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第一章 ②
「そうなんですか?」
前田さんの言葉に私はかなり驚いた。愛ちゃんがよく1人で遊んでいるつくし公園からこの神社まではそれなりに距離がある。
大人の徒歩で10分くらいはかかる。それに住宅街という事もあり、道もかなり入り組んで土地勘が無いと神社には簡単には行けない筈だ。
それに、愛ちゃん1人では神社までの道は覚えられないのでないだろうか。過去に何度か誰かに連れて来られていなければ無理な話だ。
そう思った時、私の脳裏にとても嫌な考えが浮かび上がった。愛ちゃんを連れ去った人間は、つくし公園にいる愛ちゃんを頻繁にこの社へと連れて来ていたのではないだろうか。
そうだとすれば、幾ら幼いとはいえ愛ちゃんも1人で来られるようになる筈だ。
「前田さん」
「何でしょう?」
「愛ちゃんは1人でここへ来てたのですか?」
「それは私にはわかりかねますな」
「わかりかねる、とはどういう事でしょう?」
「私が見かけた時はいつも1人でした」
「そうでしたか」
「変な話、今まで愛ちゃんがここへ来た瞬間を私は見たことがないのですよ」
「1度もですか?」
「ええ。なのできっと親御さんと一緒に来たのだろうと思っておりました」
「その時、愛ちゃんに声をかけて尋ねたりはしなかったのですか?」
「何度かありましたな。けど愛ちゃんはいつも違う、1人だと言っては境内の中をうろちょろして、私には何も話してくれませんでした」
「そうですか…ちなみに前田さん」
「はい」
「愛ちゃんはいつもどの辺りで遊んでいました?」
ひょっとしたら今もそこにいて、単に疲れて眠っているだけかも知れないと思ったからだ。
「そうですね。良く遊んでいたのを私が見かけたのは、桜の木の下か、境内の床下などでしょうか」
「床下、ですか?」
「ええ。一時期、野良猫が子供を産みましてね。愛ちゃんはそれをえらく気に入ったようでして、その子供達を近くでじっと眺めていたりしてましたな」
「ならそこへ行ってみましょう」
一縷の望みではないが、愛ちゃんがそこにいる可能性だってある。いる事を私は願った。
「それなら明かりが必要ですな」
前田さんはいい懐中電灯を取って来ますと一旦、母屋へと引き返して行った。
ものの数分で戻って来た前田さんから、私の分の懐中電灯を受け取り、境内の方へと向かった。
神社の門の側を通りかかった時、ふと視線を感じ、私は門の方へと振り向きそちらを見た。
そこには手押し車を押しながらゆっくりと進む背の曲がった老人の姿があった。
こんな夜遅くにあのような年寄りが何をしているのだろう?と不思議に思い、私がそちらへ懐中電灯を向けた。その明かりに気づいたのか老人は足を止め、こちらに向かって頭を下げた。私は老人の顔に明かりが当たらぬよう僅かに下へ向けた。
老人は頭には手拭いを巻いてその隙間からは長い銀髪がはみ出していた。今時珍しいモンペ姿に、私は思わず懐かしさを覚えた。
小さい頃、田舎のお婆ちゃんが良く似たような格好で畑仕事をしていたものだ。
お婆ちゃんが亡くなって何十年になるだろうか。随分と長い間、墓参りもしていなかった。
妻が良いと言うなら旅行もかねて今年のお盆にでも寄ってみるのもいいかも知れない。
「こちらですよ」という前田さんの言葉に私は我に返り慌ててすいませんと返事をした。
前田さんは、随分とご高齢な割に歩くのはかなり早かった。私は先を行く前田さんに追いついた。
「花も散ってすっかり新芽となりましたなぁ」
前田さんが桜の木を照らした。枝には既に多くの葉がなり散った桜の花びらはまだ辺り一面に広がっていた。
前田さんもご高齢だし掃除をするのも苦労が絶えないだろう。
今後は年2回ではなく、町内会でやる境内の清掃の数を増やした方が良いかも知れない。
「愛ちゃんは幹にもたれる形で座り足を伸ばした格好で、よく空を見上げておりました」
そんな愛ちゃんの一面を果たして草原夫妻は知っているのだろうか。わからなかった。
「この辺りだった筈ですが」
腰を屈めながら前田さんが境内の下へ灯りを向け床下を覗き込んだ。
そこには沢山のお菓子の袋が散乱していた。
だが愛ちゃんが可愛がっていたという野良猫の姿はどこにもなかった。
愛ちゃんはこの下に潜り、野良猫にお菓子などをあげていたのだろう。
「見当たりませんね」
私がいうと前田さんは
「いてて」
と腰を押さえながら起き上がった。
「大丈夫ですか?」
「ええ。何とか…しかし歳には敵いませぬなぁ」
と惚けた感じで前田さんはいうが、未だ背中は曲がっておらず、歩く時も背筋はしゃんとしていた。
世の中の殆どの老人が門で見かけた老婆のように手押し車や杖をつかなければ歩けないというのに、こと前田さんに限ってはその常識は当てはまらないようだった。
加齢による関節痛などはあるだろうが、それでも世間一般のお年寄りに比べると数倍足腰はしっかりしている。私もいつか老人になった時には、前田さんのようにありたいなと思った。
「夜分にお手数おかけしました」
前田さんも愛ちゃんの捜索を手伝いますよと仰ってくれたが、私はそれを丁重にお断りした。
ご高齢の前田さんにこれ以上望む事などありはしない。
それに私達が思っていた以上に愛ちゃんの行動範囲が広い事がわかっただけでも収穫だ。
私はスマホを取り出し高村さんに連絡をした。
私の話で高村さんも捜索範囲を広げる事にするそうだ。
その内、警察もやってくるだろうが、行方不明となると、大規模な捜索は早くても夜が開けてからになるだろう。ただ、警察がそこまで早く、それも大掛かりに動くとは私は思えなかった。
単なる行方不明か、もしくは誘拐の線もありうるわけだからどちらを優先するか、それとも同時進行をするのか、それは警察内部の人間でしかわかり得ない事だ。
だから出来るなら私達の誰かが、無事、愛ちゃんを保護するのが好ましいのではあるが、こう夜も更けてくると、それも難しいだろう。
迷子として派出所にでも保護されていれば良いのだが…
須藤さんからの連絡で捜索は21時までと決まった。終わり次第、一度、つくし公園へ集まり、情報を出し合う事となった。
「わかりました」
電話を切った私はこのまま1人で付近を探す事になった。草原家には制服の警察官が2名程、訪れたらしい。という事はまだ刑事事件として扱う事にはなっていないようだ。この分だと、今夜は私達だけで愛ちゃんを探す事になりそうだ。
私は愛ちゃんの名を呼びながら、帰宅途中のサラリーマンや女子大生、犬の散歩をしているご夫妻やOLの方々などに声をかけ、4歳くらいの女の子を見かけなかったか尋ね回った。収穫はゼロだった。私は妻に連絡を入れた。
私が状況を説明すると、妻は
「わかりました。お戻りになるまで夕飯は食べずにおきますね」
そういう妻に私は先に食べて構わないと返したが、妻は
「1人で食べるのは味気ないですから」
といい、付け足すように気をつけてくださいねと言った。
私にはもったいないくらいよく出来た妻だった。
昨今、男も家事育児をするのが当たり前と言われる時代だが、妻は家事や洗濯を手伝おうとする私をいつも制止して、ゆっくりしていて下さいと微笑みを浮かべながら言うのだった。
残念な事に私達夫婦は子宝には恵まれなかったが、もし子供が出来ていたら多少は違っていたに違いない。
私は最近になって2人だけの人生も悪くないと思えるようになって来た。だが、きっと妻は私とは違う筈だ。
1人っ子だったせいもあり、二十代前半で結婚した当初は3人は欲しいと話していたくらいだからだ。
元々、子供好きで保育士になった程だから、自分の子供は是が非でも欲しかったに違いない。
けれど、結婚してから10年を過ぎた頃から妻は子供が欲しいとは言わなくなった。
私のせいで、子供を求められないと言う現実にぶち当たった時、妻は計り知れない程、悲しみ、辛かったに違いない。
だがその事は、私の前では一度として顔にも口にも出さなかった。
そんな妻だから私以上に愛ちゃんを心配している事だろう。
のんびりとした性格ではあるが、私達と一緒になって愛ちゃんを探したい筈だ。そうだと思うからこそ、私は妻の気持ちと共に何とか愛ちゃんを見つけ出したかった。
だが、残酷にも時間というものはその歩みを止める事も、緩める事もしなかった。
21時を知らせるスマホのアラームが鳴ったのだ。私はつくし公園へと戻る事にした。
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