思惑はすれ違う

5/7
前へ
/7ページ
次へ
(ちょっと一回、物理的に離れよう) そう思ったサキは、トシアキを起こさないようにそっとベッドから離れると、仮眠室を出た。 時刻は午前4時をまわっている。 社内には誰もいない。 身体も、脳も、疲れを感じた。 給湯室に行き、棚からカップ麺を取り出す。 こんな時間にカップ麺を食べるなんて、ダメという感覚がある。 すごく空腹でもない。 だけど、外から何かを自分の中に入れたい気がした。 ホっとしたいから、食べたい。 この疲労感を何とかしたい。 カップ麺にお湯を注いだ後、スマホで3分を計ろうとして、手元にないことを思い出した。 サキは給湯室を出て、仮眠室の扉をそっと開く。 枕元に置いてあったスマホを手にした瞬間 「ごめん、俺、寝てた?」 トシアキが目を覚ましたようだ。 (だから、そっと入ってきたのに) サキは、ちょっと面倒くさいと感じた。 「疲れてるんだから、しょうがないよ。もう少し寝てたら?」 サキは優しいフリをした。 本当は、こんな夜中にカップ麺を食べることを、トシアキに知られたくない。 トシアキは、サキの裸を見て知っている。 こんな時間にカップ麺を食べるから、お腹が出ているんだと思われたくない。 「ごめん、もうちょっとだけ寝させて」 トシアキは寝返りを打つと、枕のどこに頭を置くか、調整している。 改めて寝る体勢に入ったのを見届けて、サキがベッドから離れようとした時、トシアキがサキの腕を掴んだ。 トシアキは何も言わない。 不自然に腕を伸ばしてサキを掴まえている以外は、トシアキは体勢を変えていない。 枕に顔を沈め、目を閉じたままだ。 (この人は甘えん坊な所があるんだよな)とサキは思う。 眠りに落ちる瞬間、サキに隣にいて欲しいから引き留めたのだ。 一人は寂しいらしい。 トシアキのこういう所は、子どもっぽいと思う。 (早く戻らないと、麺がのびちゃうんだけどな) カップ麺のことが気になりながらも、サキはトシアキの横に腰掛けた。 サキの腕を掴んでいたトシアキの手を布団の中に入れてやり、子どもにするようにトントンと背中を叩いた。 (こうした方が早く寝るだろう)とサキは計算している。 せっかくだから、カップ麺は美味しく頂きたい。 早く給湯室に戻りたい。 トシアキがすぐに寝てくれないと困る。 (きっと大丈夫。どうせ、すぐ寝る) だってトシアキは、行為の最中に眠ってしまうくらい疲れているのだから。 トシアキは一瞬だけ寝息を立てたのに、目を閉じたままボソボソと喋り始めた。 「ちょっと待って。さっきカップ麺にお湯を注いだ所だから、食べてくるね」 サキは言おうか迷った。 言えばトシアキは引き止めないし、サキが隣にいなくなれば、すぐに寝てしまうだろう。 でもなぜか、それは薄情な気がして言えなかった。 トシアキよりカップ麺を大事にする、食い意地の張った女だと思われたくない。 そんなこと、トシアキは思わないのを本当は知っている。 だけどトシアキの前で、完璧ないい女を演じきりたい。 トシアキは、まだ目が覚めきっていない。 ボーっとしたまま、発音も不明瞭に話している。 (そんなに眠いなら、寝ればいいのに。今すぐ寝てくれたら、麺がのびきる前に食べれるのに)とサキは思っている。 「寝るつもりはなかったんだ」 「本当に疲れてて」 「途中になっちゃってごめんね」 一言だけ言うと黙り、また少しの間を開けて、一言だけ話す。 意味のない話ばかりするトシアキに、サキは軽くイラついた。 (こんな話を聞くのなら、カップ麺を食べたい) もちろんサキは、トシアキはカップ麺のことなど知らないのだから、これは不条理な苛立ちだと自覚している。 ポツポツと話していたトシアキの声に、段々と張りが出てきた。 喋るスピードも通常に戻ってきている。 (寝たら食べに行こうと思ってたのに、目が覚めちゃった?) 思い通りにいかないことに、サキは落胆する。 「ごめん。実はさっき、給湯室でカップ麺にお湯を入れてきたんだ。ちょっと食べて来てもいい?」 サキは言おうか迷った。 だけど今それを言うと、さっき言わずにおいたことが無駄になるような気がした。 トシアキはベッドサイドに置いてあったメガネを取ってかけた。 (あぁ、完全に起きちゃった)とサキは思う。 メガネをかけないと、ほとんど何も見えないと、以前にトシアキが言っていたことがある。 もう起きるつもりになったから、メガネをかけている。 「サキさ、パートナーがいた方が便利じゃない?サキはいい女なんだから、旦那が帰って来るまでの期間限定でもいいから、パートナーになりたいですって男は沢山いると思うよ」 トシアキが言う。 (また、こういう話が始まったか)とサキは思う。 トシアキはよく、サキに男を作れと勧めてくる。 大きなお世話だとサキは思っている。 欲しかったら作るし、欲しくなかったら作らない。 トシアキには関係のない話だ。 こういう話をされる度、「俺はお前のこと、好きじゃないからな」と念押しされているようで、サキは腹が立つ。 サキが「私はリーダーと付き合っています」みたいな、何か勘違いしたような振る舞いをしているのなら、トシアキが予防線を張ってくるのは分かる。 だけどサキは、トシアキに踏み込まないようにしている。 トシアキが結婚しているのか、子どもがいるのか、パートナーがいるのか、好きな人がいるのか、知らない。 質問していない。 トシアキにどういう人がいようと、サキには関係がないことだと思っている。 サキに対して、トシアキどういうつもりでいるのか、どうでもいい。 (サキを抱きたい)という気持ちがあるのなら、それで良いと割り切っている。 サキは夫と別れるつもりはない。 だからこそ、トシアキに対してわきまえているつもりだ。 「パートナーを作るつもりはないかな」 サキがやんわりと、トシアキの言葉を否定する。 「どうして?どうして作らないの?」 (深追いするような話題?)とサキは思う。 不愉快ではあるけれど、男女間のちょっとしたお戯れで出した話題だと思っていた。 だけどトシアキは、もっと続けたいらしい。 「パートナーでもない貴方でも、私は十分に思い悩んでいるのよ。これ以上、私を煩わせるものを増やしたいわけないでしょ?」 サキは頭に浮かんだ言葉をグッと飲み込んだ。 ここで感情的になるのは、負けな気がする。 (もっと気軽に私を抱きたいんだろうな)とサキは思う。 トシアキはサキが既婚者であることを知っているけれど、今は旦那はいないのと一緒だ。 サキに正式なパートナーがいれば、自分は気紛れな遊び相手ということになるから、無責任でいられる。 裏を返せば、プロジェクトに派遣されてきている既婚者に、リーダーである自分が手を出したのは良くないという意識があるのかもしれない。 だけど罪悪感を弱めるために、サキが嫌がる話を繰り返すのは自分勝手だ。 「どうしてって聞かれても、パートナーを欲しいと思わないし」 サキが返すと、パートナーの利点をトシアキは説明し始めた。 さすが頭が良いだけあって、論理には筋が通っている。 (もしかしたらこの人は、「貴方のことが好きだから、パートナーなんていらない」とか言わせたいのかもしれないな)とサキは思う。 サキに告白をさせて、「俺はパートナーになれない」と、しっかり断る。 そうすれば、曖昧に始まって、曖昧なままでいる関係をはっきりさせられる。 サキが本気ならもっと深入りする前に引き返した方がいいし、お互いに割り切れるなら、罪悪感なく楽しめば良い。 快楽は欲しいが、危ない橋は渡りたくない。 物事はハッキリとしている方が、身動きがとりやすい。 (ハッキリとさせたいのなら、私にキッカケを作らせないで、自分から切り出せばいいのに)とサキは思う。 サキはパートナーが欲しいと思っていない。 トシアキの人間性に惹かれたから、一線を越えることを拒まなかっただけ。 だけど、パートナーを作るように説得してくるトシアキを見ていると (いくら私が自分の気持ちを説明したって、この人はそもそも聞く耳を持っていないんだから、真面目に取り合ってもしょうがないよね)と思えてきた。 「そうね、いい人がいたら、パートナーを作るのも良いかもしれないわね」 本当はそんな気がないことを言って、サキは話題を切り上げようとした。 「何もせずに、自然にいい人と出会うことなんてないよ。しっかり探さないと見つからないと思うんだけど、ちゃんと探そうと思ってる?」 (なんだコイツ?)と思った後、(あーあ、麺はのびてるんだろうな)とサキは思った。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加