輪の話

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輪の話

 フェリスの朝は遅い。  夕方ころからすっきりした顔をしてくるから、エルフは夜行性なのかもしれない。  寝起きでぼーっと座る姿が可愛らしい。猫みたいだ。  フェリスとの生活し始めてから、フクを思い出す頻度が増えた。    でもそれは、フクにもフェリスにも失礼な話だ。   (混同するな)    そもそもフェリスは何千年も生きるエルフ。  順番が逆だ。私の後にフクが死んだんだから。  まあ、転生自体が破天荒だから順番が変わるのもありかもしれないけど、千年以上も間が開くのは、やっぱり不思議だ。 「あの、フェリスはその……『フク』という名前に心当たりはありませんか」 「フク……? いいえ、ありませんね」 「そっか」    やっぱり勘違いなんだ。  何もしない穏やかな日々だから、頭が余計なことを考えてしまったんだ。  やっぱりとがっかりだ同居する。  こんな時は気分転換が必要だ。 「ちょっと掃除させてもらっていいですか。このままだと不健康になります」 「それは困りますね。特に制限はないから好きにしてもらっていいですよ」  それならと無心になって掃除した。  でも終盤になってくると、余計な考えがちらついてくる。 (なんで私なんだろう)    即決で娶ると言った理由が腑に落ちない限り、不老不死になる勇気が出ない。  でもここまでついてきて、あなたは飼い猫の転生者ではないのでごめんなさいなんて、言えない。    戻ったところで村には居場所がないし。自由になるつもりでついてきたのに……。   (いや私が行き当たりばったりなだけ。どのみち村にいた時よりはずっとマシじゃない。フェリスは優しいのに干渉してこないし、強制もしてこない。たまに寄ってきて後ろからゆるく抱きついてくるくらいで、夜の過剰なスキンシップも求めて来ない)  しかも超絶の美形は眺めているだけで心が洗われる。  あれ、私結構フェリスのこと、好きだな?  熱っぽさというよりあたたかな木漏れ日みたいな。  仕事でへとへとに帰ってもフクが出迎えてくれたら全部が吹き飛ぶみたいな。 (ってまたフクに思考が戻ってる!)    こんなの、フクにもフェリスにも不誠実だ。 「根をつめてないですか」  様子を見にきたフェリスの眉がわずかに下がっている気がする。心配、してくれているんだと思う。  表情はわかりづらくても、混じり気のない善意はわかる。  人間みたいな複雑さがないのかな。 「大丈夫ですよ。あと少し、あの引き出しだけ整理していいですか」  どうぞと耳に届く声が心地いい。ふやけない足湯にずっとつかっているみたい。  ここでこの人と生きるのは、穏やかでいいな。  とはいえ数千年かあ。    軽く百年は使い込まれている木のタンスは、予想に反してスムーズに引き出しが開いた。  下から上へ順に開けて行く。一番下には書類が無造作に入れられていた。  そう、このエルフこういうところがある。  多分精霊さんの力で生活範囲は整えられているけれど、本人にか触らない場所は雑然としているのだ。  他の引き出しも中身が違うだけで同じような景色が続くため、仕分けしがいがありそうと口角を上げた時だった。  一番上の引き出しだけ様子が違っていた。  草花の模様が全面に彫られた木製の箱が一つだけ。  まるで宝物がしまってありますと主張するような。  開けちゃだめだよなと頭の隅で考えつつ、手は蓋を開いていた。  中を見た瞬間、息が止まった。限界まで開いた瞳が渇きに痛みを訴えるまで、私はそれを凝視していた。  首輪、だった。  舐めした皮のような、艶を放つ黄色の……首輪。  中央には同色のリボンが添えられていて可愛らしい。  そういえばフクにも似たような首輪をつけていた。それは赤だったけど。  なんだそうか。  娶るというのは言葉のあやで、本当はペットが欲しかったんだ。  噛み付かなくて、身寄りがなくて、ここにずっといられる愛玩対象が。  たまにある軽いスキンシップも、ペットに対する愛情表現だと思えば納得がいく。  分かるよ。私だってフクの寿命が伸びたらどんなにいいだろうって思っていたもん。  ……私が先に死んじゃったけど。  そうだよ。不老不死にしちゃえばペットとしてだけでなく、実験動物としても使い道が出てくる。  新薬の治験し放題だ。だって死なないんだから。  ああ――そうか。  幼馴染が言ってたことは正しかったんだ。 「どうかしましたか」  固まっている私に声をかけるフェリス。  いつもと同じ、つぶした薬草のちょっと苦くて、その奥にじんわり甘さが滲む香り。  今日はそれが胸のざわめきを全身に広げ私を不安にさせる。 「あの」 「ああ、それ、いいでしょう」  適当な理由が思いつかず言いよどんでいると、フェリスが私の横に立った。 「あなたに渡そうと思っていたんですよ。添い遂げてくれると決心してもらえたら」 「これを、ですか?」 「きっと似合うと思いまして」 「私に?」 「ええ」 「本当に……?」 「サイズ調整は必要かもしれませんね」  確かに、今のままだと大きすぎる。  これを、私に――。   「ですから、この指輪を」 「――――――――指輪?」  箱の中、首輪の影に隠れた銀色の輪っかをつまみ上げた。  指輪だ。  宝石は付いていない。代わりに、箱に似た流線の模様が彫られている。  複雑な模様は光の反射を不規則にして、キラキラと輝いた。  恥ずかしい。  首輪しか目に入らなくて、決めつけて。 「以前……前世といいましたっけ、私が猫だった頃に、あなたがヒトのオスから渡されて喜んでいたでしょう。それにどれだけ嫉妬したか」 「前世? ヒトのオス? 嫉妬?」 「気づいてませんでしたか。私はすぐに分かりましたよ。懐かしい匂いがしましたから」 「やっぱり、フェリスは……私の飼い猫だった?」 「そうですよ」  それからは答え合わせの時間だった。  前世で私が死んだあと、運よく保護されたものの、隙を付いて逃げたら事故にあって死んだらしい。 「幸運にもチリ、いえ千里が事故にあった場所と同じだったのです。しかも私はそこそこ徳を積んでいたようでして。大いなる存在に次の生まれ先を選ばせてもらいました。私は絶対に千里ともう一度会いたかった。間違いなく会えるようにしてほしいと頼んだらこの世界にこの姿で生まれ落ちました。流石に、千年以上も待つとは思いませんでしたが。首輪は昔を懐かしむために作ったのです」 「色が赤じゃないから……勘違いしちゃった」 「猫の目に赤は見えないんですよ」 「そうなんだ」  じゃあ、本当にずっと、一途に待ってくれていたんだ。 「ごめんなさい。すぐに気づかなくて。飼い主失格だね」 「ヒトの嗅覚では判別が難しいのを、私も考慮するべきでした」 「気づく様子がなくて、不安じゃなかった?」 「ここまで待つのに比べれば、全く。それに私は本当に、あなたがここにいるという事実が嬉しかったのですよ。あなたが縄張りから出ていかないのですから」 「う、それは……前世は仕事があったし」 「ええ。ですから猫の我が身が恨めしかった。私がどんなに想っても届かない。それどころか同種のオスを連れてきて……」  結局破談になったけど……という問題ではなさそうだ。 「だから、やっと渡せるのが嬉しいです」 「えと、まだ決意したわけでは」 「ないんですか?」  そんな、純粋な瞳で尋ねられると言葉に詰まる。  普段はほとんど目を合わせないしそらすのに、こんな時だけじっと見つめてくるのはずるい。    前世でもそうだった。  夜中に駆け回る音や朝方エサをくれと起こされても、壁紙で爪研ぎされたり甘噛みが痛い時も、まん丸な瞳でじっと見られたら許してしまった。   「でも、いま決意したと言われても微妙な気持ちになりません?」  逆の立場ならそうだ。今の自分より前世の自分が好きなんだって卑屈になる。  なのにフェリスは首を傾げて、全く理解ができないと呆けた表情で「なぜ?」と問うのだ。 「チリも同じでしょう。私が見ているのは、前世のあなただけでないと気づいている」 「確かに……」  フェリスからの極太の矢印は今の私にも向いていると、この短期間でも十分に実感できた。  私自身も迷う気持ちの出口を、フェリスはいとも簡単に導いてしまった。 「前世も今世も異種族ですが、あなたを想う気持ちはいつも変わりません」  ……信頼度が高い。何せ千年以上待っていてくれたのだ。  逆にいえばそれだけ長い時間、一人にさせてしまった。  しかも、いつまで待てば良いのか見通しのたたないなか。    うん、渋る必要なんてないんだ。  だって私にとっても幸運な結果なんだ。  前世のフクが、フェリスでよかった。    あとは―― 「でも、苦いんですよね……薬」 「ああ。実はもう一つ方法があるんです」 「え? どんな方法――」  ふと頭上に影が落ちた気がして見上げると、フェリスが覗きこんでいた。  私が写る瞳には、光のかけらが踊るように煌めいている。  わずかに口角を上げたフェリスがより近づいて、前髪が私の額を撫でていく。  光の糸が流れていくみたいだ。  それに目を奪われているうちに、キスされた。 「!?」    触れるだけのほんの短い触れ合いなのに、体全体がほてっていく。 「な、」 「毎日キスすれば良いんです。私の生命力が移りますので」 「する前に一言いってくれますか!」 「ああ、ヒトは言葉にするのを好みますもんね。善処しましょう」 「ぜひそうしてくださ……」 「では、指輪を交換しましょうか」 「ちょっと待ってください! 一つずつゆっくり実感させてください!」  わかりました、と目を細める様子が喜びにあふれている。  照れ隠しに両手で顔を覆ったら、指輪をはめる位置に唇を寄せてきた。
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