見えないように被せた。
ご機嫌斜めなエルドレッドを前に、リリエンは嘆息した。
「せっかく頑張って手に入れたのに」
「そういえば、どうやって手に入れた?」
「まあ、それは友人に」
そのせいで今度デートすることになったのよね、と頬に手を当てながら息をついていると、エルドレッドがぴくぴくっと眉を跳ね上げた。
「――……男か?」
「それは、ご令嬢にこんなことを頼むわけにはいきませんもの」
「ほぉ?」
先ほどよりもトーンが低くなる。
さすがのリリエンも本気の苛立ちを感じ取り、笑顔をさっと引っ込めた。
何がそんなにエルドレッドの機嫌を損ねたのかわからないと、様子をうかがうように声をかけた。
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