<9・ダイホン。>

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 そうだ、ポモドーロは美味しいのだが、できれば白いご飯が欲しいと思ってしまうのである。やっぱりそこは日本人、白いご飯への執着は半端ないということだろう。  炭水化物に炭水化物、は太るかもしれないが間違いなく美味しいのだ。お好み焼きをオカズにご飯を食べるのも大得意な藍子である。 「今のあんたのパスタの感想は悪くない」  帝の明太子パスタも美味しそうだった。彼は割りばしをわざわざ注文して、箸でパスタを食べている。 「前にも言ったが、どんな小説でも食事シーンは欠かせないものだからな。主人公が何を食べていて、何をどんな風に美味しいと思うのか。それを丁寧に描写できると、美味しさが伝わるってなもんだろう」 「にゃるほど」 「しかし、その物語において食事シーンがあまり重要なものでないなら、適度にカットするのも大事だ。例えばミステリーなら、事件が起こってからが本番だろ?特に何かヒントが隠れているというわけでもないのに、食事シーンをだらだら描写するのは読者を飽きさせる。また、視点を持っている主人公が味噌汁が嫌いな人間なら、味噌汁に対して長々感想を書くのは不自然というものだ。精々感想は“嫌いな味噌汁があって嫌だった”なんてレベルものだろうさ。逆に好きなものは、丁寧に味わって感想を抱くだろう」 「あーあーあー……」  それは確かにそう、と慌てて藍子はメモを取る。  これは、以前とあるネット小説講座でプロの先生が言っていたことでもある。小説を書くならば、素人なら尚更“三人称単一視点か一人称”で書くのがベターだと。実際、そのどちらかで書かれた小説は非常に多い。視点を固定することで読者に没入感を抱かせ、共感させることができるからだ。  物語が視点を持っているキャラクターの目で進むことによって、読み手もキャラクターと一緒に冒険したり、体験したりしている気分になれるというわけである。逆に言うならば、キャラクターが知らない情報を自然にシャットアウトすることもできるし、描写できないものが当然として存在してくるので注意を払う必要もある、が。 「小説を書くならば、視点を持っているキャラクターの性格や知識が描写に大きく影響してくることと、その描写を“どれほど重要視するべきか”の取捨選択が必須というのを知っておくべきだ」  ずい、と帝は箸を突き出してくる。
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