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ピンポン
震える指で、なんとか呼び鈴を鳴らした。高揚感と不安感で、心臓がうるさいくらい鳴っている。
「はーい」
ととと、と落ち着いた足音。この声。嗚呼。
じわりと目から暖かい塩水が溢れ出す感触がする。
懐かしい声だった。思い出したくても思い出せなかった、あの優しい声。この声を再び聞くためなら、私は悪魔に魂を売ってもいいと、そう思ってしまった。
指を折って待った。やっとこの日が来た。
結局私は、母が帰ってくるかもしれない、という甘美な夢からは逃れられなかったのだ。良くないことだとはわかっていた。だって、紛れもなく母は、二年前のあの日、焼けて死んだんだから。
遺影の中の母の笑顔は、依然として気味が悪かった。見るとどうしようもなく不安になった。
本当にこの女性は、母なんだろうか。帰ってきた母は、本当に私の母なんだろうか。幾度となく浮き上がったそんな想像は、しかし、死んだ母にまた会えるかもしれない、という甘美な想像に、再び頭の奥深くに押し沈められた。
このまま放っておくと、とんでもなく恐ろしいことが起こるかもしれない、と冷静な私のどこかはずっと、警音鳴らしていた。
それでも私は、遺影の前で祈り続けることをやめられなかった。母が帰ってきますように、と。どうしても、会いたかった。
そしてこの日、母の命日から二十四日経った今日。夫と小さい息子を連れて、朝から母の家を訪れた。
朝、起きた瞬間に夫に尋ねた。今日は休みだし、お母さんの家に行ってみない、と言った声は、みっともなく震えて掠れていた。いいね、最近会ってないし、と応えた夫の言葉を頭で噛み砕いて、私は喜びに震えた。ここは母が、生きている世界だ。
夫と小さな息子を抱えて訪れると、燃えたはずの実家は、そこにあった。ところどころ不自然に黒ずんでいるのは、必死で見ないふりをした。だってきっと、そこにいるのは、いつも通りの母だから。そのはずだから。
いつもどうやって呼吸していたか忘れてしまうくらい、私は緊張していた。母に会ったらまずなんて言おう。私はそれだけのことをずっと、考えていた。
扉の目の前に人の気配がする。まるで身体中が心臓になったように、鼓動はうるさくなった。
あ、開く。
ガチャリ、と音がして、目の前に現れたのは。
「どうしたの、こんな朝から」
「あ、お義母さん、ご無沙汰してます。すみません、こいつが急にお母さんに会いたいって……」
はっ、はっ、という呼吸の音と、高まる心臓の音だけがうるさかった。夫と、母に似た、とてもよく似た声が、話しているのを耳は拾っても、頭ではうまく処理できなかった。普通に、まるでなんともないように話している、それだけはわかった。それが、どんなに恐ろしいことか、ということも。
そこに居たのはきっと、確かに母だったんだろう。でも、私には断言できなかった。顔が、無いから。ぐちゃぐちゃになって、判別できないから。
「あら、そうなの。……私も会いたかったわよ」
焼け爛れた手が、私の頬を触れようとするのを、私は振り払えなかった。恐ろしくて、とても動けたものじゃなかった。
夫はまるで、なんとも無いように笑っている。息子は、泣いている。まるで恐ろしいものに出会ってしまったかのように。
私は息子の泣き声を聞いて、自分の愚かさを知った。母は死んだのだ。そして、歪な姿で本来の場所では無い場所に、帰ってきてしまった。
私は、母と夫の笑い声と息子の泣き声を浴びながら、動けずにいた。今頃、順当にいけば肩ほどまで伸びているはずの母の髪は、焼けこげてなにもわからなくなっていた。
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