第一話 ウェイトレスの帰り道

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第一話 ウェイトレスの帰り道

 1988年。  地中海に面したイタリアとフランスの間に位置している小国“ソレイア”。 adf1fae8-8309-4daa-9d0a-dd677b6a325f  美しい自然と、豊かな文化が特徴のその国は、青い海と緑豊かな森林が広がっており、人々は芸術や音楽、料理などを愛する文化的な国民性を持っている。  ソレイアの言語は“ソレイア語”という独自の文字を持つ言語が存在するが、近年は国民の多くは英語を話し、地域よってはイタリア語、フランス語が主とするところもあった。  そしてここは、古代から続く歴史的な建造物や美術館、劇場などが集まる美しい街、首都“リュメール”。  王宮や宮殿が立ち並び、王室ファミリーが住む王宮の庭園は、リュメールでも国内外から訪れる観光客の人気スポットとなっていた。  季節は、過ごしやすい気候の九月。平和なその街の、ある夜のこと…。 「それじゃあ、お疲れ様です」  時間は深夜〇時。  リュメールの歓楽街“ファンタジア•ガーデン”にあるバール“ フリオール・ベルヴィア”から出てきた一人の女性。  名前は“エレナ•マリアーナ”。  “ フリオール・ベルヴィア”でウェイトレスとして働く彼女は、ソレイア国立大学に通う十八歳。  美人で客うけもよく、バールを経営している夫婦からも可愛がられていた。 「おう、エレナ。今夜も朝からお疲れさん。気をつけてな。知ってるだろうど、最近ここらで物騒な事件が相次いでるからな」  そう語るのは、バールの主人、“フェリックス”。  彼の言う通り、ここニヶ月、リュメール繁華街の路地裏で、若い女性の遺体が発見されるという事件が三件も続いていたのだ。  華やかで、平和なイメージのリュメール故に、その事件は市民に衝撃を与えた。  そして事件の三件目は、ちょうど一週間前に起きたばかりであった。 「フェリックスさん、大丈夫ですよ!失礼します」  エレナが平気だと言わんばかりの笑顔で、そう言うのは無理もなかった。 de69f075-b797-4805-a547-e70e6fdb9a80  深夜とはいえ、ファンタジア•ガーデンにある店々は、この時間を堺に店じまいを始める。  つまり、まだ人も多く出歩いており、彼女のように働く店員が次々帰る時間でもあった。  おまけに歓楽街といっても、“ファンタジア•ガーデン”はどちらかと言えばバールを中心とした食堂が集う場所。どの店も多少のアルコールは提供するが、隣町の酒場(パブ)風俗店(セックスショップ)が並ぶ“ヴァレイスタルト”と比べて、客層は良いと言えた。  そんなエレナは、週末の金土にシフトを入れ、毎週二日間、開店から閉店まで、“ フリオール・ベルヴィア”で仕事をしていた。  その目的は、家系負担の軽減だ。  エレナの家は、決して裕福とは言えない。  それでも大学の学費は、彼女の両親が出してくれている。だからこそ、それ以外のことでは経済的に負担を家にかけまいと、極力自分でやりくりをしていた。  高校時代、成績優秀だったエレナは、奨学金で学費の半分は免除されている。  それでも両親の収入で支払うには、学費は決して安いとは言えない額だ。  マリアーナ家の子供がエレナ一人であることが唯一、経済的に救いだとも言えた。  彼女の自宅は、“ フリオール・ベルヴィア”から歩いて十五分ほど、リュメールから少し外れた“ターゴ”という郊外の住宅街だった。  まだ色とりどりの看板が明かりを放ち、人々が笑い声や歓声を上げながら街を行き交う中、エレナは裏路地に入り、歩いていた。  “ファンタジア•ガーデン”から、“ターゴ”へと抜ける道だ。 cdd31b4e-36d8-4641-8e46-8e25422fbeda  裏路地と言えど、今通り過ぎた大通りから、出入りをする人は多くはないが疎らにいる。  だからエレナは、フェリックスから言われたようなことは心配せず、そのままターゴへと歩を進めたるのであった。  帰宅したら、寝る前にまとめないとならない大学のレポートがあり、今夜も寝るのは遅くなりそうだなとど考えていた。  明日が休みでよかった…そんなことを思った瞬間のことだった。  一瞬…、鋭い視線を感じた。  振り返るエレナ。  何人かの人が、疎らに出歩いているこの裏路地で、一瞬だけ不気味な、それでいて刺すような視線を感じたのだ。 「………」  エ気のせいかと思ったエレナだが、心臓が高鳴り始め、思わずその視線の主を探した。  右、左…やひり気のせいか、見つからない。  “怪しい”と思うと、道を歩いている全ての人がそう見えてしまう。  一体誰だろうかと、不安と興奮が入り混じった感情に支配されながらも、エレナは恐怖心に負けずに歩き続けた。  その一瞬の出来事が、彼女の運命を一変させた。  視線は気のせいではないこと知る。  それは足音だった。  突然、後ろから足音が近づき、エレナは又振り返ると、不気味な影が迫っているのを見た。  男だ。  疎らに歩いてる人たちの中で、その男の目は明らかにこちらを向いている。  恐怖に顔を歪めたエレナは、足早にその場を駆け出した。  そんなまさか…、三人の遺体の犯人!?    彼女は必死に、その男をやり過ごそうと考え、更に“路地裏”に飛び込み、身を潜めた。  物陰に隠れ息を殺す。 「………」  だがエレナは思った。  男が実に賢いと。  さっき、逃げ出さずに“助けて”と叫んだとしたら、男は疎らな人らに紛れてしまったであろう。  それに、自分の声が大通りから聞こえてくる声や物音にかき消されることも考えられた。  何より、自分がそうであったように、まだ賑やかで、裏路地とはいえ人がいる中で、誰かに襲われると考える者はいないだろう。  男は計算高く、あえてあの場所でエレナに迫ったのだ。  そう考えたエレナは、ハッとする。  “やり過ごす”つもりで入った路地裏だったが、人のいない場所へと誘い込まれたことのだと気づいたのだ。  慌てて、路地裏から出ようとするエレナ。  たが、物陰から飛び出ると、既に男は目の前にいたのである。 「……っ!!」  自分より背の高い男。  上も下も黒い服に身を包んだ男。  月夜に照らされたその顔は、むしろ整っていた。  だが、見下ろすその目は冷酷さが漂っている。 「おやおやおや、君…頭いいだろ?」  男は、不気味に口角を上げ、エレナに尋ねた。   「僕が人のいる場所からここに誘い込んだことに気づいた……だよね?」 「……」 「だから慌ててここから逃げようとしたそう、君の思った通りだよ。ただし気づくのが少し遅かったけど、ね」  張り付いたような笑顔を浮かべる男に、エレナは恐怖を感じた。  そんな彼女の顔を覗き込むよう見つめてくる男は、話を続ける。 「人がまだいて安心…そんな路上でさ、わざとね、気づかれるような視線を刺す…。騒げばそのまま他の人に紛れればいい。でもね、不思議なもので、悲鳴ってのは簡単に上げられない。人は危険が迫ると静かに、何も起きないよう願うんだよ」  男が上着を捲ると、その脇にナイフホルダーが装着されていた。  パチッとナイフを押さえているベルトのスナップボタンを外すと、男はゆっくりとその刃を抜く。  大きなナイフだ。  月夜に照らされると、不気味に光る。  エレナは、震え出す。  もう解った。  ここ二ヶ月の間に発見された若い女性たちの遺体。その三人は、今の自分と同じ目にあったのだと。  事件の犯人はこの男なのだと。  まさか自分が、その被害者たちと同じ目に合うなど、夢にも思っていたなかったエレナは、突然涙を流し、か細い声で「どうか命だけは…」と言った。 「ダメダメダメ…暗がりとはいえ、僕の顔見ちゃってるもん。それに頭のいい君は、もう一つ気づいたはずた」 「……え」 「…いいよ、言わなくても。正解だから。三人の女の子たちの遺体…あれは僕が()った」  男の告白。  それはもう、自分が助からないという宣言なのだと、エレナは確信した。  それでも命乞いをするエレナ。  警察には言わないことや、両親には自分しかいないことを説明し、懇願した。  そんな彼女の態度を見て、クスクスと笑う男。 「だから、ダメだってえ。むしろ、君の命乞いに興奮しちゃったよ。切り裂きたい、刺したいって…ゾクゾクが止まらない」  男はそう言い、ナイフを逆手に持って振り上げた。  ああ、殺される…。  それが夢であって欲しいと思ったエレナ。  だが、男のナイフは、エレナの胸に切っ先が触れる直前で止まった。  男が、背中に気配を感じた。  ただの気配ではない。  快楽を満たすために、今まさに獲物に喰らいつかんとしていた直前に、その行動を止めるほどの殺気の籠った気配。  男はナイフをゆっくりと、エレナから放し、後ろを振り返った。  そこに立っていたのは女性だ。 「…こいつは驚いた。背中に槍でも刺されたかと思ったほど、ゾクっとしたよ。そしてその圧…どれだけ屈強な男かと思えば…女とは」  その女性は、革ジャンに身を包み、黄金色のプロテクターを腕に装着しており、何より目についたのなは、右手に持つ」剣だ。 「…殺人鬼“ヴィクター・ブラッドレイン”…探したわ」  夜風に、ブルネットの髪を靡かせながら、女性は口を開いた。  口角を上げる男…、その名はブラッドレイン。 「探した?それはお疲れ様…。苦労しただろうに」  実際、剣を持った彼女が、ブラッドレインを見つけ出すのには手を焼いた。  本当は、三人目の犠牲者を出すつもりはなかったが…  それは、人気のない場所で女性を襲っていると思っていたからだ。  まさか敢えて人のいる場所で、獲物となる犠牲者を路地裏に追い込んでいたとは、考えていなかったのだ。 「お陰様で…。でももう次はない。平和の街リュメールで殺しを楽しもうなんて…私が許さない」  そう言うと、女性は鞘から剣を抜いた。  その剣を目にすると、ブラッドレインは目を広げて驚いた。  その刃は薄く白く光っていたのだ。月の反射などではない。 「おいおいおい…まさかそれ、ミスリル銀製…。これは珍しい。貴様、剣士(ソードマスター)か」  “剣士”。  フェンシングのプレイヤーや、日本の剣道家など、剣を使う戦士の総称ではない。  “ソードマスター”と呼ばれ、古の時代より闇の世界に存在した古代の戦士。  ヨーロッパの歴史に影響される大きな出来事には、誰に知られることもなく、剣士が暗躍したと言われる。しかし、近代化が進む中で、その存在は相当に減った。  そう減ったが…まだ、確実にヨーロッパ裏社会に、存在はしていた。 「はっはぁ、今時随分と古風な形の剣だと思ってはいたが…そうか…」    女性は両手で剣を持つと、大きく振り翳し、腰を落とした。 「この剣、“Guardian of justice”により、貴様はここで死ぬ」  女性から放たれる空気が変わる。  その様子を見ていたエレナは腰が抜けたように地べたに尻を着いた。  自分を襲おうとした男、ブラッドレインも危険な空気を放っていたが、その向こうに立つ女性も負けてはいない。 「いい闘気だ女。気合い十分…。僕を倒すつもりなのも解った。でもね、君に二つ教えてあげよう」  ブラッドレインは、手にしているナイフをくるくると器用に回し、より口角を上げた。 「一つ…僕は美人の恐怖に歪んだ顔と、命乞いが大好きだ。笑顔では感じない癖でね。勿論、ナイフをゆっくり刺すのも快感だ。が…“殺人鬼”が肩書きじゃあない」  ブラッドレインは、ナイフの回転を止めると、逆手に構え、何の前触れもなく突然、爆発的な踏み込みを見せた。  彼のすぐ後ろにいたエレナは、一瞬で、その姿が離れたことに、目を広げた。  ブラッドレインの手に握られたナイフが、空気を切り裂きながら、女性の喉に向かい走る。  エレナは両手で顔を覆った。  剣を持った女性がそのままやられると思ったからだ。それだけブラッドレインの動きが凄まじかった。    だが、手のひらの向こうからは、何も聞こえない。  人の倒れる音も、悲鳴も…。  エレナは恐る恐る、指の隙間から、二人の様子を覗くように確認した。  すると、何が起きたのか…。明らかにナイフを持った手を振り抜いたであろうブラッドレインと、そこにいたはずの女性が三メートルほど横に移動していたのだ。  剣を振り翳した構えのまま、位置が変わっている女性の姿に、エレナは驚き覆っていた手を下げた。 「え!?」    思わずそう声を漏らすエレナ。    しかし、そんなエレナとは違い、ブラッドレインは、驚くでもなくむしろ笑っていた。 「ま、避けるよな。速い速い…」  ブラッドレインは、女性の瞬間移動とも思えてしまう回避行動を、予め予想していた。 「剣士の技法…。脳内の物質をコントロールすることで可能とする、動きの高速化。だが、その動きを使えるのは一瞬。無理をしても数秒ほど…」  男の教えたい二つのことについて、女性は既に理解していた。  一つ、この男はただの“殺人鬼”ではなく、“戦士”であること。つまり、高い戦闘技術を持っている。  それは踏み込みと、今のナイフによる一撃で伝わった。  そして、もう一つ。この男、剣士との戦いは初めてではない。
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