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第一章 ①
近所の草原さん宅の4歳になる娘さんがいなくなったと気づいたのは夕方の18時を過ぎた頃だった。
町内会の役員の1人でもある須藤さんからその連絡が来たのはつい今し方の事だ。
草原さんは既に警察に連絡をしており、警察が到着するのを自宅で待っているらしい。
その間、出来るだけ多くの町内会の人達を集めて草原さんの娘さんを探そうという事だった。
「19時30分につくし公園の前でお願いね。私はまだこれから電話をかけて回るから、合流は遅れると思います」
草原さんの娘である愛ちゃんが戻って来ていない事に気づいたのは奥さんの方だった。
買い物から帰宅した後、旦那である草原拓郎さんに問いただした所、16時過ぎに公園に行って来ると出かけて行ったらしい。
愛ちゃんはいつも1人でつくし公園へ遊びに行き、必ず17時過ぎには戻って来ていた為、拓郎さんもさして心配はしなかったそうだ。
それは奥さんも同様だったらしい。だがさすがに普段より1時間も遅くなっても帰って来ない事を危惧した奥さんは、町内会の役員の1人である須藤さんへ電話をかけた。
普段より声音が違っていた為、須藤さんは念の為に警察に連絡するよう奥さんへ伝えた後、あちこちへ電話をかけ集合を募ったようだ。
愛ちゃんは町内会の人達にとても親しまれていた。
人見知りもなく、とても愛嬌がある可愛らしい女の子だった。
それに町内会に入っている者からすれば、唯一の幼い子供だった。
私達夫婦に子供はおらず、他の若い子持ちの夫婦達はこぞって町内会に参加する事を拒んでいた。
町内会で行われる行事や、参加費などを支払ったりするのが面倒らしい。
周りの若い親御さん達がそんな風だから、愛ちゃんはより一層、特に年配の方々から可愛がられた。
愛ちゃんが1人でいる時は気にかけて声を掛け、自宅まで送り届けてくれたりもしていた。
だから愛ちゃんが草原夫婦の目の届かない場所にいたとしても、普通の親御さんより、心配は少なかった筈だ。
だが、生憎、今夜は愛ちゃんを送り届けてくれる人はいなかったようだ。
「草原さん家の愛ちゃんがまだ帰ってないらしい」
「あら」
妻は夕食の支度をしながらそう言った。
「だから今から町内会の人達で、愛ちゃんを探す事になったよ」
「須藤さん?」
妻はさっきの電話の事を言っているようだ。
「あぁ」
「寒くないようにして行って下さいね」
私は事の詳細を妻に告げながら椅子にかけていたカーディガンを手に取り、それを羽織った。
数日後にはゴールデンウィークだというのに、未だに夜は冷え込んで来る。
日によっては暖房が必要な時もある程だ。
それを懸念した妻が寒くないようにと私に気を遣ってくれたのだろう。
「夕食は帰って来てから食べるよ」
「はい。気をつけて行って来て下さい」
私は妻へ返事を返し、リビングを後にした。
下駄箱からスニーカーを取り出しそれを履いて家を出た。
家からつくし公園までは徒歩で10分程度だ。
町内会の人達との待ち合わせ時間より少しばかり早く着きそうだが、問題はない。
何なら集まった人達で先に愛ちゃんを探しても良いのだろう。そう思い私は玄関を出た。
月は顔を覗かせているが、その姿は雲に隠れていた。
そのせいか、空気まで重く感じられる。
稀に雲の切れ間から月明かりが差し込むが、その明かりは愛ちゃんが無事見つかって欲しいという僅かな希望の明かりのように思えてならなかった。
歩きながら私は頭を振った。そんな風に考えてはいけない。私達が無事を信じて上げなくてどうする?ご両親は私達では想像もつかない程、不安に苛まれているに違いないのだ。
雲のせいで再び月は姿を消した。辺りがやけに暗く感じられた。そう言えば、夜半から雷雨になると夕方の天気予報で言っていたな。
私は傘を持って行くべきか迷ったが引き返すのも面倒だと思い、そのままつくし公園へと向かって行った。
つくし公園に集まったのは私を含め総勢、7名だった。その中に須藤さんの姿はなかった。未だあちこちへ連絡をし続けているのかも知れない。
集まった中の1人で、ご高齢の高村さんが皆に声をかけた。
「今し方、須藤さんからメールが来まして、集まった人達で先に愛ちゃんを探していて欲しいとの事です」
「皆んなバラバラで探すのかい?」
高村さんとは幼い頃からずっと同窓生だったという今井さんがそのように話した。
「2人1組の方が良いでしょうな」
高村さんが言うと、自然と今井さんが高村さんの側へ擦り寄った。残った他の4人の人達は側にいた人とコンビとなり、私1人が残された形となった。
「湊(みなと)さんはお若いから1人で大丈夫かな」
今井さんの言葉に私は大丈夫ですと返事を返した。
私は集まった人達の中で1番若いと言う事でつくし公園から先の北側を担当する事になった。
北側は町内の中でも、一種、特殊な場所でもある。
その1つに一軒家がない事が挙げられた。
アパートや高層ではないがマンションが入り組んだ場所に小さな古い神社が異物のように点在している。
その神社を取り囲むように様々なアパートやマンションが立ち並んでいた。
アリの巣のような道も極めて狭く、一方通行が多かった。街頭も少なく夜になると他の場所より一層闇が深かった。
過去には幾度か痴漢が出た事もあり、未遂に終わったが暴行されかけた被害女性もいた。
犯人は近所に住む独身のサラリーマンだった。
もしそんな住宅地へ愛ちゃんが連れ去られたとしたら、と考えるだけでゾッとす。
そうでない事を願いながら私は北側へと歩みを早めた。辺りを警戒しながら愛ちゃんの名を呼ぶ。
気づくと目の前に神社があった。その昔、神社の周りはかなり広い林があったそうだ。だが時代の流れは時と共に神社と林との仲睦まじく過ごす事を拒んだ。
バブルが到来し始めるとあっという間に林は切り崩され同時に一軒家やマンション建設が始まった。
そんな中、神主の前田さんは1人、神社を護り抜いて来た。だが、バブル真っ只中、マンション建設の煽りを受けた地元の人達も家と土地を売却し、他所へと移り去って行った。
そのような人達が後を絶たなかったらしい。神社もそのうちの1つだった。
有名な神社でもなければ、大きくもなく、こじんまりとした神社だった為、地上げ屋も罰を恐れる事はなかったようだ。
彼らに都合が良かったのは林の土地の権利を持っていた者が前田さんでなかったという事だった。
だから彼らは執拗に前田さんへ嫌がらせを繰り返した。時には火をつけられた事もあったらしい。だが前田さんは屈する事はなかった。
「ここは私だけのものではない。地元の方の為の社だ」
と、常々語っておられたようだ。
だが今ではその社や本殿の痛み具合も酷く、パッと見、廃寺の雰囲気すら感じさせた。
修理もままならないのは、神社自体の資金不足が原因だった。そのようなお金をどのように調達するのか私にはわからない。がそれ以上前田さんの後継者がいないのも原因の1つだと思われた。
私は門を潜り神社の中へと入って行った。
神社の離れには前田さんが暮らす小さな母家があり、私はそちらへと足を向けた。
声をかけると玄関外の電灯がついた。遅れて前田さんから返事があった。しばらくの後、眼鏡をかけた前田さんが玄関から顔を覗かせた。口角にご飯粒がついている。挨拶の後、私は食事中、申し訳ありませんと謝罪した。
「お気になさらんで下さい」
口角についたご飯粒には気づいてないようだ。私が指摘すると前田さんはお恥ずかしい限りですなと笑ってご飯粒を取り除いた。
「このような時間にどうなされました?」
上下揃いのジャージ姿で現れた前田さんには、
まだ、須藤さんからは連絡が来ていないらしい。私は事の次第を話して聞かせた。
「それはご両親もさぞご心配でしょう。何事も無ければ良いのですが」
「そうですね」
「こんなおいぼれですが、私も愛ちゃんの捜索を手伝わせて頂きます」
半纏を一枚羽織った姿に雪駄を履いて外に出て来た前田さんは開口一番、愛ちゃんはたまにこの社に遊びに来ていたのですよと話し出した。
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