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「海琴(みこと)先生、どうだった? 初めての夏休みは」
「プール指導補助と初任者研修と日直業務しか覚えていません!」
うだるような暑さの八月下旬。
まだ朝の八時すぎなのに強烈な日差しが入り込む職員室で、私は先輩教員の質問に答えた。元気半分、ヤケクソ半分で。
「あはは、教師一年目だもんねぇ。来年はもう少し休めるからね」
教務主任の先生がねぎらうように笑った。
私――杉崎(すぎさき)海琴は、今年の春、この市立小学校の教員に新卒採用された。
児童から『海琴先生』と呼ばれた一学期を経て、初めて教師側として夏休みを過ごした。「休み? 何それおいしいの?」的な過密スケジュールだったし、別の学校で働く同期はゾンビの目になっていたけど――
(今日から二学期! 一学期の未熟さを取り返すぞ!)
私の気合は十分だ。
業務に慣れるだけで精一杯だった一学期。周囲の人たちに迷惑をかけ、保護者を苦笑させ、時に児童にまで呆れられる青くて苦い日々だった。
二学期はもっと成長して、もっとしっかりした先生になるんだ。
決意を新たにして、学習指導要領をまとめたファイルをむんずとつかむ。
すると――手首に巻いたシュシュが目に入った。
青色の、とある動物がプリントされた布で作ったそれは、祖母の手作りだ。お盆休みに帰省した時にもらったプレゼント。
……いけない。また暴走しかけてた。
反省して深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
(おばあちゃんにたしなめられたのに、私ったらすぐ忘れるなぁ……)
海琴は熱くなりやすい。
教師は、情熱と同じくらい冷静さを持ち合わせないとダメだ。
四十年間、小学校の教師を務めていた祖母から戒め。
そして、助言。
――この動物の顔を見て、冷静になりなさい。
私は、シュシュの模様になっている動物――モフモフの輪郭に三角のお耳、長い鼻面、スンッとした虚無感を放つ細目が特徴的な、チベットやインドに生息するイヌ科キツネ属・チベットスナギツネの顔面を見た。
……何度見ても味のある顔をしてるな、コレ。
――いつも心にチベットスナギツネを住まわせなさい。
祖母の、静かな威厳をはらむ声音が脳内再生される……けど、まあ、うん。
(意味はよく……分からない……)
戸惑いつつ、私は腰まである髪をシュシュでまとめた。首筋がスッキリしてうなじに当たる風が心地よい。
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