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1ー6 『女神の涙』
祠のばばは、近づいてくるとわたしをじろじろと不躾に見た。わたしは、ばばが怖くて尻尾を丸めて震えていた。
ばばは、わたしに向かってはっきりと言い放つ。
「悪いことは言わない。人間のことなんか忘れてもとどおり普通に暮らしな」
「なら、こいつが忘れられる方法を教えてやってくれよ」
エルトがばばにがぅっと吠えた。
「こいつは、今、めしも喰えないぐらい思い詰めているんだからさ」
「ほう・・」
祠のばばが考え込んでから、顔をあげてわたしに話した。
「人になりたいのなら方法を教えてやってもよい。だが、その代わりに森の奥にある『女神の涙』を持ってくるがいい。そうすれば、どうすれば人になれるのかを教えてやろう」
わたしは、エルトを急かして祠のばばに背を向け走り出した。
怖い。
わたしは、祠のばばが怖かった。
人でもフェンリルでもないその異形の姿が怖かった。わたしたちは、群れに戻ると自分たちの寝床にしているモンラの木の木陰に横たわりお互いの毛を舐めあった。
「で?」
エルトがひそひそとわたしに話しかけた。
「どうするんだ?クオ」
わたしは、黙ったまま俯いた。エルトは、物語の中にでてくる悪魔のようにわたしに問いかける。
「『女神の涙』か・・狩りに行くのか?」
『女神の涙』というのは、森の奥に住んでいる大黒蜥蜴の体内にある魔石のことだ。大黒蜥蜴は、ドラゴンほどではないが巨大な魔物だ。わたしたちフェンリルでも大黒蜥蜴と戦うのはできるだけ避けるものだ。そして、戦うときは、群れで相手をする。
「わたしだけじゃ、無理だし」
わたしが言うとエルトがそそのかすようなことを囁いた。
「俺も手伝ってやる」
わたしは、エルトの真意を図ろうとして彼を見つめた。エルトは、まだ年は若いけどわたしと違って父様たちから一人前として認められている。もしかしたらエルトが一緒に戦ってくれたらわたしにも大黒蜥蜴を倒せる可能性があるかもしれない。
でも。
わたしは、怖かった。
祠のばばも、大黒蜥蜴も、人になることも。
そして、何より、自分の中にあるこの理解できない感情が恐ろしかった。
わたしは、ころん、と寝転がって目を閉じるとエルトに答えた。
「わたしは、大黒蜥蜴なんて狩りにいかないから」
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