<9・ダイホン。>

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「関東圏で頻繁に電車通勤をしている人間は、電車についてもある程度詳しいだろう。黄緑色の看板やラインが入った電車は山手線だ、くらいのことは簡単に気づいて然り。が、田舎から出てきた人間ならどうだ?黄緑色の電車が通過していくのを見ても、それがとっさに何線か、なんてわからねえだろう。つまり、そう言う電車を主人公が見た時に“山手線が通過していった”なんてト書きで書いたら不自然なわけだ。なんでお前それ知ってんだ?ってな。どうしてもそう書きたいなら、主人公を電車に詳しい人間にするか、直前にどこかで電車について知る機会を得たことにするべきだな。それこそ、最近YouTubeで見たので知ってる、みたいに一言あるだけで全然違う」 「な、なるほどお……」 「食事でも同じ。例えば、俺とお前が恋人同士で、初デートだとする。デートに浮かれすぎていて、緊張しすぎて、食事の味がわからなくなっているヒロインならば。それこそ食事に関する描写は最低限で済ませた方がリアリティがある。パスタの店に入った気がするが、何を食べたかなんてよく覚えてない、みたいな。逆に、恋人とのデートだからこそ食事がものすごく美味しいと感じるヒロインだったり、食に拘りがあるヒロインならばかなり力を入れて描写するべきだ。もちろん、展開がぐだらないレベルに、だけどな」 「ふんふんふんふん……」  そういうのを、ちゃんと考えたことがなかった。食べかけの皿に目を落として思う藍子。  自分はパスタが大好きだし、ポモドーロも新鮮で驚きがあた。そしてものすごく美味しいと思ったから、何が良いのかというのを丁寧に考えようとしたフシがある。  が、もしこの料理が全然美味しくなかったなら、自分は“美味しくなかった”以上の感想は抱けなかったかもしれないし、とにかく流し込むようにさっさと食べてしまおうと思ったかもしれなかった。  もし、自分が小説の世界のヒロインならば。今の自分と彼との食事シーンは、どのように描写しただろうかと思う。食事に対する、ヒロインの拘りや好みだけではない。恋愛小説ならばデートの重要なシーンとして丁寧に表現したかもしれないし、ミステリーの事件前の導入ならさらっと済ませたかもしれない。事件がさっさと起きて謎解きに入ってほしい読者としては、ろくなヒントもないような食事風景なんてさっさと読み飛ばしたくなるかもしれないからだ。 ――奥が、深い。  固まったチーズをスプーンでまとめてこそげながら、藍子は思う。 ――小説のト書きって、昔からあんま得意じゃなくて。とにかく状況を説明して、キャラが思ってることを解説できればそれでいいや、とか思ってたけど。……それじゃ、やっぱり駄目なんだな。もう一段上に行くためには……描写の深みとか、キャラの解像度を上げていかなきゃいけないんだ。
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