その水滴が、痛い

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私と角来(かくらい)くんが、付き合い始めたのは、2年生になってまだ2週間しかたっていなかった4月中旬。 去年から同じクラスで、特に話したことはなかったけれど、彼から突然、メッセージが届いたんだ。 『俺と付き合ってくれない?』 モデルさんのようなスラッとした高身長に、整った綺麗な顔。 入学当初から、彼のルックスの良さは、3年の先輩が1年の教室に見にくるほどすこぶる目立っていた。 それでも、当の本人は、そういうものには、まったく興味がなさそうで、基本的に無口で、男子グループの中で会話が盛り上がっているときも表情は変わらず。 何を考えているか謎で、ミステリアス王子なんて呼ばれたりもしていた。 そんな目立つ、物語の主役級の彼から、告白されて2ヶ月が過ぎたけど、未だに、彼がどうして私と付き合ってくれているのか謎。 放課後は、私の方が部活があるから、なかなか一緒に帰れないし。 そもそも、あの角来くんと付き合ってる、なんて、友達の誰にも打ち明けることができなくて。 先延ばしにすればするほど、言うタイミングが難しくて最近の悩みの一つ。 まだ、デートの一つもしていないし、手だって繋いでいない。 私と角来くんを繋いでいるのは、この、隣同士の席と、メッセージのやりとりぐらいだ。 ……あれ?私と角来くんって、付き合って、いるよね? 朝のHR前、心配になって、慌ててスマホを取り出して、角来くんとのトーク画面を見返す。 『おはよう』 『おやすみ』 『今日もお疲れ様』 何気なすぎるやり取りの数々。 正直、恋人同士じゃなくてもできるような会話ばかり。 過去の会話を遡れば、やはり、角来くんからの告白から私たちのメッセージのやり取りはスタートしている。 勘違い……ではない。 ふざけて嘘告白なんてするタイプでもないと思うし。 隣の席を横目で確認すれば、相変わらず、机に突っ伏して寝ている。 普通、彼女が隣にいて、こんな寝てられるものなのかな? 「こーこな!」 「わっ……!麻希あさぎっ!おはよっ!」 後ろから、肩を掴まれたまま名前を呼ばれて、スマホの画面を見られないように慌ててスリープボタンを押した。 「なーに見てたのよ!」 後ろを振り向けば、今年同じクラスになって一緒にいる麻希(あさぎ)が立っていた。 「何でもないよ!!」 「あそう。ね、水着、ちゃんと持ってきた?今日のラストの授業、プールだよ!プール!」 「……あ、うん。一応持ってきたけど……」 「いえーい!最初の1時間は自由時間って言ってたじゃん!めっちゃ楽しみ!私もうこの下から着てるし」 「え、そうなの?早すぎない?」 私、プールの時間は着替えとか色々と面倒くさくてあまり好きじゃないんだけど。 麻希が小学生男子みたいに張り切ってるのがおかしくて、吹き出してしまう。 「平泳ぎ、競走しよ!」 「えぇー、私そんな泳ぎ得意じゃないから…」 「じゃあ、心菜は犬かきでいいよ」 「そういうことじゃなくて!」 麻希とそんな会話をしていると、チャイムが鳴り朝のHRが始まった。 * 「女子、プール、いいなあ!」 「俺ら、夏休み明けてからじゃね?早く入りてぇ〜!」 「こちとら持久走よ?」 今日ラストの授業が終わり、着替えて教室に戻ると。 教室では、軽くタオルで髪の毛を拭いたり、くしで髪をとかす子たちが続出中。 男子が、女子のプール授業を羨ましそうに嘆いていた。 「うわ、誰かと思ったら、清野か!」 自分の席について、帰りの準備していると、突然自分の名前が呼ばれた。 顔をあげると、クラスの中で一番のムードメーカーである、神山くんと目が合った。 彼の声が大きかったので、そこにいた数名も私のことを見ていた。 い、一体なんだ……。 「えっと……」 「あぁ、ごめん!いや、ほら、清野って、いつも、後ろで一つに結んでんじゃん。だから、一瞬、誰かわかんなかった!」 「あぁ、はあ……」 確かに、普段は後ろの低い位置で一つ結び。 けど、今はプールが終わったばかりで、濡れた髪のまま結ぶのがいやで、髪を解いたまま。 そんなに、印象変わったのかな。 「そっちの方が俺は好き!エロいっ!」 「なっ……」 「ちょ、神山!!お前、セクハラだぞ!ちょっとわかるけどっ!」 なんて言ったのは、まさかの麻希。 わかっている。 冗談。悪ふざけ。 そこまで意味なんてない。 それなのに、こんなことで……。 「はっ、ちょ、ごめん!心菜!!」 顔が熱い、熱くてしょうがないし、なんて言えばいいのかわからないでいると、 麻希が、謝りながら、神山くんたちから私の顔を隠すように私をぎゅっと抱きしめた。 「心菜、まじでピュアウブだから、やめなよ、あんたたち!」 「……あぁ、なんか、ごめん」 そんな、神山くんの声がポツリと呟かれて、担任の先生が教室に入ってきた。 * 帰りのHRが終わる頃には、顔の熱も治っていた。 テスト1週間前の今日は、放課後の部活はなしで、みんなが次々と、教室から出ていく。 バイトがあると急いで教室を出た麻希に手を振って、私も帰ろうと席を立った時。 ん? 隣の席の彼がまだ寝ていることに気付いた。 いつもは、割と早く教室を出ていくのに。 どうしたんだろうか。 「……かっ、」 あまりにも動かず寝ている彼を見ていると、声をかけるのをためらってしまった。 もう少し寝かせてあげよう。 いや違う。 このタイミングを逃したら、私たちは一生、話さない気がする。 本当は、話したいこと、聞きたいことがたくさんあるから。 教室の正面にある時計を見る。 あと、10分経ったら起こそう。 徐々に静かになっていく教室の中、ついに私と角来くんのふたりだけ。 今日数学でもらった課題に取り組んでいると、時間は刻々と過ぎてゆく。 10分後。 ……何気に、角来くんと直接話すの初めてで、緊張する。一応、付き合ってるっていうのに。 普通のカップルからみたら、おかしな話なんだろうな。 そんなことを思いながら、ふーと深呼吸して、彼の肩に手を置いた。 思ったよりも角ばった、男の人の肩にドキッとしてしまう。 「……角来くん、起きて」 小さく呟いたつもりだけど、彼の身体はピクッと反応した。そして、机に腕と顔を置いたまま、顔だけをこちらに向けて目を開けた。 ……寝起きだっていうのに、そんな綺麗な顔なこと、ありますか。 「……清野さんじゃん」 「……あ、はい、清野です」 彼の口から初めて紡がれる自分の名前に、また顔が熱くなる。 「もしかして、HR終わった?」 「うん。珍しいね。角来くんが、帰りのHRで寝るなんて。いつもはすぐに帰るから」 今日、男子は持久走だったって言ってたし、疲れたのかな?と、内心思っていると。 「ふて寝」 なんて呟いた。 ふ、ふて寝? 「あー、何言ってんのかわかんないって顔、むかつく」 っ!? む、むかつく!? あれ、私と角来くんって、付き合ってるよね? まさか、私がずっと角来くんだと思ってメッセージのやり取りをしていたのは、角来くんじゃない!? だって……むかつくって……付き合って2ヶ月の彼女に言う言葉かな……。 いや、全然カップルらしいことなんてしていないんだけど。 「髪、まだ濡れてる」 「あ、うん、長いと、乾くの遅くて……」 「……ん。それ、やめて」 「えっ?」 私が聞き返すと、角来くんはおもむろに席を立ち上がって、こちらにジリジリと詰め寄ってきた。 窓側の席。 背中がピタッと窓の縁にくっつく。 「か、角来、くん?」 私の濡れた毛先をすくった角来くんの指も、正真正銘男の子で、心臓がうるさく音を立てて、倒れてしまいそう。 いきなりのことで、何が何だかさっぱりで、声がうまく出てこない。 「……俺が、誰よりも先に、独り占めしたかったのに」 角来くんは、そういうと、私の濡れた毛先を口元に近づけた。 「なっ……」 甘すぎる言動に、いよいよ脳みそまで沸騰してしまいそう。 クールで無口だって有名な角来くんの口から……どうして……。 「受験の日、覚えてないでしょ」 「えっ?」 じゅ、受験の日? 何のことだろうと考えていると、角来くんがブレザーのポケットから何かを取り出して私の手の中に置いた。 手を広げると、そこには、はちみつレモン味ののど飴。 これって……。 「あの日、俺、なんとかギリギリ風邪が治ったばっかで。けど、咳がまだ続いてて」 受験の日……風邪……。 「咳が出る度に、周りの目が痛くて、出しちゃいけないって思えば思うほど息苦しくて。そんなとき、休憩中に、知らない中学の子が、くれたんだよ」 あっ。 その時のことが、一瞬にして、脳内で再生された。 「それが、清野さん」 「嘘……」 まさか、あれが角来くんだったなんて。 私も、受験で緊張していたから、多分顔なんてあんまりよく見ていなくて。しかも、マスクをしていたし。 「その時から、ずっと、いつかちゃんとお礼したいって思ってた。これ舐めてからずいぶん落ち着いたし」 「そ、そんな……でも、良かった、少しでも役に立って……」 「あれから、俺ずっとこの飴舐めてんの。その度に、清野さんのこと思い出してて」 またも彼のそんなセリフに、胸の鼓動が速くなる。 いつもの角来くんはどこへやら。 「あの、わかったから、その、角来くんの気持ちは、十分伝わったし、私も、聞きたかったことが聞けてすっきりしたので、その、ちょっと、距離を……」 と彼から目をそらしながら伝える。 「ん?なに?やっと意識してくれてる?」 「っ、」 角来くんの言うとおり、彼がどうして私を選んだのかわからない時は、そこまで意識していなかったのに。 今、真っ直ぐと角来くんの気持ちを聞いてからだと、身体の暑さも、胸の音も全然違う。 ───本気だっていうことが、痛いぐらい伝わってしまうから。 「先に仕掛けたの、清野さんだよね?こんな状態で、俺のこと起こすとか。おかしくさせる気満々じゃん」 「や、そんなつもりは……」 「清野さんにそんなつもりなくても、こっちはスイッチ入っちゃうから。……せっかく、色々我慢してたのに」 「えっ……」 「直接話すと、色々抑え効かなくなりそうだったから。だから、メッセージも当たり障りなくと思って……」 そう……だったんだ。 「……俺なりに、清野さんに嫌われないようにって、必死に──」 「き、嫌わないよっ!……こ、こんなに痛いぐらいドキドキさせられて、嫌いになれ───」 話し合える前に、私の唇は塞がれてしまった。 目の前は、目を瞑った角来くんでいっぱい。 こ、これって……。 「なんで煽っちゃうかな」 鼻先が触れ合う距離で、角来くんがつぶやく。 煽ったつもりなんて……。 「全部、心菜のせいだよ」 「なっ……」 急な名前呼びに、さらに胸の音が騒がしくなってしょうがない。 「我慢してた分、止められないから」 角来くんは、そう言いながら、飴をもった私の手のひらを広げて、その飴を袋から半分出して、こちらに向けた。 「ん。口に入れて」 「えっ」 「ほら」 言われるがまま、口を開けば、コロンと小さな飴が舌を転がって、口いっぱいに、レモンの爽やかさとはちみつの柔らかい甘さが広がる。 「……心菜のせいで、喉痛いんだけど」 「えっ、」 「これ、ちょうだいよ」 私の唇を親指でなぞってそうねだる角来くんが、ニヤッと妖艶の笑みを浮かべた。
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